夏場に多い心霊番組の「見方」を変えてみる

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

学校関係も夏休みに入っている今日この頃ですが、夏にかけては様々なお祭りや海やプ-ルなども楽しめる季節になります。
そのような素敵な季節ではありますが、熱中症や水に関する事故については、くれぐれもお気を付け下さい。
そして、この季節は「涼」を取りたい、感じたいという季節でもあることでしょう。
そこで、今回は「夏場に多い心霊番組の「見方」を変えてみる」というテ-マでお届け致します。
また、今回は単に「夏場だから心霊」という図式でお届けする訳ではありません。
実は、必ず皆さん自身に関わる「見方」に関係している点を最終的に考えて頂ければとの趣旨になっております・・・

 

ところで、今のようにク-ラ-もなければ扇風機もない時代においては、今ほどの暑さではなかったとしても、やはり何かしらの「涼」を取るために、様々な智恵や工夫が活用されてきた事と思います。
例えば、

 

聴覚を活用して、「怪談話」などを聞いて涼を取る
あるいは、
視覚を活用して、お寺さんなどでご開帳される「幽霊の掛け軸」などを見て涼を取る

 

などの活用がされてきましたし、現在でも活用されている事と思います。
言わば、「涼」を取る際に「背筋の悪寒?」を利用したという見方も出来るかもしれません。
そして、現在では様々な映像技術の発展などにより、心霊写真や心霊動画と言われているような素材が巷には溢れ返っている状況です。
そして、このような素材を取り上げた、いわゆる心霊番組も数多く見受けられる状況です。
ちなみに、私はこの手の心霊番組は自ら好んで観ることはあまりありません。
ただ、番組内容において、ある部分に「ピン!」とキタ番組は観る事もあります。

そして、このような心霊番組で紹介される素材としての心霊写真や心霊動画においては以下の3通りに大別出来ます。

 

① 全くのねつ造や合成されているもの
② 霊が関与している訳ではないが、科学的に証明が難しいもの
③ 真実が映し出されているもの

 

現在でも過去でも同じでしょうが、①のケ-スについては、CGなどの映像技術の進化や、高性能のカメラやパソコンの普及などにより、加工や合成する事が比較的容易になっている点からもご理解頂けるかと思います。
この①のケ-スは、かなり多いとも聞いています。

 

そして、②のケ-スも実際にあります。
しかし、そもそも霊の関与を証明出来ていませんので、ほとんどが①か③のケ-スに分類されてしまいます。
そして、そのような①か③に分類されていながらも、実際はこの②のケ-スである事もとても多いと言われています。

 

そして、③のように実際に霊が関与しているケ-スもありますが、やはり証明出来ていない現状と共に、突然の事故死などの状況や、強い未練や執着、時には、恨み辛みなどのような感情を推し量るという事を裏付けの代用としているように感じます。
ただ、心霊番組などでは予算の関係などから、①と②のケ-スの全てを事前にねつ造なのか、そうでないのかは調査出来ないという現状もあります。
故に、番組で紹介される①や②のケ-スにおいても、何かしらの悲劇的な状況や、強い思いが残っているなどのように関連付けられてしまっているケ-スも多々あります。
つまり、

 

霊とは何の関係もない事象が、あたかも、霊の仕業とレッテルを貼られているかのように・・・

 

という事です。
そこで、皆さんにご質問を致します。
皆さんも観光地などで記念写真や風景などを写真に撮影したりといった経験はあるかと思います。
では、その際に、

 

あなたが撮影した写真に他の観光客の方が写り込んでいた事はないでしょうか?

そして、確かめようはありませんが、

あなた自身が他の観光客の方が撮影した写真に写り込んではいないでしょうか?

 

変な質問に思われているかもしれませんが・・・(笑)
今は観光地としての例えをあげましたが、様々な場所で霊としての姿が写真などに写り込むケ-スはある事と思います。
そして、そのように写り込むという事は、何かしらの様々な理由からこの世に留まっているというケ-スもあるかと思います。
しかし、そのような心霊写真と言われているものにおいても、

 

霊の側の悪意から写り込むケ-スは少ない

 

と言われています。
つまり、先ほどの観光地での写真撮影などのように、

 

霊の側には何の意図も無く、ただ単に写り込んでしまっただけ

 

というケ-スも多いという事です。
これは、私達生きている人間が写真などに写り込んでしまうのと同じ事です。

また、少し「視点」を変えてみると、よく昔の古戦場や合戦が行われた場所において、夜な夜な武士の姿を見かけたり、行進しているような足音がした、などのお話を聞いた事があるかもしれません。
霊という存在においては「時間」という概念がありませんので、もしかしたら、僅かながら、未だにそのような状況にある、と思い込んでいる霊というのもいらっしゃるのかもしれませんが、多くの場合は、

 

残存エネルギ-(残留思念)の影響

 

とも言われています。
つまり、その場において、それほどの多くの人の強い思いが「残り香」のように漂っているケ-スの方が多いと言う事です。
「残り香」とは、例えば花火をした後は、幾ばくかの時間は臭いや煙が残ってしまうのと一緒です。
つまり、そこには今現在の霊が影響を及ぼしている訳ではないという事です。

 

話を戻しますが、様々な事情や理由によりこの世に留まっていたり、あるいは、チョット様子を見に来た霊が、単に知らずに写真に写り込んだだけというケ-スにおいて、心霊番組では全てが怖い、あるいは、気持ち悪いという扱いを受けてしまいます。
では、このように単に写り込んでしまった霊が、

 

あなたの大切な人・・・

であったならば、このように怖い、気持ち悪いと言われてしまう事に、

あなたはどのように思い、また、どのように感じるでしょうか・・・

 

そして、

あなたがこの世を旅立った後に、あなた自身が単に写り込んでしまったケ-スにおいて、同様に、このように扱われると、

 

あなた自身はどのように思い、また、どのように感じるでしょうか・・・

 

多くの場合は寂しさや悲しさ、時には、怒りすら覚えるように感じる事もないでしょうか?
なぜなら、何の悪意もなく、観光地での写真のように、単に写ってしまっただけだからです。

 

ところで、皆さんは「オ-ブ」という言葉を聞いた事はありますでしょうか?
これは、光の球のようなものが写真に写り込む事を指しているケ-スが多いです。
この「オ-ブ」は魂や意識体と言われる事もありますし、それこそ、水滴などによる光の反射で写り込む事もあります。

 

私の母がこの世を旅立った際に、葬儀を行う前に自宅において祭壇を作り、供養をする場を設けましたが、その際にお悔やみに来られた方々などと写真を撮影したりしました。
そして、多くの写真で「オ-ブ」が写り込んでいました。
そして、母の祭壇の前で、母の遺影と共に、私と父とで写真を撮ってもらいましたが、私の隣にちょこんと「オ-ブ」が綺麗に写っていました。

 

まるで、普通の家族写真のようにです・・・(笑)

 

私はこの写真を心霊写真とも思わないですし、怖い写真とも思っていません。
むしろ、最後?の家族写真と思って母も一緒に写りたかったのかな?・・・と感じています。
そして、自宅に普通に飾っていますし、むしろ、清々しい写真とも感じています。
そして、もし仮に、私が他のカウンセラ-などのような方の元を訪れ、このようなお話をすると、

 

なるほど~ あなたは未だに母の死を引きずっているのですね!

 

な~んて答えが返ってくるのかもしれません(笑)
と、冗談ですが、このように写真などに写り込むということは比較的よくある事です。
しかし、それを全くの他人が見て、怖い、気持ち悪い、はたまた、未浄化な霊が写っている、などと勝手に判断され、言わば、腫れ物や笑い物にされてしまうというのであれば、

 

そのような反応をする生きている人間の方がよっぽど怖いのでは・・・?

 

と、私なんかは感じてしまいます。
そして、中には、まだ小さいお子さんを残して旅立たざるを得なかったお母様などもいらっしゃる事と思います。
そのような状況において、

 

今少しの間、この世において我が子の側にいて見守って上げたい・・・

 

との思いを抱くのも、ある意味、当然の事のように私には思えます。
確かに、未練などを断ち切って行くべき所に行き、その為の手助けを残されたご家族の方などが心掛けていくというのも大切な事です。
しかし、このようなケ-スでのお母様の思いや心情を汲み取った時に、何かが写真に写り込んでいたとしても、

 

心霊写真・・・というような扱いを出来るでしょうか・・・?

 

そのご家族の方やご本人の思いに心を馳せると、

私には出来ません・・・

心霊番組を好きで観るのも別に構わないと思いますし、どのように捉えるかは皆さんの自由です。
ただ、中には偽物、今風に言えば「フェイク」も混ざっており、そして、何より様々な事情や状況も知らないというケ-スにおいて、怖い、気持ち悪いと思って見る「見方」からは、そろそろ卒業しても良いのでは・・・と私自身は感じています・・・

 

そして、ここからは今回の「裏テ-マ」に入って行きます。
先日、先ほどコメント致しました「ピンとキタ」事があり、とある心霊番組を観ました。
ちなみに、この番組内における心霊写真の一部が偽物では?とのニュ-スも流されていた番組ですが・・・

 

この番組内において、女優である大原麗子さんをイタコの方が口寄せするというコ-ナ-が放映されていました。
ちなみに、イタコさんのような、霊媒あるいはミ-ディアムという方々は世界各国に存在しておりますが、これは、生来の個性としてそのような能力を携えている方もいらっしゃれば、学びや実技を通して後天的にそのような能力を発揮するに至る方もいらっしゃいます。

 

そして、この番組内でのイタコさんの口寄せの際に、大原麗子さんの弟さんと学生時代からの御親友という方が同席されていました。
そして、イタコさんの口を通して、以下のような趣旨の発言が大原麗子さんから発せられました。

 

叔母さんから、あなたには悪魔が取り憑いていると言われて、よく家に帰ると叩かれたりしていた・・・

 

そして、この発言を聞いた御親友の方が、当時の学生時代に大原さんがそのような事をよく話していた、と驚きの表情でお話をされていました。
そして、大原さんは続けます。

 

死んだ後も悪魔が取り憑いているのでは・・・と少し不安だったが、今はもう大丈夫・・・

そして、

それが故に、生きている時に人に迷惑を掛ける事を怖れ、出来るだけ孤独な状態であり続け、幸せになってはいけないと思い込んでいた・・・

 

ここまでのやり取りにおける真相を確かめる事は出来ません。
が、しかし、私が着目した点はここにあります。
それは、大原さんは学生時代に叔母さんから言われ続けてきた「あなたには悪魔が取り憑いている」という言葉を、

 

生きている時は勿論、死後しばらくの間も、その言葉に捕らわれていた・・・

 

このような言葉は言わば「暗示」と一緒です。
学生時代という、とても心が機敏な時に執拗に言われ続け、しかも、それが為に叩かれたりといった行動(肉体)にまで影響が及ぼされていたという事実。
これは、

 

時に「暗示」というのは死後にまで影響を与え続けている・・・

 

という点が、とても着目するに値する真実のように感じます。
勿論、「暗示」というのは本来良い悪いという性質のものではなく、生前であろうと死後であろうとポジティブな面に作用するケ-スの方が多いです。
しかし、このような言わばネガティブな側面の強い「暗示」は、

 

生前、死後に関わらず多大な影響を及ぼし得る・・・

 

という事をよくよく考えるのは、極めて大切な事のように感じます。
そして、このような事象から考えられるのは、

 

生きている人と、この世を旅立った人との違いは、肉体が有るか無いかだけであり・・・
思いや感情という個性は変わらず存続し続け・・・そして、成長し続けている・・・

 

という事です。
そして、このような事から導かれるのは、やはり、心霊番組などで怖い、気持ち悪いなどと反応するのは、とても失礼な事なのではないか・・・という事です。
そして、このような反応を生きている人に対してするでしょうか・・・?

