改めて魂(の年齢)という視点

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

GWに入りましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
私も先日、恒例の弘前公園の桜を観に行ってきました。外国人観光客の方も多くいらっしゃって、桜に限りませんが自然の美しさには様々なことを超えた「理解(わか)り合える共通の思い」という力もあるのだろうなぁと感じたりしました。

 

ところで、今に始まった事ではありませんが、ここ立て続けに政治家の失言?や問題行動などが明るみに出てきています。
そして、北朝鮮情勢などでも少し冷静さを欠いた報道を行っている番組も見受けられるようにも感じます。
このような社会や世界情勢を見渡しますと、全てではないですが、部分的に従来の価値観や視点などでは「手詰まり感」が出てきているようにも個人的には感じています。
そこで今回は「改めて魂(の年齢)という視点」というテ-マで進めて参りたいと思います。

 

なお、今回のTOPICSは私の個人的見解が多数を占めているのと、科学的に証明されているものではありません。
また、魂を信じる信じないという視点ではなく、これから先も続いていく人生において、ポジティブな捉え方をするのか、あるいは、ネガティブな捉え方をするのかという「視点の変化」をテ-マとしております。

まず、今回のような政治家の言動や行動においては、

 

魂(の年齢)があまりにも幼すぎる

 

という点が共通しています。
ただ、成長や進化という側面から眺めると、幼い点があるということは至極当然であり自然なことでもあります。
幼い点があるというのは私自身も同様ですし、皆さんにもあることと思います。
ただ、今回のようなケ-スでは、

 

自分のことだけに固執して(自分だけが可愛すぎて)、他の人や状況を思いやる「想像力」があまりにも欠け過ぎている

 

という点が一番ポイントになっていると思われます。
皆さんも小さい頃に次のようなことを言われた覚えはないでしょうか?

 

自分がされたら嫌なことは、他の人にもしてはいけないよ・・・

 

と。
このようなことも小さい年齢ながらも「想像力」を活用して、他の人や状況を思いやるという学びを既にしていることになります。
そして、これも皆さんもお気づきかもしれませんし、もしかしたら実体験としてよくあることと思われますが、

 

人は(肉体上の)年齢を重ねたからと言って、自然と成長するものではない

 

という点です。
「いい年をして恥ずかしい」などの言葉は誰しも耳にしたことはあろうかと思います。
そして、(肉体上の)年齢を重ねるにつれ誰しもが成長出来るのであれば、

 

職場などにおけるパワハラやセクハラなども起こりようがない

 

ということに繋がっているはずです。
しかし、現実の社会においてはこのような幼すぎる言動や行動が年々エスカレ-トし、増え続けてきているようにも感じます。
そして、このような一端としては、

 

私達は(肉体上の)年齢を重ねていくと同時に、叱られることも少なくなっていく

 

という点も挙げられます。
勿論、叱られることがない方が良いかとは思いますが、ここでの叱られるとは周囲の人から叱られるということだけではなく、

 

自分で自分の内面を見つめることを疎(おろそ)かにしている

 

ということです。
そして、このようなことが何故大切かというと、どれほど周囲の人から叱られようと、

 

自分の言動や行動を律することが出来るのは自分自身でしかない

 

という大原則があるからです。
この大原則とは「自由意思」や「自己責任」のように、形を変えて表現されることもあります。
このような幼すぎる魂(の年齢)のケ-スでは、教え諭すということも勿論必要ではありますが、時には転んでいるのを辛抱強く見守るということが必要なケ-スも出てきます。
勿論、転んでいるという状況が他の人を傷付けたりするような場合には、未然にそのような言動や行動を抑えることも必要になるケ-スもあることと思います。

 

そして、今回のケ-スのような社会的にも良くも悪くも影響力を持っている幼い魂の場合に、私達自身として気づいておかねばならないポイントがあります。
それは、

 

自分の中の幼い点が共鳴するのを防ぐ

 

ということです。
これを分かりやすく言うと、どのような暴言や言動を取ってもこれ位のことで許されるならば、

 

自分もその位のことを行ってもそれほど批判されないだろう(許されるだろう)

 

と、自分の感性がドンドン鈍っていく怖れがあるという所です。
この感性がドンドン鈍っていくということが、

 

さらにエスカレ-トした言動や行動に繋がってしまう

 

という状況を創り出してしまいます。
このようなことは、先ほどのパワハラやセクハラなどに当てはめて想像してみると容易に理解出来ることと思います。
人間関係などでは様々なトラブルが起こりがちではありますが、そのような際は、