 

確かに生前の思いや、死に際での何かしらの強い思いが伴って、とても可哀想と思われてしまう「姿」を伝えてくるというケ-スはあります。
しかし、ここで伝えたいと思っているのは、

 

そのような「姿」ではなく、そのように至った「思いや感情」である

 

という点です。
私達生きている人間においても、何か人を差別したり、酷い気持ちを抱いている時というのは、当の本人は気づいていませんが、そのような思いが「表情」に現れているものです。
何かを必死に行っている時などに「鬼の形相」という言葉が使われたりもします。
そして、このような「ある一言としての暗示」がその人の人生に多大に影響を与え続けているというのは、ある意味、生きている人間の方が霊よりもよほど怖いと言えるかもしれません。
そして、その反面として、その人のことを心から思いやった「ある一言としての暗示」は、

 

その人がより良く生きていく手助けとなり、時には、死後にまでポジティブな影響を与える事が出来る

 

という側面を大切にしていく必要性を私個人としては、改めてとても強く心に刻みつける「ピンとキタ」というきっかけにもなった次第です。

 

そして、少しだけ余談ですが、国政などの場では、「言った」「言わない」、あるいは、「文書が有る」「文書が無い」、はたまた、「記憶に無い」などの言葉が飛び交っています。
真相は分かりませんし、見解の相違というケ-スももしかしたらほんの僅かはあるのかもしれませんが、いずれにせよ、「どちらかが」あるいは「誰かが」、そして「ある部分」では「嘘」がつかれている事は疑いがないように感じます。
そして、TVなどを通して全国民の前でそのような「嘘」が公然とつかれているのであれば、

 

国会中継などは、ある意味、どんな心霊番組よりも怖く、おぞましい・・・

 

と、私個人の目にはそのように映っています・・・

2017年7月30日 04:07

最も誤解を生みやすいのはコミュニケ-ションがされていない隙間に・・・

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

全国的にも梅雨明けの地域も出始め、寝苦しい夜が続いている方々もいらっしゃるかもしれませんね。
青森県内の梅雨明けはまだ発表されておりませんが、元々、青森県は梅雨時期でも全国と比較するとそれほど雨は多く降らないという統計も出ております。
そして、この時期は天気予報などでもよく耳にする大気が不安定な状態が続く季節でもあります。
突然の豪雨や落雷など・・・

 

先日の朝方に私が住んでいる地域でも、もの凄い豪雨となっていました。
近頃は私も窓を開けて寝ておりますが、窓を開けている所で携帯電話の充電もしているので、すぐに飛び起き携帯を避難させてあやうく難を逃れた次第です(冷汗)
「息苦しくなるほどの雨の降り方」という表現もなされるように、激しい豪雨でしたが、私は実は雷が大の苦手です!!!
雷が鳴り出すと出来るだけ外出を控え(仕事の時は別ですが)、ス-パ-の駐車場などでは一目散に走ります(苦笑)
小さい頃はそうでもありませんでしたが、何故、雷が苦手になったのかは別のテ-マの時にでもお話致します・・・(笑)
と、ここまでは今回のテ-マと特に関係はありませんが、どうぞ皆さんも急な天候不順の際にはお気をつけ下さい。

 

ところで、最近のTOPICSにおいては私自身のテ-マとして、少し表現を拡大するという意味合いで、一般的には敬遠されがちなテ-マなどをお伝えしてきましたが、今回は私がカウンセリングなどを行っていて、比較的多くの方々に当てはまるコミュニケ-ション上の課題について、「最も誤解を生みやすいのはコミュニケ-ションがされていない隙間に・・・」というテ-マをお届け致します。

 

コミュニケ-ションというのはとても幅の広い活用がなされています。
言葉を介しては勿論、ある目的のために一緒に何かを行ったり、食事を介してなされていたり、あるいは、スポ-ツなども同様です。
そして、コミュニケ-ションそのものを習った、あるいは、教えて貰ったという経験は、ほとんどの方が無いと感じているかと思われます。
ただ、コミュニケ-ションは「幅広い」という意味合いから、実際は様々な場面において、小さい頃から親や周囲の方々などに「常識や礼儀」などという形で教えて貰ってきていると思われます。

 

そして、「コミュニケ-ションとは何ぞや?」という問いに対しては、それこそ無限の答えがあり、様々な考えがあって当然の性質のものです。
故に、コミュニケ-ションにおいては、何が良くて何が悪い、というのも一概に当てはまるものでもありません。
そして、ここに「コミュニケ-ションの隙間」が生じやすくなる一因も潜んでいます。
では、ドラマなどでよく見かけるシチュエ-ションを元に、「最も誤解を生みやすい隙間とは何か?」を一緒に見て行きましょう!
ちなみに、以下のシチュエ-ションは実話でもなければ、何かしらの偏見に基づいて作成しているものではありませんし、家庭環境などに対しての他意は全くありませんので、ご理解頂ければと思います。

 

ある所に、お付き合いをしている一組の男女がおりました。
女性の方はいわゆる一般的な家庭において育ち、彼女の個性としては、少し控え目な所がある方です。
一方の男性の方は、昔から続く老舗のお店の家庭に育ち、もう間もなく〇〇代目としてそのお店を継ぐ予定になっています。
その男性のご両親も老舗を絶やしてはならぬ、と一生懸命にお店を切り盛りし、繁盛させてきました。
そして、この男性の個性としては、母親に対してあまり物が言えないという、少し自分に自信が持てないという所がある方です。

 

この男女はお付き合いが続いており、内心ではお互いに結婚したいと思いながらも、女性は少し控え目な性格で、男性は少し自分に自信が持てないという性格で、双方共に結婚という言葉を言い出せずにいた所、急遽、結婚するという運びになりました。
と言うのも、女性が妊娠している事が判明したからです。
代々続く老舗という事もあり、妊娠という運びからも世間様にちゃんとお披露目をしなければとの思いで、男性のお母様(いわゆる、お姑さん)は一人で奮闘していきます。

 

そして、結婚式の当日を迎えました。
しかし、突如、この女性は結婚を取りやめる、という決断を下しました!

 

では、ここまでで皆さんの想像力?あるいは妄想力?でも何でも構いませんが、どうしてこの女性は結婚を取りやめるという選択をしたと考えますでしょうか?
こんな何代も続く老舗のお姑さんと上手くやっていける自信がない、、、、、あるいは、母親にあまり物を言えない彼に対してこれから先の不安を覚えるから、、、、、など、様々に考えられる事と思います。
では、この女性は何故、結婚を取りやめるに至ったかと言うと、

 

その「表」の理由は、、、実は、妊娠していなかったから、、、

 

というものです。
しかし、これはあくまで「表」の理由です。
「裏」ではありませんが、「真」の理由は他にありました。
この女性が結婚を取りやめた、真の理由とは・・・

 

彼は妊娠したから私と結婚してくれる事になったんだ、、、
なぜなら、私は一般の家庭で育ち、一方の彼は老舗を継ぐ立派な人、、、
そんな人が心から私なんかと結婚しようとは思わないはず、、、
そんな彼にはもっと素敵なお似合いの人がいるはず、、、
何より妊娠していないのだから、彼には私と結婚する理由や必要性は無くなったはず、、、

 

と。
そして、女性が結婚を取りやめると聞いた男性の側は、彼女から理由を聞き出そうとしますが、女性は答えてくれません。
しかし、男性の側も本当の理由を聞くのが内心怖いという思いも持っていました。
そのように女性と男性は先に行く事も出来ず、戻るにも戻れず、双方共に押し黙ったままで、間近に挙式の時間が迫っていました。

 

すると、その男性のお母様は、これでは列席頂いている方々や世間様にも申し訳が立たないと思い、結婚式を中止するよう段取りを行いました。
結婚式が取りやめとなった事で、女性はウェディングドレスも脱いで、帰り支度を始めます。
それを見ていた男性は何も言葉も掛けられず、ただ、その彼女の姿を見ているだけでした。
そして、彼女は部屋を出て行きました。
実はこの時、男性は必死に自分の内面と格闘していました。

 

自分は特段の取り柄もない、、、
あるのは老舗の〇〇代目という肩書きだけだ、、、
母親にもあまり物を言えないし、、、
何より自分に対しても自信が持てない、、、
こんな自分を彼女が心から好きになってくれるはずはない、、、
妊娠したからこんな自分でも結婚してくれると言ってくれたに過ぎない、、、
でも、妊娠していないのだからもう自分は必要ではない、、、
彼女には自分よりふさわしい人がいるはずだ、、、

 

と。
シチュエ-ションとしての物語はここで終わりです。
この物語のこの後の結論には特段意味合いは持たせていませんが、せっかくですのでハッピ-エンドにしましょう(笑)
お互いの本心を確かめ合い、二人は無事に結ばれました。
そして、お姑さんが結婚式を中止するよう段取りをしたのは、実は、自分の息子が物事をはっきり言わず、優柔不断な性格である事を見越して、ハッパを掛けたに過ぎなかったのです。
ちゃんと二人で本心を確かめ合うように、、、との願いを込めて、、、

 

この男女のお二人は、双方共に少し控え目で、自分に自信が持てないという点が似ています。
勿論、このような控え目な個性や自分に自信が持てないという姿勢が、このような物語を産み出す要因になっている訳ではありません。
他の要因でも同じような物語は多々あります。
では、何故、ここまである意味こじれてしまったのでしょうか?
それは、お互いに、

 

私のことが本当に好きなの、、、?

という会話を、

ずっと避け続けていた、、、

 

という点に見出す事が出来ます。
つまり、最も誤解を生み出しやすいコミュニケ-ションの隙間とは、

 

お互いにコミュニケ-ションがなされていない部分

 

と言う点にあるという事です。
つまり、

 

これを聞いたら帰ってくる相手の反応が怖い、、、

 

という話題を避け続けてしまう部分にあるという事です。
実は、コミュニケ-ションの問題から人間関係が悪くなると思われる時、意見が全く合わない、考え方が全く正反対だ、あるいは、価値観が真逆だ、というケ-スに起こりがちと思われているかもしれません。
そのような場合も勿論ありますが、このような意見の対立などと、今回のTOPICSのケ-スとではその後を辿る経緯が全く違ってきます。

 

考え方などの違いでは、自らの意思や信念の元に、その後の関係性を変える事が出来ます。
例えば、関係性を腹八分目から腹六分目に控えよう、あるいは、ご挨拶はするがプライベ-トにおける関係は出来るだけ遠ざけて行こう、あるいは、お付き合いするのはもう止めよう、などのように、

 

自分という軸から関係性を変化させる

 

ことが出来るという点に違いが生じてきます。
そして、充分な対話の産物としての価値観の違いなどがあるのであれば、そこに誤解が生じる隙間はそもそも生まれません。
相手と自分とでは、この部分が違うのだ、と確認する事が出来ているからです。
しかし、今回のテ-マにおいては、コミュニケ-ションがなされていないが故に、

 

自分の中での相手の人物像が勝手に創り上げられてしまう

 

という迷路にはまりがちになってしまいます。
そして、相手に対する勝手な人物像がエスカレ-トしていくと同時に、

 

そのような人物像を創り上げてしまっている自分の内面もドンドン変化させてしまっている

 

という点に繋がっていきます。
今回のテ-マでは、お互いに自分の事を心から好きになってくれるはすがない、、、という、

 

自分への自信の無さを、更に勝手に強化してしまっている

 

という所が迷路と言える所以にもなります。
そして、今回のテ-マも正負の両面が成り立ちます。
それは、

 

言わなくても分かってくれるだろう、、、という信頼・絆

そして、

言わなくても分かってくれるだろう、、、という甘え・依存

 

ポジティブな面では、「阿吽(あうん)の呼吸」や「以心伝心(いしんでんしん)」とも表現され得ますが、このような性質が自分本位の面に極端に作用してしまうケ-スもあります。
まさに、スト-カ-などのように、(自分勝手に)あの人は自分を好きでいるはずだ!などのような思い込みの場合にも当てはまります。
全てに対処出来る訳ではないかもしれませんが、スト-カ-などのケ-スでも、まずは、自分の本心を伝え、キッパリと断る事が第一歩となるとも言われています。

 

そして、コミュニケ-ションがなされていない部分が最も誤解を生じやすいとお伝えしてきましたが、そのことを頭の中に入れ置いて貰いつつも、もう一つ大切な点があります。
それは、どれほど身近な人であろうとも、

 

相手の内心に土足で踏み込んではならない

 

という点です。
あなたのことをよく知りたいから深い所まで教えて欲しい、とお願いしたとしても、相手の方の内心の事情というのも様々あるでしょうし、まだその時機(タイミング)ではないというケ-スもあります。
コミュニケ-ションがなされていない部分を知る事で、より良く相手の方を理解出来るというのも真実ですが、これが相手への押し付けになってしまっては本末転倒な事態を引き起こすキッカケにもなりかねません。
なので、このような際に、相手の内心を教えて貰う時には、

 

結果を期待せず

そして、

穏やかな口調で話しかけ、答えてくれる迄の充分な間を取ってあげる

 

という姿勢を持ってみて下さい。
そのような姿勢の元では、

 

今はお話したくない、あるいは、今は答えられない、という部分もハッキリと見る事が出来る

ようになり、この部分において、

自分勝手に相手の人物像を創り上げる隙間(誤解)を産み出さないようにする

 

という事も同時に達成する事が出来ます。
そして、このようなテ-マにおいては、では隠し事をするのは良いのか悪いのか?などの考えも浮かぶ事もあるかもしれません。
しかし、お話したくない、あるいは、答えられない、というのは一概に隠し事とも言えません。
なぜなら、このような場合に無理にでも隠し事はしないようにと押し付けてしまうと、

 

「嘘」を付かざるを得なくなる

 

というケ-スに繋がってしまう怖れもあるからです。
お話したくない、答えられない、という返事が「嘘」に化けてしまうと、双方共に不幸な結果を生み出しかねませんので、

 

どこまでなら聞いていいのかな・・・?という「腹〇〇分目」

 

という相手への思いやりも同時に心掛けてみて下さい。
そして、今回のテ-マに関しては、「職場という環境」では時に馴染み難い点もありますので、その点をコメント致します。
私が東京において行政書士の仕事をしていた際には、様々な会社とのお付き合いをさせて頂いておりましたが、全てではありませんが、職場というのはその中の環境を見ることで、より内実が見えてくる場合もあります。
この環境というのは人間関係も含まれていますが、このような環境に活気がある場合ではその会社が伸びつつあるというケ-スも多々ありますし、逆に、何か職場内での環境がギスギスしていたり、あるいは、あまりにも頻繁に入退社が行われている会社は、やはり何かしらの原因がある事も見受けられます。

 

確かに職場内の人間関係を良好にして楽しく仕事をしたいという思いも理解出来ますし、素敵な事とも思います。
そして、会社における社員や従業員という立場においては、その会社の利益の為に働いているという側面もあります。
しかし、最終的にはその会社自体が目を向けていくべき方向性は、その先にある「お客様」になります。

 

つまり、職場で行っている仕事というのは、最終的には「お客様たる消費者」に向けてのものでもありますし、ひいては「社会」へ向けてのものともなる事でしょう。
しかし、職場内での人間関係をあまりにも意識し過ぎてしまうが為に、誰のために仕事を行っているのか分からなくなるケ-スも多々見受けられます。
今風に言えば「忖度」とも言えるかもしれません。

 

そして、このような風潮が行き過ぎてしまうと、職場内での人間関係を損なわぬようにとの思いが高じ、行き過ぎた不正なども見過ごしてしまおう、と思ってしまうのも人の心にはある事と思います。
しかし、これをやり過ぎてしまうと、「お客様たる消費者」や「社会」から遠ざけられてしまうと同時に、結局は「自分の会社」を自分で貶めてしまう結果に繋がっていき、最悪は倒産というケ-スにもなりかねません。

 

そして、職場というのはあくまでお仕事をしてお給料を頂くという場所です。
そして、仕事においては意見や考えの違いなどはしょっちゅう起こっている事と思います。
しかし、やはり最終的には何かしらの決着をつけ前に進んでいく事が求められます。

 

そして、職場においては様々な家庭環境や境遇の方々が集まっています。
内心に抱えているものも人それぞれ様々でしょうし、どこまでなら内心の扉を開けられるか、というのも人それぞれです。
そして、仕事とプラベ-トはきっちりと区分けしたいという方もいらっしゃるかと思います。

 

このような職場という環境においては、今回のテ-マのようなコミュニケ-ションがなされていない部分というのを見極めるには、「腹〇〇分目」の程度を「腹三分目」などのように、まずは少なく見積もって置いた方が適切なケ-スもあります。
勿論、職場において「無二の親友」という縁に繋がる場合もあるでしょうし、それはそれで素敵な事と思います。

 

お仕事という環境においては、身近な人間関係におけるコミュニケ-ション上の「距離」と、職場内でのコミュニケ-ションにおける「距離」とでは、当然のことながら「違いがあるのが当たり前」という点を、まずは自覚してみて下さい。
職場におけるイジメなどの問題を見ていると、このコミュニケ-ションの「距離の違い」のズレが発端となっているケ-スもよく見受けられますので。

2017年7月23日 03:07

タイムマシ-ンは発明され得るのか・・・???

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

全国的にも暑い時期が続いておりますが、体調の方は如何でしょうか?
また、局地的な豪雨により、多くの方々が避難生活などを強いられている場所もありますし、災害に遭われた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、一刻も早く日常生活を取り戻す事が出来ますよう、心より祈念しております。

また、このように暑い時期が続きますと、ついついボッ~としがちになったり、何かに集中して取り組む事が億劫に感じられる事もあるかもしれません。
ボッ~とする時間を持つ事も大切な事ではありますし、心の洗濯にもなります。
しかし、暑さなどでボッ~としているような場合は、時にはうっかりミスなども起こりがちなケ-スもありますし、ポジティブな意味でのボッ~とした時間を過ごすのとは若干の違いもあるかもしれません。
そして、何より集中力が削がれる事が大きな要因であるかもしれません。

 

そこで、今回は意識して想像力を活用しながら、と同時に集中力をも回復させ、言わば「心と頭のマッサ-ジ」を目的としまして「タイムマシ-ンは発明され得るのか・・・???」というテ-マをお届け致します。
そして、今回のテ-マの内容は、前半は私の全くの「空想力」から書き始めていきます。
なので、「明確」な根拠というものはありません(笑)・・・が、しかし・・・

 

ところで、「タイムマシ-ンがあれば・・・」といった「空想」は誰しもが一度は行った事があるかと思います。
「1億円の宝クジが当たれば・・・」などのような「空想」も同じようなものです。
タイムマシ-ンと言うと、私自身は真っ先に「ドラえもん」のタイムマシ-ンを思い起こします。
のび太君の机の引き出しからドラえもんが出て来る姿がすぐに脳裏に思い浮かんでしまいます(笑)
また、タイムマシ-ンを扱った映画やドラマは今までも数多く描かれていますし、映画「バック トゥ・ザ フュ-チャ-」などはその代表例とも言えるかもしれません。

 

タイムマシ-ンとは、過去や未来を自由に行き来できる乗り物や装置です。
そして、このように自由に行き来できる際には、当然のことながら目的地たる到達点を設定する必要性が出てきます。
そして、この目的地には大きく分けて次のように4通りに大別される事が出来るかと思います。

 