 

相手の(肉体上の)年齢ではなく、魂(の年齢)を捉える

 

という視点を持ってみて下さい。
そして、相手の(肉体上の)年齢に関わらず、毅然とした態度を取ることが大切になってきます。
なお、毅然とした態度とは、相手を威圧することや萎縮させることではありません。
あなた自身の魂(の年齢)に沿った言動や行動を取るという意味合いです。

 

そして、魂(の年齢)から導かれるもう一つの視点には、やはり「前世」の意味ということが挙げられます。
一般的な前世における説明とは、

 

私達は何度も何度も生まれ変わり、幾多もの経験を経て学んでいく

 

という視点です。
そして、何度も何度も生まれ変わるというのは、

 

様々な時代における様々な地域や国、文化や習慣、宗教観などの大半を既に経験している

 

という意味合いです。
勿論、より深く学ぶために同じ地域や国などを幾度も経験する魂もあることと思います。
一方では、二度と生まれ変わりたくない経験をした時代や習慣などの思いを持っている魂も存在していることもあるかと思われます。
そして、このように様々な経験をしてきている魂という存在にとっては、

 

解決出来ない状況などは本来存在しない

 

ということを知っているとも言われています。
そして、幾度か前の人生においてあなたが経験して学んできたことを、

 

「今」初めて経験し学んでいる魂も存在する

 

という視点を持つことが、様々な解決には必要になってくるかと思います。
と言うのも、仮にあなたが幾度か前の人生において経験したことを、二度と繰り返してはならない、と思っている場合など、

 

「今」経験している魂に対して、より良い変化への智恵を授けてあげることが出来る

という点と、

あなたが二度と繰り返してはいけないと思っている状況の経験などを、破壊や奪い取ってしまうような言動や行動では解決にならないと知っている

 

という視点を既に持っているということです。
なぜなら、そのような破壊や奪い取るということは、

 

あなたが経験してきた前世の自分の学びを否定してしまう

 

ことになるからです。
そして、あなたがこの地球上のほぼ全ての地域や国において様々な経験をしてきているということは、

 

争いや戦争で解決出来ることはない、ということも知っている

 

という視点をも既に持ち合わせているということです。
このようなケ-スは「幅広い前世」という視点ですが、身近なことにも当てはまります。
私が行政書士の仕事をしていた際に、その中には離婚に関する相談というのもありました。
離婚すること自体に良い悪いなどの判断は下さない方がよろしいかと個人的には思っていますが、前向きな離婚なのか?後ろ向きの離婚なのか?の違いはあるようにも感じます。
そして、中には子どもを巡って争いになるケ-スもあります。
つまり、

 

子どもを親の所有物と思い込んでいる

 

という親側の視点です。
しかし、魂(の年齢)という視点から見ると、

 

子どもは親を選んで産まれてくる

そして、

その子どもは親よりも魂(の年齢)が高いケ-スも多々ある

 

ということが言えます。
親の役目というのが、子どもが社会(現世)において自立・自律出来るよう手助けしてあげるという点にあるとするならば、

 

子どもを所有物のように離婚の争いの種にするのは本末転倒

 

なことと理解出来るかと思います。
そして、このような子どもが産まれてくるケ-スや前世などを考えると、

 

魂というのは消滅することもなければ破壊されることもない

 

というポイントに行き着きます。
そして、様々な辛く苦しい状況や環境などがあるのだろうと心中を察する点もありますが、このような魂の視点からは、

 

自殺をしてはいけませんよ

 

という所にも帰結していきます。
今回のTOPICSにおいては、普段よりも少し強めで極端な表現も活用してきましたが、これは私が皆さんを説得したり納得させたいという趣旨では全くありません。
今回のテ-マのような「魂」という存在を扱う時は、科学的な証明もされておりませんし、オカルト的でもあり単なる空想や妄想と捉えられるケ-スが多いかと思われます。
ただ、逆に言えば今の所は証明はなされていないが、魂は存在しない、とも言えないとうことも同時に当てはまります。

そして、今回のテ-マを敢えて改めて選択したのは、先ほどコメントしたように、

 

現状を見渡すと、従来からの価値観や視点だけでは「手詰まり感」があるのでは?