① 近い過去(今の自分が存在している、幼少期などの過去)
② 遠い過去(今の自分が存在していない、平安時代などの過去)
③ 近い未来(今の自分が存在している、何かを達成した自分の将来などの未来)
④ 遠い未来(今の自分が存在していない、世の中はどうなっているんだろう?などの先の未来)

 

このような4つの行き先について、どこに向かいたいかは皆さんそれぞれの思いなどがあるかと思います。
近い過去に戻って馬券を当てる・・・近い将来に向かって大発明を先取りする・・・などは、よく映画やドラマでも描かれています。
このような思いが実現される事はほとんどありませんが・・・(笑)

ただ、このような馬券を当てる、大発明を先取りする、などというのは、動機が不純であるとかお金儲けの為という理由で実現されないとは私自身は思っていません。
勿論、映画やドラマにおいては、そのような不純な理由からは実現させない、という思いから描かれているのは承知の上ですが。
少し話が逸れてしまいましたが、映画やドラマにおいては、過去にせよ未来にせよ「ある守るべき事柄」がほぼ必ず描かれています。
それは、皆さんもご承知の事と思いますが、

 

過去や未来の出来事に干渉してはいけない
あるいは、
過去や未来の出来事に対しては最小限の影響で留めなければならない

 

などと言ったような約束事です。
ところで、皆さんは「バタフライ効果」という言葉を聞いた事はありますでしょうか?
「バタフライ効果」とは、

 

ある一匹の蝶々が羽ばたいただけで、世界の気象に影響を与える

 

などの説明がなされたりします。
このような現象が事実であるかどうかは証明されているものではありませんが、言わば、

 

どんなに些細な事柄でも必ず何かに影響を及ぼしている

 

という意味合いでも使われます。
日本風に言えば「風が吹けば桶屋が儲かる」と表現されるかもしれません。
また、これは「当てにならないこと」という意味合いにも使われます。
そして、先ほどの「バタフライ効果」においては、先の事を正確に予測することは不可能という意味で、「カオス(混沌・無秩序)」との関連性で使われたりもしています。

 

では、過去や未来に向かう際の、「ある守るべき事柄」をもう一度振り返ってみましょう。
この約束事は、過去や未来であれ「カオス(混沌・無秩序)」を引き起こさない為に考えられていると言われています。
では、あなたが過去であれ、未来であれ、先ほどの①から④までのどこかに向かった際に、

 

何事にも影響力を及ぼさない事は可能でしょうか・・・?

 

・・・、おそらくこれは不可能な事と思います。
仮に、タイムマシ-ンで空から景色を眺めただけで、地上の事柄には手を出していない、と感じるかもしれません。
しかし、「バタフライ効果」のように、タイムマシ-ンが空中のある一点に存在している事で、鳥が進路を変えているかもしれません。
また、地上から誰かがあなたのタイムマシ-ンを見かけたかもしれません・・・例え、たった一人の目撃者であり一瞬の出来事であったとしても・・・

 

では、まず、①と③の「今の自分が存在している」近い過去と近い未来に出向き、その関係性を見ていきましょう!

近い過去に向かう目的としては、「今の(成長した)あなた」から、まだ「幼少期のあなたなど」へのアドバイスをしたくなる事と思います。
しかし、これは既に、「今のあなた」は「過去のあなた自身」と接触する事になってしまうので、認められない事と思います。
では、近い未来に出向き「今のあなた」は遠くから「未来のあなた自身」を眺めただけ、というケ-スはどうでしょうか?
一見すると、「今のあなた」は「未来のあなた自身」と接触していないので、これはOK!じゃないの!?と思われるかもしれません。

・・・しかし、このような場合でも過去と同様に、未来においても認められない事と思います。
では、何故なのでしょうか・・・?
それは、

 

過去にせよ未来にせよ、「時空」を超えた瞬間から「ある変化」が発生する

 

からです。
繰り返しお断り致しますが、今回のTOPICSはあくまで私の「空想力」から出ているものであり、「明確」な根拠はありませんので(笑)
では、まず未来における変化を見ていきます。
「今のあなた」は「未来のあなた自身」と接触を持たなかった事は評価出来るかもしれません。
なので、「今のあなた」は「未来のあなた自身」へ何の影響力も行使してはいないと。
しかし、本当にそうでしょうか・・・?

 

まず、「未来のあなた自身」が成りたかった職業に就いているとします。
「今のあなた」はその未来の姿に自信を持ち、更に決意を固め、今後は更なる努力を積み重ねていくかもしれません。
次に、「未来のあなた自身」が考えもつかなかった職業に就いていて、「今のあなた」はその職業を好きではない、とします。
すると、「今のあなた」はこのままではダメで、何かを変えて行こうと決意するかもしれません。
もうお分かりでしょうが、ここでの「変化」という影響力を受けるのは、

 

「未来のあなた自身」ではなく「今のあなた」

 

という事です。
そして、これも至極最もな事で、

 

「今のあなた」が変われば「未来のあなた自身」も変わる

 

という事です。
繰り返しですが、どちらも直接的な接触をしている訳ではありません。
では、過去ではどうでしょうか・・・?
同様に「今のあなた」は「幼少期のあなたなど」と直接的な接触をする事は禁じられています。
なので、一見すると「幼少期のあなたなど」へ影響力が及ぶとは考えられません。
しかし、「幼少期のあなたなど」を客観的に見かける、あるいは、見つめる事が出来たお陰で、「今のあなた」の中には「次はこうすれば良いのに・・・」「ここが転換期だったなぁ・・・」「もう少し深く考えてから行動すれば良かったなぁ・・・」などのように、

 

やはり「今のあなた」の内面に変化が及ぼされる

 

という事は間違いありません。
なぜなら、「幼少期のあなたなど」を見た事によって、「今のあなた」は少なくとも「客観や俯瞰という視点」を持つに至ったからです。
これは一見すると「未来のあなた自身」に影響を及ぼす事はあっても、「幼少期のあなたなど」へ影響が及ぶ事はないのでは?と思うかもしれません。
しかし、過去にやって来て、「幼少期のあなたなど」を直接見たから「今のあなた」の内面に変化が生じました。
つまり、今、目の前で見ている「幼少期のあなたなど」と、内面に変化が生じた後の「今のあなた」とは、直接的な、言わば、時間的な連続性が分断されてしまう事により、過去の場合は何かしらの変化が生じた瞬間に「過去あるいは今のどちらかのあなた自身」は消滅してしまう事が考えられます(あくまで肉体上という意味です)。

 

このように、過去にせよ未来にせよ、タイムマシ-ンで向かい、到着した瞬間から「ある変化」が生じ、必ず何かしらに「影響」を与える事が容易に推測されてしまいます。
では、「最小限の影響」という「程度」で収まるのならば可能になるのでしょうか?
ここでは「想像力」を働かせてみて下さい。

 

タイムマシ-ンが既に発明されているという状況では、タイムマシ-ンは複数台ある事でしょうし、多くの方が似たような考えや思いを持って過去や未来に向かう事が考えられます。
そうすると「最小限の影響」という「程度問題」という事になりますが・・・この「程度」という問題は解決不可能です。

例えば、同じリンゴを食べても甘さや酸っぱさの感じ方は人それぞれ違います。
お酒をほんの一滴飲めば気持ち良くなる人もいれば、何杯も飲める人もいます。
お賽銭をする時に10円の人もいれば100円の人もいます。
99人の人が直接的な接触を行わないという約束を守ったとしても、中には、自分一人くらいであれば大丈夫だろう、と考える人は必ず出てきます。
つまり、

 

これ位であれば良いだろう・・・

 

という「程度の基準」は人それぞれ違うので、「程度」という「ある守るべき事柄」では規律を保てなくなるのは目に見えています。

では、次に②と④のケ-スにおいて、「今の自分が存在していない」遠い過去、あるいは、遠い未来ではどうでしょうか?
例えば、「あなた以外の過去あるいは未来の人」との接触は可能と判断された場合であっても、映画やドラマなどでもよく描かれているように、あなたの着ている洋服や身に付けている物、うっかりポケットに入れたままの携帯電話の存在、あるいは、話す言葉自体に違いが生じているかもしれません。
この時点で既に「影響力」を及ぼしてしまう事が考えられます。
そして、何より、

 

接触した人が、「あなた以外の(過去あるいは未来の)人」と断言出来るでしょうか・・・?

 

私はヒプノセラピ-(催眠療法)において前世療法なども行っていますが、過去や未来において接触した人が、

 

「前世のあなた自身」・・・の可能性もある・・・
そして、
「前世」が存在するならば、・・・当然のように「(未)来世」も存在する・・・

 

という結論に行き着きます。
そして、仮に「前世あるいは(未)来世のあなた自身」との接触が行われない場合であっても、

 

「今のあなた」のご家族や知人、あるいはご先祖様などの、あなたと関わりのある人の「前世あるいは(未)来世の存在」との接触が知らずに行われてしまう・・・

 

という可能性は、かなりの高い割合で起こり得るかと思います。

このように、今の自分が存在しているか否かに関わらず、タイムマシ-ンで向かった先において、何かしらの影響も残さないことが不可能とすると、タイムマシ-ンは発明され得ない・・・?のでしょうか・・・

・・・一つだけ過去と未来への影響を全く残さないようにタイムマシ-ンを活用出来るケ-スがあります。
それは、

 

パラレルワ-ルド(並行・多次元宇宙)の場合

 

です。
ここまでは私の「空想力」でしたが、このパラレルワ-ルド(並行・多次元宇宙)は量子学という学問において理論上は実証済の概念ですので、多少の信頼を置いて頂いて構いません(笑)

 

パラレルワ-ルド(並行・多次元宇宙)とは、私達の選択と決断により、その後の人生がほぼ無限に枝分かれしていくという現象です。
また、枝分かれというのは、人生の大きな岐路や分岐点だけとは限りません。
例えば、明日あなたが朝食にお米を食べるのか、あるいは、パンを食べるのか・・・
あるいは、最初の一口目にお米を食すのか、あるいは、お味噌汁を飲むのか・・・
など、様々な選択と決断の相違により、その後の人生も同様に変化していくという理論です。

 

勿論、そうとは言っても、このような日常における様々な事柄の選択と決断を常に意識することは不可能ですし、それ自体にはあまり意味はありません。
しかし、このようなパラレルワ-ルド(並行・多次元宇宙)においては、何故、様々な影響を及ぼす事なく、タイムマシ-ンが活用し得るのでしょうか?
それは、