 

という所にあります。
そして、最も大切なことは、誰かを傷つけるでもなく、自分の考えのみを強制するでもなく、

 

自分の中の視点を変え、より大きな視点を考えることによって、「今」これからの人生を輝かせる

 

という点にあります。
そして、魂(の年齢)という視点から、幼い魂や前世という視点を組み込むことにより、

 

他の人(魂)を傷つけることなく、他の人(魂)を尊重しながらも、自分(の魂)の成長を成し遂げることも出来る

 

という点です。
そして、魂の存在を信じるか信じないか、あるいは、前世を信じようが信じまいが、また前世があるとして、前世がどこの何者であったのか?などの事象は、さほど重要なことではありません。
大切なことは、

 

経験における意味付け
と、
「今」、そして、これから先の人生に役立てる視点

 

ということです。
そして、全てを経験して学んでいくということになれば、幾つ前世があっても足りないことになってしまうことでしょう。
また、望まない経験というのも多々あるかと思います。
そして、それを解決していくには、子どもが学ぶように、

 

「想像力」を活用して学んでしまう

 

ということです。
また、経験から学ぶという中には、

 

本当に大切なことに気づく

 

という視点が含まれています。
そして、本当に大切なこととは、人それぞれ様々あるかと思いますが、

 

時代が違えど、地域や国、文化や習慣、宗教観などが違えど、変わらずに今もこれからも存在し続ける何か

 

と言えるかもしれません。
そして、それを探し見つけていく際には、

 

私達一人一人が自分で考え、自分の中で気づき、それを自覚し行動していく

 

ということです。
誰かに強制されることでもありませんし、人それぞれの辿る道やペ-スというのも様々であり、それで良いということです。
そして、誰にでもある幼い魂の部分を、

 

よりバランスを取り、より調和させていく

 

ということを意識するだけでも、自分の中が整理されていくことと思います・・・

2017年4月29日 02:04

過去の自分との訣別

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

4月も後半に入り、間もなくGWの時期にも差し掛かろうとしているこの頃ですが、この春から新入社員や新入生になった方や、異動により新しい仕事を覚える必要性が出た方、あるいは、何か新しい事を始めようと試み実行されている方など多数いらっしゃるかと思います。
このような新人の方や初めて何かを覚える際に、スタ-ト仕立ての頃は「ル-キ-」と呼ばれることがあるかと思います。
勿論、「ル-キ-」であることに年齢制限もありませんし、男女の別もありません。

ところで、10年程前に「ROOKIES(ル-キ-ズ)」というドラマが放映されていました。
あるいは、このドラマの主題歌でもある〈GReeeeN〉の「キセキ」という歌を知っている方も多いかもしれません。
そこで今回は「過去の自分との訣別」というテ-マで進めて参ります。

 

このドラマの設定は高校野球生活を取り上げていますが、ある試合での暴力事件により出場停止になり、その後、喧嘩三昧などで荒れ果てていた野球部員が、ある「先生」の登場をきっかけとして、その後いかに変化を遂げていくかを描いた物語になっています。
私が小さい頃から観ていた金八先生とはまた違った、泥臭く、汗臭く、今の時代では取り残されて?しまったような熱い思いが軸となっているドラマです。

 

そして、野球部員が辿る変化において、「過去との訣別」というテ-マも描かれています。
徐々に徐々に過去の自分を手放しつつある過程において、かつての自分達と同様に荒れ果てたチ-ムとの対戦を行い、このドラマ内では「過去の自分達の亡霊」との対決という風に表現されていますが、そのような「自分の鏡」とも言える存在と、どのように対峙していくかという視点も盛り込まれています。

 

そして、このドラマ内における一つのキ-(鍵)となるのは「先生」という存在です。
世間一般においては「先生」と言うと、学校の先生、医師などを思い浮かべる方も多いかと思います。
「先生」と呼ばれる方々は、良くも悪くも社会的に影響力を持っている存在です。
そして、このドラマ内において「先生」という存在は、

 

勇気やパワ-を与える人

 

と描かれています。
そして、そのような勇気やパワ-は、

 

本来誰にでも備わっている内在する力

 

を「先生」がいかに引き出して、変化を遂げさせていくかという点が大切なポイントになっています。
そして、このような内在する力を発揮することを遠ざけている要因の一つとして、

 

過去の自分

 

という側面が大いにあり得ることになります。
そして、「過去の自分との訣別」を果たす大きな力となってくれるのが、

 

「未来」のなりたい自分(夢)を思い描くこと
となり、そして、
それを実行出来るのは「今」の自分

 