 

過去にせよ未来にせよ、影響力が及んでも構わないパラレルワ-ルド(並行・多次元宇宙)に自然とあなた自身が移行していくから

 

です。
つまり、過去において「今のあなた」が「幼少期のあなたなど」に接触をして助言を与えます、あるいは、未来において「未来のあなた自身」から「今のあなた」が目的を達成するためのアドバイスを直接受けたとします。
このどれもが、

 

パラレルワ-ルド(並行・多次元宇宙)においては、全てが織り込み済み

 

だからです。
そして、「今のあなた」自身が変化する事により、

 

過去のあなた自身、そして、未来のあなた自身も、その変化に対応して自然と変わっていく

 

という現象が起こるからです。
「今の自分」が変わるのが先で、その後に「未来の自分」が変わるのは分かるが、どうして「過去の自分」が変わるのだろう?という感じを受けるかと思います。
このパラレルワ-ルド(並行・多次元宇宙)という概念においては、

 

「過去」も「未来」も、そして、「今」も同時に起こっている

 

というように考えられているからです。
つまり、

 

「今」を起点として「未来」も、そして、「過去」も、さらに変化し得る

 

という現象が既に「織り込み済みの世界」だからです。
そして、このような現象が「織り込み済みの世界」では、先ほどの、

 

カオス(混乱・無秩序)が入り込む余地がない

 

という特徴が見出せます。
つまり、

 

どのような事が起ころうと、どのような変化が起ころうとも、全ては実現可能という選択肢の中に収まっている

 

という事です。
なので、タイムマシ-ンがこれから発明される世界と、既に発明されている世界が同時に存在し、誰かが過去に向かった世界も、あるいは、誰かが未来に向かった世界も同時に存在しているという事です。
もう一度繰り返しますが、この点も私の「空想力」ではありません(笑)
あくまで、現在の量子学における理論においては既に「証明済みの世界」です。

 

なお、「織り込み済みの世界」と申してきましたが、この言葉は誤解を生みやすいので一言申し添えて置きます。
ここでの「織り込み済みの世界」とは、「運命」が決まっている、あるいは、「運命」は定まっている、という意味ではありません。
意味は、その「全くの逆」です。
その本来の意味は、

 

ほぼ無限の様々な選択肢から、あなたが自らの選択と決断を自由に行使出来る

 

という事です。
そして、「ほぼ無限」という意味は、あくまで人間の頭で考える事には自ずと限界が生じるからです。
そして、「ほぼ無限」という本来の意味は、

 

自然法則に反しない限りでは何事においても成し遂げられる可能性がある

 

という事です。
そして、このような様々な理論において最も大切な基礎や土台となっているのが、

 

(変化を起こす)起点となる出発点は「今、ここ」にある

 

という「共通事項」です。
このTOPICSにおいても、繰り返し「今、ここ」を大切に、とお伝えしていますが、これは、単なる励ましや気休めという事でお伝えしている訳ではありません。
カウンセリングにおいても、ヒプノセラピ-(催眠療法)や各種ヒ-リングにおいても、基本は「今、ここ」を起点とし、

 

これから先、どうなりたいのか?  これから先、どうしたいのか?  という「未来」を目指すことを目的とする
と同時に、
必要であれば「過去」の出来事の意味づけを変えて、「未来」の変化への加速素材としても活用する

 

という事が「同時に」行われています。
言わば、

 

あなたの心の中に既にあるタイムマシ-ンを活用している

 

とも言えるかもしれません。
そして、私達の多くがイメ-ジしているタイムマシ-ンとは、先程来からの過去や未来に移動する手段と捉えられている事が多いかと思います。
言わば、

 

時空間を自由に移動出来る手段

 

とも言えます。
2017年6月のTOPICS「この世とあの世の関係・・・そして、私達との関係は・・・」において、

 

三次元の特徴は空間と時間が存在すること

 

とお伝えしました。
私達が存在しているこの世界は三次元です。
二次元とは一枚の紙のようなものであり、四次元とは、この三次元の世界が連(つら)なっている世界と言われています。
そして、私達の誰もがこの三次元において紙のような二次元を容易に認識し使いこなせているのと同様に、四次元の世界から三次元を見渡すと、多くの謎や不思議が既に解明されている世界と考えられています。

 

そして、「ドラえもん」は四次元ポケットを活用しています。
そして、このような事から、「ドラえもん」が住んでいる未来の世界というのは、三次元を理解し含み込んだ四次元世界とも言えます。
そして、三次元という私達が現在住んでいる世界においても、ある意味、時空を移動するという事は既に行われています。

例えば、大昔には隣の「未知」の大陸を目指すのに、何ヶ月もの危険な状況における船での航海を行っていました。
しかし、今ではどうでしょうか?
隣の「既知」の大陸に、飛行機という乗り物で数時間で到着出来るようになりました。
これは大昔と比較すると、

 

時間と空間を短縮して移動出来ている

 

と言えないでしょうか?
三次元の世界を三次元の感覚だけで把握するのには困難を伴うかもしれません。
しかし、三次元の世界を四次元、あるいは、その先の五次元などの世界観から見渡していくと、比較的容易に今の三次元の世界を理解出来るようになるかもしれません。
実際に先程来からの量子学という学問の世界では、次元はさらに上の方(5,6,7次元・・・)にも複数ある事が理論上においては証明されていますし、何より、

 

実際に複数の次元が存在しないのであれば、「今、ここ(三次元)」の存在が証明出来ない

 

とも言われています。
私自身も、そして、今このTOPICSをお読みになって頂いている皆さんも、「今、ここ(三次元)」に存在していることは疑いようがありませんよね(笑)
そして、完璧とは言えませんが、既に私達の誰もがそのような世界を見渡す「道具」を手に入れています。
それが、

 

想像力

 

です。
今回私は「空想力」という言葉を活用しましたが、それは私自身が好きでよく見ていた「ウルトラマン」が、「空想特撮シリ-ズ」というタイトルで放映されていた影響が残っているからかもしれません(笑)
しかし、「想像力」にせよ「空想力」にせよ、本質はどちらも同じです。
そして、「想像力」は、ポジティブにもネガティブにも、どちらにでも活用出来てしまいます。
今回は「心と頭のマッサ-ジ」を目的としてお伝えしてきましたが、如何でしたでしょうか?
子ども心というのも、今回のようなテ-マで簡単に遊びながら思い出したり、取り戻す事も出来ます。
是非、興味のある方は、ご自身なりのテ-マを見つけて「想像力遊び」をしてみて下さい。

そして、もしかしたら、私達が気づいていないだけで、既に私達の周りには未来や過去からタイムマシ-ンでやって来ている人が存在しているのかもしれません・・・???(笑)

2017年7月16日 03:07

後半:天使の声と悪魔の声、そして憑依への対処法は・・・

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回は前回に引き続き、「後半:天使の声と悪魔の声、そして憑依への対処法は・・・」というテ-マをお届け致します。
なお、今回は多重人格にはコメント致しませんので、「(多重人格との比較も)」はタイトルからは省略しております。
そこで、まず前半の簡単なおさらいです。
それは、

 

憑依は怖いものではない

そして、

憑依を受ける理由や原因となっているのは自分自身である

そして、

全ては自分自身の内面に「理由・原因 = 答え」がある

 

という趣旨をお伝え致しました。
そして、今回は憑依という一種ネガティブに感じる現象をポジティブな面に変換し、そして、そのポジティブな面を実際の日常生活において役立てていくことを目標としております。
では、進めて行きましょう!

 

ところで、皆さんにおいても何かフトした瞬間に「気づきが訪れた」「素敵なアイディアが浮かんだ」あるいは「理屈ではなく、そう思えると感じる」などといった体験をされた事はありませんでしょうか?
このような体験というのは憑依現象とはみなされておりませんし、憑依のような怖い現象と捉えられる事もほぼありません。
しかし、

 

このようなフトした瞬間にもたらされる何かも憑依と本質は同じ

 

という点が共通しています。
では、どこが違うのでしょうか?
それは、

 

(全てではありませんが)憑依は自身のネガティブな面が浮き彫りにされ
そして、
気づきなどは自身のポジティブな面が導き出された

 

という「対象における側面の上での違い」があります。
そして、量子力学などの科学的な分野においては、

 

憑依は低いレベルのエネルギ-に感応した結果
であり、
気づきなどは高いレベルのエネルギ-を感知した結果

 

とも表現されます。
そして、ここで覚えておいた方が良い一つの視点が導かれます。
それは、

 

「ネガティブ・ポジティブ」あるいは「低い・高い」というのは、「善し悪し」という価値判断・基準とは違うもの

 

という視点です。
おそらく、多くの方が、

 

ネガティブ・低い = 悪し   ポジティブ・高い = 善し

 

という風に区別、あるいは、区分けしたくなる事と思います。
勿論、そのような側面が成り立つのも否定はしませんし、実際の日常生活おいては当てはまる面も多々ある事も事実です。
しかし、あまりにも単純に「悪し」あるいは「善し」と区別したくなるという事は、

 

それ自体が既に「ネガティブ・低い」という方面に引き寄せられている

 

という観点から起こりがちな現象としても当てはまります。
そして、一般的には、

 

怖い憑依現象は未浄化な霊が引き起こし
そして、
素敵な気づきなどは、ハイア-セルフや守護霊、などからもたらされる

 

と捉えられているかと思います。
勿論、これも間違いという訳ではありません。
しかし、

 

未浄化な霊も、元々は私達と同じく生きていた人間
であり、
ハイア-セルフや守護霊は、自分自身の本質の現れ

 

と言われています。
つまり、未浄化な霊と捉えようとも、ハイア-セルフや守護霊と捉えようとも、

 

本質は同じ源であり、広義の意味では自分自身

 

と表現する事も出来ます。
そして、

 

私達は誰もがネガティブ・低い側面と、ポジティブ・高い側面の両方を同時に、かつ、常に変動させながら生きている

 

という実状があります。
つまり、

 

私達は誰もが、憑依を受ける要素を持ちつつ、気づきなどをもたらされる要素も兼ね備えている

 

という状態です。
そして、このような状態というのは、

 

至極自然な事でもあり、当たり前な状態

 

でもあります。
では、何が憑依である場合と、気づきがもたらされる場合との違いを生むのでしょうか?
ここで、天使の声と悪魔の声の登場になります。

皆さんもアニメや漫画などで、一度は天使の声と悪魔の声という表現を目にした事があるかと思います。
例えば、ある小学生のお子さんが学校から戻ってきました。
すると、机の上におやつが置いてあります。
とても大好物のお菓子です。
そして、ここで、

 

悪魔の声:「お腹も空いてるし、手なんか洗わなくていいから、早く食べちゃえよ!」
一方、
天使の声:「ちゃんと手を洗ってから食べなさい、と言われているでしょう!約束した事はちゃんと守らなきゃ!」

 

などの場面です。
葛藤という表現でも当てはまるでしょうし、このような葛藤というのは、子どもさんの世界より、大人の社会における方が多いかもしれません。
これも一見すると、

 

悪魔の声 = 悪し  天使の声 = 善し

 

と区分けしたくなってしまうかもしれません。
しかし、先ほど「あまりにも単純な区別はネガティブ・低い方面に引き寄せられている」とお伝えしました。
では、どういう事か見ていきましょう!

 

まず、悪魔の声の「手なんか洗わなくていい!」という点に着目します。
何かを食べる前に、あるいは、外出から戻ったら手を洗うという事は正論でもありますし、大切な事とも思います。
しかし、これが「過剰」になり過ぎると、

 

極度の潔癖症や強迫神経症のような症状に繋がる可能性もあり得る

 

という点が推測されます。
では、一方の天使の声の「約束した事はちゃんと守らなきゃ!」という点に着目します。
これもまさしく正論であり、約束を守らないという事は信頼を失う原因にもなりますし、相手の方に迷惑を掛けるケ-スもある事でしょう。
しかし、これも「過剰」になり過ぎると、

 

あまりにも融通が利かない、あるいは、場や人間関係における柔軟性や空気を読む事が出来づらくなっていく

 

という点に繋がる事も推測されます。
そして、一見すると、悪魔の声に従う事は悪く、天使の声に従うのが善し、言わば、

 

悪魔の声は全てが間違っていて、天使の声は全てが正しい

 

と捉えられがちになるという事です。
繰り返しですが、このような事が悪い、あるいは、間違っている訳ではありません。
しかし、どちらの声にせよ、あまりにも頑なになってしまう、つまり、

 

あまりにも「過剰」になり過ぎると、逆の結果を生み出してしまう怖れもあり得る

 

というケ-スも起こり得るという事です。
そして、このような時に起こっているのは、

 

バランスを保つ事が出来ていない

 

という事です。
なお、バランスを保つとは、常に「5:5」であるとは限りません。人それぞれ、あるいは、状況や環境によっては「9:1」あるいは「6:4」など、様々に変化します。
そして、ここにも憑依現象と気づきなどがもたらされるケ-スとの違いを見出す事が出来ます。
それは、

 

憑依現象は、ネガティブ・低い、あるいは、ポジティブ・高い、のどちらにせよ、あまりにも「過剰」になり過ぎる時に起こりやすくなる

そして、逆に、

気づきなどのケ-スでは、バランスが保たれている、言わば、心が中立・ニュ-トラルのように開かれている時にもたらされやすくなる

 

と言えます。
つまり、憑依にせよ気づきのもたらしにせよ、どちらが善くてどちらかが悪く、あるいは、どちらが正しくてどちらかが間違っている、という単純な価値判断・基準のものではないという事です。
なぜなら繰り返しになりますが、憑依にせよ、何かしらの守護のような望ましい現象にせよ、

 

どちらもその本質は同じ源であり
そして、
仕組みは全く一緒である

 

からです。
そして、

 

そのどちらを選択し決断するかは、あなた自身の内面次第

 

という事です。
そして、どちらを選択し決断するかという場面においては、

 

心が中立・ニュ-トラルになっている

 

と言えます。
なぜなら、心が中立・ニュ-トラルな状態であるからこそ、

 

選択肢を発見出来ている

 

からです。
これが、心が「過剰」になり過ぎていると、

 

悪魔の声か天使の声かの、どちらか「一方しか」見えていない・聞こえていない

 

という状態だからです。
そして、選択肢というのは複数存在します。今回は悪魔と天使と区分けしましたが、大悪魔と小悪魔、大天使と小天使と区分けする事も出来ますし、そもそも、中立・ニュ-トラルな状態では、例えば犬を飼おうと思っている人が、チワワがいいかな?シェパ-ドがいいかな?というように、善悪の問題ではないという捉え方を自然と出来ていく事が、「理由・原因 = 答え」に繋がりやすくなります。

もし、あなたが迷っている時、あるいは、何かを決断しなければならない時など、

 

天使の声や悪魔の声などを想定する事により、あなたの心を中立・ニュ-トラルな状態に近づけやすくなる

 

というように活用出来ます。
そして、これは憑依などを見極める際にも活用出来ます。
例えば、理由も分からず、原因も見つけられず、何か不意に、ある感情に凌駕されそうになった時、

 

これは自分の内面から出ているものなのか?
あるいは、
自分の内面ではない所から来ているものなのか?

 

と、理性で分析するという方法です。
理性で分析すると、先程来の悪魔の声と天使の声などに分類しやすくなっていきます。
そして、このような声の多くは、生きている人間からの影響であるケ-スも多々あります。
それは、例えばあなた自身が自分の考えや意見にそぐわないと感じている場合などで、他の人から、

 

それが当たり前でしょ! そうあるべきでしょ!  それが常識というものでしょ!

 

と強く意見をされ、それに「無批判」で従いがちになってしまうような場合にも当てはまります。
勿論、人の意見に聞く耳を持つ事も必要であり、大切な事です。
しかし、「無批判」で受け入れるという事は、何か望ましくない結果に終わった時には「誰かのせい」にしがちになってしまう傾向が大きくなってしまいます。
このような側面からも、憑依であろうと日常生活においてであろうと同じ事です。
つまり、全てはあなたの内面にあるものであり、それが「理由・原因 = 答え」という「問題」提起となっています。
そして、

 

「問題」というのは見つけられてしまうと(気づかれてしまうと)、次第に力を失っていく

 

という特質があります。
このように理性で分析することで、

 

憑依であろうとも、見つけられてしまった方は、離れて行かざるを得なくなる
つまり、
気づかれた瞬間に、あなた自身と、そして、憑依をしている方とのエネルギ-レベルが変わり、混じり合っているのが困難になる

 

という風に導かれていきます。
このように、憑依にせよ、何かの素敵なもたらしにせよ、怖い良いなどという単純なものではなく、

 

憑依は何かが「過剰」になり過ぎているという、あなた自身からのメッセ-ジでもあり
そして、
心を中立・ニュ-トラルに心掛ける事で憑依を防げると同時に、気づきなどがもたらされやすくなる

 

という点を頭の片隅にでも置いておいてみて下さい。
そして、一番大切な点は、

 

どちらも全てはあなたの心の内面次第

 

という点です。
そして、あなたが正しいと判断した事は、胸を張って堂々と行動すればよろしいですし、あなたがダメだと判断した事は、毅然と断るという行動を取る事が大切になってきます。
そして、時が経過し、あなたの内面においても変化を感じてきた時は、過去の判断を修正しても構いませんし、さらにその判断を成長させても良いですし、新たなあなた自身の内面に沿って行動をしていけば良いだけです。
何となく結論めいたコメントですが、今回の真の目的はここではありません。
初めての前半:後半の試みですので、もう少しだけ続けて参ります(笑)

 

ところで、皆さんは以前に話題にもなった「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画をご存じでしょうか?
この映画の元になっているのが、漫画本「三丁目の夕日 夕焼けの詩」というものです。
そして、この漫画本の第29集に「初雪」という物語が掲載されています。

では、もう一つ質問致します。
皆さんは「へべれけ」という言葉をご存じでしょうか?
若い方の中には知らない方も多いかもしれませんね(笑)
「へべれけ」というのは、記憶を無くすほどお酒を飲み過ぎて酔っ払った状態、の事を表現している言葉です。
では、漫画本の「三丁目の夕日」から「初雪」の簡単なスト-リ-をご紹介致します(なお、細かな点は多少修正しておりますのでご了承下さい)。

 

ある所に、一人の男の子と、お父さん、お母さんの三人家族がいました。
そのお父さんは普段は無口で厳格な性格ですが、お酒を飲んで帰って来る時は、お土産を買ってきてくれたり、何か欲しい物を買ってあげよう、などのように、とても陽気な性格になるのでした。
しかし、次の日の朝になると、またいつも通りの、無口で厳格な父親になっているのです。

 

そして、とある夜に同じようにお酒を飲んで帰ってきたお父さんを見て、その男の子は子ども心ならではの発想で、「お父ちゃんに変な魔物が取り憑いているのかな?」と考えました。
すると、「へべれけ」と名乗る悪魔が「よく見破ったね」と、姿を現しました。
しかし、「へべれけ」は、「同じ悪魔でも自分は良い悪魔だよ」と、その子に伝えます。

 

なぜなら、会社などで様々なストレスを抱えている大人に対して、お酒を飲む事で少しでも発散になれば良いと思い、また、お酒を飲み過ぎて記憶を無くしても、ちゃんと家まで無事に送り届ける事が「へべれけ」の仕事だからです。
そして、その後は父親が酔っ払って帰って来る時にはいつも、その男の子は「へべれけ」の姿を一緒に見ていました。

 

しかし、男の子は成長するにつれ「へべれけ」の姿を見かけなくなっていきました。
そして、その男の子が大学生になった時に大失恋をしてしまいます。
そこで、その男の子はやけ酒を飲んで憂さを晴らしていましたが、ふと「へべれけ」の事を思い出しました。
しかし、空想の産物だったのだろう、と思い、その後もやけ酒を飲み続けていました。

 

そして、記憶を無くしそうになった頃、その男の子の元に「へべれけ」が姿を現し、「フラれてやけ酒を飲むなんて成長したなぁ~、そろそろオイラの出番だな!」と、男の子を家まで送り届けました。
そして、家に帰る道中で、その「へべれけ」はある嘘をついて、その男の子に、「たまには父親と一緒にお酒を飲んでやりなよ」と、アドバイスをします。

 

男の子はその嘘を信じて、産まれて初めて父親と一緒にお酒を飲みに行きました。
その席で、「へべれけ」がついた嘘はバレてしまいますが、実は、「へべれけ」はその男の子と父親の絆という時間を作ってあげたく嘘を付いたのです。
そして、結果的にその晩は、その男の子も父親もとても楽しくお酒を飲んで帰途につきました。
その二人の背後には、笑顔の「へべれけ」が二人に寄り添っているのでした・・・

 

というスト-リ-です。
・・・「へべれけ」は悪魔ですが、どうでしょうか・・・
悪い存在なのでしょうか・・・
それとも、良い存在なのでしょうか・・・

 

では、ここから今回のテ-マの真の目的に入っていきます!
まず、ほとんどの場合、憑依する霊の側には、

 

イタズラや危害を加えようという思いはない

 

という点です。
では、なぜ憑依が起こるのかと言うと、大きく分けて二つのケ-スがあります。
まず一つは、憑依をする霊の側が、

 

この人ならば自分の気持ちを理解ってくれるのではないか・・・

というケ-スと、

この人ならば自分を救ってくれるのではないか・・・

 

というケ-スに大別出来ます。
まず、最初のケ-スでは、人間の側が不安や悲しみ、寂しさなどの感情が、あまりにもネガティブかつ過剰になり過ぎている時に、同じような感情を感じている霊の側が、この人ならば共感してくれるのではないか?と「共依存」の関係に進んでいく場合です。
そして、二つ目のケ-スでは、その人間の側が持っているポジティブな部分の光に霊の側が自然と引き寄せられて起こる場合です。

そして、まず二つ目のケ-スでは、ここで憑依が起こっても、人間の側の方が成長をしているため、

 

自然と憑依をしている霊に物事を教え、諭している事になり
そして、その結果、
その霊が本来の場所に戻れるよう、言わば自然と「浄霊」という結果になっている

 

というケ-スです。
そして、一つ目のケ-スではネガティブな部分に霊側も人間側も同調し感応し過ぎているため、「共依存」という負の現象が現れてしまうという場合です。
しかし、この一つ目のケ-スにおいても、人間の側で、

 

これではダメだ! 私は前を向いてしっかり生きていくぞ!

 

などのように、心の内面が変わる事により、自然と憑依している霊を教え諭す事が成し遂げられていきます。
そして、この場合でも「共依存」から自然と「浄霊」という方向に向かっていきます。
つまり、どちらのケ-スにしても、

 

あなたの心の内面の変化次第で、自然と結果的に「浄霊」という事が行われている

 

という事になります。
そして、一つ目のケ-スでは、教え諭していても、生きている人間と同じように、中には聞く耳を持たない霊の場合は自然と離れていき、同じような人間を見つけては、また憑依を繰り返すという事をしてしまいます。
これも生きている人間と同じく、その霊自身の気づきの問題ですので、その霊の個性に任せるというようにする他はありません。
しかし、生きている人間の側の多くが心の内面を変化させていく事で、いずれは憑依出来そうな人間も少なくなり、その霊も何かを諭る事により本来の場所へと戻っていく事と思います。

どちらのケ-スにおいても、憑依が行われる理由の一つには、

 

理解や気づきをもたらす事により「浄霊」という現象が自然と行われる
という事と、
「浄霊」が行われるという人助け?魂助け?という役に立っている

 

という事です。
そして、何にせよ、このような「浄霊」が可能となるのも、

 

あなたの心の内面次第

 

という事です。
逆に言えば、いくら「除霊」と称して取り除いても、心の内面が変わらない限り同じ事が繰り返される可能性が高くなります。
そして、憑依がなされる理由の一つというのが、

 

除霊のためではなく浄霊のため

という事が分かると、実は、

あなたの内面を見つめ、そして、変える点は変えましょう

 

というあなたへのメッセ-ジにも同時になっているという事です。
それに加え、人助け?魂助け?も同時に行われているという点です。
そのように見てくると、

 

憑依とは怖いものでもなく、また、憑依とは悪いものでもなく、全ては自分の内面次第で変えられる

 

という点がご理解頂けるかと思います。
そして、「浄霊」や「除霊」という何かオドロオドロしい言葉を用いましたが、実は、このような事は頻繁に日常的に行われています。
カウンセリングや各種セラピ-・ヒ-リングにおいても心の内面への働きかけが行われている事で、実感があろうと実感がなかろうと、自然とこのような「浄霊」は行われている、とよく言われています。

 

そして、あなた自身の事では、本や映画、あるいは、歌など何でも構いませんが、そのような何かから気づきを得て行動が変わっていく時にも同じような事が行われていますし、散歩や運動などをして、心と肉体をしっかりと結びつけるような時にも同じです。
また、誰かのお話を聞いてあげて、その相手の方が次第に落ち着きを取り戻していく時、あるいは、一緒に食事をしたり買い物に行ったりなどして前向きになる寄り添いをしている時など、自然と無数の様々な役に立つ事が行われています!

 

今回は前半:後半という初の試みと、「憑依」という踏み込んだテ-マを選びましたが、これは現実逃避のためでもなく、オカルト的な要素を扱っている訳でもありません。
日常生活における「今、ここ」に活用し役立てていくためのものです!
そして、私自身は何かが見えたり、聞こえたりしている訳でもありません(笑)
ただ、・・・自分の内面に浮かんでくる様々な思いや考えなどを、「理性」も活用しながら、そして「言葉」という道具を活用しながら、日常生活に活かしていく事を趣旨としてお届けしております!

 

ちなみに、皆さんの中でもお酒を飲んでいる席において、頻繁に、そして、過剰に泣いたり笑ったり、といった方を見かけた事はありませんでしょうか?
もしそのような場合には、相手の方が了承してくれるのであれば、肩甲骨の真ん中の少し上の辺りを、手でさすってあげたりすると落ち着いてくるケ-スが多々あります。
よく、背筋に悪寒が走る・・・という言葉を聞いた事はありませんか・・・?
そのような際には、宜しければ試してみて下さい(笑)

2017年7月9日 02:07

前半:天使の声と悪魔の声、そして憑依への対処法は・・・(多重人格との比較も)

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

早くも2017年も半分が経過し、7月に入りました。
気温も日々高くなってきていますので、熱中症などにも、どうぞお気を付け下さい。
ところで、この7月で、お陰様でS.Light.Mも開設から3年を経過し、4年目に入っていきます。

そこで、3年が経過し4年目へと入ることを契機としまして、私自身も少し「自己表現」を広げていこうと思っております。
それは、この3年間を振り返ってみますと、社会や世の中が益々混乱の極みに向かっているようにも感じてしまうからです。
とは言っても、今までと同様に偏ることなく、また、検証可能な科学的な視点なども更に取り入れて、あくまで「実生活」において役立てる事を目的として進めていきます。
そして、社会やこの世には、物事を円滑に進めていくための「方便」という手法が存在しています。
よく「嘘も方便」という使われ方もなされたりします。
「今、ここ」は「社会」であり「この世」なので、「方便」を活用しても良いですし、役立っている部分も勿論あります。

しかし、ここ3年程の状況を見渡していると・・・

 

この「方便」が、あまりにも「本質」を覆い隠してしまっている

 

という点がとても気になります。
つまり、「方便」が肥大化し過ぎ、「本質」の存在に気づきづらくさせているように感じます。
そして、「本質」が自らの存在を気づかせるためには、自らを覆い隠している「方便」を揺るがす必要性が生じてしまいます。
まさに、足元を揺るがす、というような状況が起こりやすくなってしまうかも・・・、という懸念です。

そこで、まだ今ならば、そのような事態を経験する必要性もないという事も含めまして、今回は「天使の声と悪魔の声、そして憑依への対処法は・・・(多重人格との比較も)」というテ-マでお届け致します。
ところで、「憑依」というと、ほとんどの皆さんが「オカルト」的と感じ、嫌悪感すら覚える事も多いかと思います。
そのようなお気持ちや感じ方もよく理解出来ます。

 

しかし、S.Light.Mにおいて開催しているヒプノセラピスト認定講座においても、「自動書記」や「ペンジュラム ワ-ク」という手法も扱っています。
そして、ここでは「自動書記」や「ペンジュラム ワ-ク」において現れる現象が、時には「憑依」のような現象も一部見受けられるケ-スも実際に存在する事から、注意点なども含めて教えております。
つまり、ヒプノセラピ-(催眠療法)や、心理学などの学問においても、「憑依」が単なる「オカルト」的な対象ではなく、学術的にも考査の対象として捉えられ、そして研究されているのが実際の所です。
そして、近頃は「本質」が「方便」で覆われ隠され過ぎているのでは?とコメント致しましたが、「オカルト」という用語の本来の意味は「隠された」という意味です。
言わば、「方便」により「本質」が隠されているのでは?という視点と全く同じという事になります。
それでは、今回のテ-マを進めて行きます。

 

ところで、ここ連日、ある女性国会議員の秘書への暴言などが取り沙汰されています。
実際の音声が残されていた事から、多くの人の注目を集めていますが、まずパワハラの域は軽く超えているのは間違いありません(なお、パワハラも絶対に行ってはならないものです)。
そして、ここでまず大前提として皆さんにご理解頂きたい点があります。
それは、

 

(他の問題も同様ですが)この種の問題においても、男性と女性の別は全く関係ない!

 

という点です。
と言うのも、一部の政治家の発言や、TVの一部のコメンテ-タ-?的な方の発言の中には、「このような暴言などは女性特有なもの」「女性にありがちなヒステリ-現象」などのような、あまりにも的外れなコメントが流されているのがとても危惧されるからです。
このような事は、「女性」に特有なものでも全くありませんし、そのような根拠も全くありません。
そして、「女性」に対して失礼のみならず、「男性」においては「多少の傲慢さ」は許容される、との意味合いが裏に含まれているようにも感じ、同じ「男性」としても許容されるものではないという事です。

 

それでは、進めて行きますが、今回報道されている国会議員の方の暴言は音声のみなので行動は正確には分かりませんが、まず一つに常軌を逸したような激情に翻弄されたような言葉、そして、よく分からないメロディ-?的なものに乗せた赤ちゃん言葉の多用、そして、国会における質問答弁の姿、という少なくとも「3つの顔」が見受けられます。勿論、その他にもご家庭での顔など様々ある事でしょう。

ところで、このような「複数の顔」については、よく、

 

多重人格では?

 

という事が言われたりします。
多重人格においても、子ども時代や過去のトラウマなどの抑圧により、自己防衛のために新たに産み出された人格などと説明がなされたりしますが、実際の所は分かっておりません。
そして、多重人格において一般的に現れる現象においては、

 

本人の個性(主人格)は脇に追いやられてしまう
つまり、
別の人格(副人格)が行った言動は、本人には記憶がない

 

という点がよく見受けられます。
そして、このような現象は、

 

一部の憑依においても同じ現象が見受けられる

 

という点が共通しています。
つまり、このように共通した現象は見受けられるが、多重人格にせよ憑依にせよ、明確に原因や理由が解明されていないという点が厄介に感じられる所に繋がっていきます。
そして、今回の国会議員の方が憑依されているとは敢えて申しませんが、さらに厄介さを伴う理由の一つとして、

 

自分という意識を保ちながらも憑依を受けている

 

というケ-スです。
先の、多重人格や一部の憑依現象においては、記憶がない、という点から、他の人からの指摘や、自分の中でも何かがおかしいなぁ、と気づきやすいという側面がありますが、自分という意識を保ちながらの憑依は、

 

なかなか気づきづらい

 

という側面があります。
というのも、周りの人から見ても、あの人は最近疲れているのかな?あるいは、ストレスが溜まっているんだろう、などのように、別の原因としてすり替えられてしまうケ-スが圧倒的に多いからです。
そして、時には精神の病として扱われたりもしています(なお、脳の損傷などや、何かしらの体の不具合によって、言動の異常などが引き起こされるケ-スも確かにありますので、そのような場合には専門医の診断を仰いで下さい)。
勿論、本人もそのように最近忙しかったので疲れているのかな?と感じてみたり、あるいは、そもそも自分は今までと変わりはない!と思ってしまう事により、気づきづらさを更に増してしまいます。
では、このような場合にどう対処していけば良いのでしょうか?

まず、大前提を覚えておいて下さい。
それは、

 

憑依する側にも理由はあるが、最大の理由や原因となっているのは自分自身である

 

という事です。
つまり、

 

憑依する側だけが悪いのではなく、それを許してしまっている自分自身にも問題がある
(なお、「悪い」という言葉を用いていますが、「自分自身の問題」が「悪い」という意味合いではありません)

 

という事です。
この点を理解しておかなければ、一時的に憑依を剥がす事が出来たとしても、また同じ事を繰り返してしまう事になります。
そして、自分自身が行った言動などは、

 

憑依現象であろうと、自分自身の内面から出ているものであろうと、他の誰かや何かの責任にする事は出来ない
つまり、

 

言い訳にはならない

 

という点です。
とても厳しく聞こえるかもしれませんが、理由や原因がなければ憑依現象に遭遇する事はないからです。
もし仮に、全くの理由や原因もなく、むやみやたらに誰にでも憑依が行われるとすると、「人間」というのはとうの昔に存在し得なくなっている、という結果に繋がっているはずだからです。

そして、ここに解決の糸口も同時に見出す事が出来ます。
理由や原因もなく、やたらめったら憑依される事がないとすると、

 

やはり憑依される理由や原因はその人にある

 

という事になります。
そして、憑依される理由や原因は、

 

その人の外面(外側)にではなく、その人の内面(内側)にある

 

という事です。
実は、このような憑依現象というのは、程度の差はあれ、私達の誰もが日常的に体験しているとも言われています。
例えば、時折、理由もないのに、何か憂鬱に感じたり、イライラや不安・動揺などを感じたり、あるいは、ふと、もの悲しくなったりした事がある、といった経験はないでしょうか?
勿論、このような事の全てが憑依現象ではありません。
そのほとんどは自分の内面から出ているものです。

 

しかし、憑依という現象は、そのような何かしらの感情に引き寄せられた時によく起こります。
つまり、自分の中で何か鬱屈感などを感じたりしていると、それに引き寄せられて、理由も分からずにその鬱屈感などが更に増幅されてしまうといった感じです。

そして、私達は誰しもが喜怒哀楽などの感情を持っていますし、このような感情を無くす事は出来ません。また、そもそも無くす必要性もありません。
なぜなら、そのような感情を味わい、そして、それを自らがコントロ-ルする術を学ぶ事も人生の目的の一つだからです。
なので、このような感情を感じたからと言って、すぐに憑依を受けるという事もありません。
では、どのような場合に憑依を受けやすくなるのでしょうか?
それは、

 

鬱屈感などの何かしらの負(ネガティブ)の感情を、あまりにも抱え込み過ぎている時

 

と言えます。
そして、

 

このような負(ネガティブ)の感情を無意識ながら日常的に感じる事に慣れてしまっている時

 

に最も憑依を受けやすくなると言えます。
そして、

 

負(ネガティブ)の感情を感じる事が、あまりにも日常的になってしまっているが為に、憑依を受けていても気づかない

 

という事に繋がってしまいます。
なぜなら、

 

「日常的」というのは「自分自身」という意識を保っている

 

という事だからです。
では、このような憑依を体験しない為にもどのようにすれば良いのでしょうか?
答えは簡単です。

 

あなたの内面を知り、正(ポジティブ)の感情に意識を向けた日常生活を心掛ける

 

という事です。
そして、私達は万能ではありませんし、感情の浮き沈み、言わば、バイオリズムというのは日常的に当たり前に起こっているものであり、とても自然な事です。
なので、常に感情を万全の状態にしなければ、という事は必要ありません。
時には負(ネガティブ)の感情を感じる事も当然のようにありますし、それで構いません。
負(ネガティブ)の感情を感じる事により、改めて正(ポジティブ)の感情に気づき、反省も含めて今後はより良い人生にしていこう!というキッカケとしても充分に活用出来るからです。
大切なのは、

 

負(ネガティブ)の感情に偏る事なく、正(ポジティブ)の感情にも目を向け、バランスを意識する

 

という事です。
そして、このように自分の内面を見つめ、バランスを取る事を心掛けていれば、

 

仮に憑依を受けていたとしても、自然と離れていく

 

という結果に落ち着きます。
つまり、

 

本来、憑依現象は自らで解決出来る

 

という性質のものという事です。
なので、

 

憑依を徒(いたずら)に怖れる必要性は全くありません!

 

という事を覚えておいて下さい。
このように憑依現象というものであっても、自らの内面にある力で解決も出来ますし、逆に言えば、自らの内面の力でしか最終的には解決出来ないとも言えます。
なので、仮に誰かから憑依を剥がして貰ったとしても、

 

自分の内面が変わらなければ同じ事の繰り返し

 

になってしまうという事です。
そして、このような事を覚えておいて頂ければ、仮にあなたが誰かから「悪い霊が憑いているので捕らないといけません!それには100万円かかります・・・」などと言われたような時であっても、

 

ありがとうございます。それでは、私は自分自身で、自分の内面を変えるよう心掛けていきます!

 

と答える事で解決してしまいます。
全ての人とは言いませんが、このような悪い霊などと称して詐欺を行うような人にひっかかる事もなくなります。
そして、憑依というのはオカルト的な用語ではありますが、実は、同じような現象は生きている人間同士でも頻繁に起こっているものです。
例えば、誰かとお話していて貰い泣きをしたり、あるいは、自分の事ではないけれど自分の事のように誰かと喜び合ったり・・・など様々あります。
そしてこれは、

 

ポジティブな「共感」

 

という範囲になります。
しかし、例えば一見貰い泣きのように見えて、「実は・・・私はもっと不幸なの・・・」・・・「聞いて、それよりも不幸な事が起こったの・・・」のように、まるで不幸の自慢大会のようになってしまうケ-スもあります。
これは、

 

ネガティブな「共依存」

 

の状態です。
そして、この世で怖れられている憑依というのは、

 

ネガティブな「共依存」と同じ

 

という点があります。
「共依存」は生きている人と行おうが、あるいは、憑依という現象を通して行われようが、負のスパイラルに嵌(はま)まっていくのはどちらも同じ事です。
そして、得てして、

 

憑依のスタ-トとなり得るのは生きている人との「共依存」から

 

というケ-スもあります。
つまり、

 

日常生活における「共依存体質」に引き寄せられて憑依に繋がる
(なお、「体質」というのは「肉体上」の事ではなく、「心・内面」の性質の事を指しております)

 

という事です。
ここまでお読みになって頂ければ、

 

憑依は怖れるものでもないし、日常生活を自分に出来る範囲内で大切にする

 

という事だけであなたには憑依は不要のものとなります。
そして、私個人的には、憑依よりも生きている人間の側の、イジメ、妬(ねた)み、嫉(そね)み、僻(ひが)み、逆恨みなどの方がよっぽど怖いと感じますが・・・
そして、「憑依」というテ-マを散々扱ってきて今更言うのも何ですが(笑)、あなたの「理性」も同時に活用して下さい!

 

そして、今回のTOPICSは初の試みとして前半・後半の二段階になりますが、今回の前半は憑依に関して「怖れ」というネガティブな部分を幾分「本来は怖いものではない」というニュ-トラルに近い所に向かわせる事を行ってきましたが、次回の後半では、天使の声と悪魔の声という比喩も活用しながら、心のバランスの保ち方などをご紹介し、憑依をさらにポジティブな面へと向かわせる事をお伝え致します!

 

ちなみに、最後までお読み頂いた方の中に、もしかしたら、私も憑依されているんじゃないか!?と、まだ若干の不安などを感じている方もいらっしゃるかもしれません(笑)
まず最初に、大丈夫です!
憑依にせよ何にせよ、全ては自分の内面の問題ですので、その問題を見つけてしまえば、その問題はあなたに見つけられた事により徐々に力を失っていきます。
そして、ここまで今回のTOPICSをお読みになって頂いたという事は、あなたの中で、必ず何かしらの気づきを既に得ていて、そして、内面にも変化が現れています。

 

しかし、どうしても不安などを感じる場合は、あなたの心の内面を、ほんの少しだけポジティブな方向に傾けてみて下さい。
方法は様々ありますが、難しくする必要性は全くありません。
好きな音楽、本、映画、絵、漫画などを堪能する事でも構いませんし、軽い散歩をするなど何でも大丈夫です。
要は、あなたが気持ち良くスッキリ出来ればそれでOKです。

 

例えば私であれば「好きな歌」を活用したりします。
一生大切にしていきたい「好きな歌」は幾つもありますが、今回のテ-マに絡めると、ポジティブな方面に自分の心を向かわせる時には、私自身はSMAPの「オリジナル スマイル」を時折聞いたり、あるいは、カラオケなどでも歌ったりしています(笑)
たったこれだけの事で、そして、好きな事からも、無用な憑依は防げますし、また、剥がす事も出来ます!
全ては自分の内面の問題だからです!
そして、このような「遊び心」や「楽しむ心」から試してみようと思う時、それは既にあなたの心の内面がポジティブな方向に動き出している証ですので、ドンドン活用してみて下さい(笑)

2017年7月2日 03:07

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