ということに繋がっています。
そして、この「未来のなりたい自分(夢)」というのは、言わば、

 

希望 = 諦めない心

 

とも表現されます。
先ほど「先生」という存在は「勇気やパワ-を与える人」とコメントしましたが、この、

 

勇気やパワ-というのは、言わば、 希望 = 諦めない心

 

と同じ意味です。
そして、ここから先は私の全くの個人的見解になりますので、様々な意見や見解があろうかと思われますが、「過去の自分との訣別」というテ-マを視点を変えながら、ひとまず続けて参ります。

現在に限りませんが、学校においてはやはりイジメというのが大きな問題であると感じます。
そして、職員室内での大人(先生)同士のイジメも存在すると時折耳にしたりします。
「先生」という存在が生徒に「勇気やパワ-を与える人」とすれば、

 

人生を安心して生きて大丈夫だよ!

 

と導いていくのも大きな役目となっているかと思われます。
その安心の中には社会において活用出来る知識なども含まれているかとは思います。
しかし、仮に職員室内における大人(先生)同士のイジメのようなものが存在しているとするならば、生徒に対して、

 

人生を安心して生きて大丈夫だよ!

 

と言えるでしょうか?
子どもの社会は大人の社会の反映であることがよくあります。
そして、このような問題が存在するとするならば、そのような職員室内でのイジメを二度と起こさないよう、

 

大人(先生)側における過去の自分との訣別

 

が真っ先に必要になることと感じます。
そして、大人社会におけるイジメというのは、一見すると正論をぶつけているように見えてしまうこともありますが、その根本は、

 

嫉妬 = 妬(ねた)み・嫉(そね)み

 

であることが大半と思われます。
妬みや嫉みなどの嫉妬という感情は誰でも持ち合わせています。
私自身も多少感じることも勿論あります。
しかし、それが故に、

 

イジメと同一とは気づきづらい

 

という点があります。
生徒間のイジメに対しては、当然の如く生徒同士の関係などを「先生」や周囲の大人がちゃんと見ていくことも必要ですが、大人社会におけるイジメに目を背けたままでは、先程来のドラマ内で表現されているように、

 

過去の自分達の亡霊

 

との対峙から目を背けることと同様に、生徒に対して、そして、何より自分に対しての「勇気やパワ-を与える人」となり得るのに困難を生じてしまうかもしれません。
そして、これを解決していく一つの方法が先程からの、

 

過去の自分との訣別

 

ということになります。
なお、「過去との訣別」というのは、様々な過去から学んだことを無くしてしまうことではありません。
学んだことは活かしながら、

 

ある過去の出来事などに対して未だに引きずっている感情を手放す、あるいは、新しく捉え直す・意味づけする

 

という意味合いでもあります。
ここまでは、「先生」というキ-(鍵)から学校という職員室内での出来事を例として挙げましたが、このことは他の職場や井戸端会議的なものでも同様であり、残念ながら大人社会全般に当てはまっていることでもあります。

 

それでは、別の視点から医師という「先生」を見ていきます。
私がカウンセリングなどを行っているケ-スにおいても、心療内科などに通院されている方、過去に通院されていた方、あるいは、行ってはみたが合わずに別の方法を探してきた方、また、今飲んでいる薬の量を何とか減らすために他に出来ることを試みて来られる方など様々いらっしゃいます。
実は、私の父も医師であるのと、私自身も行政書士をしていた時は医療法人などの仕事も多少行っていましたので、自分なりには医師を取り巻く環境なども理解しているつもりです。

 

ところで、ここ数十年の状況を考えてみると、明らかな誤診や医療ミスなどは論外として、医師に任せていたのに治らなかったなどの理由で訴訟になるケ-スがあります。
あるいは、治ると言ったのに治らなかったなど。
そして、このような風潮により、ますます医師の側が訴訟を怖れ、特に若い医師の間では訴えられるのではないか?と戦々恐々と萎縮してしまったり、あるいは、患者さんと目を合わせずパソコンのデ-タのみを見て話をするケ-スなどもあると見聞きします。

 

このような昔とは違ってきた状況などから、確かに安易に患者さんに言葉掛けを出来ないケ-スや事情というのも理解出来ます。
ただ、またまた先程来からの、

 

「先生」とは勇気やパワ-を与える人

 

という視点からは、目の前の患者さんに希望を与えることが出来るのも医師の役目と言えるのかもしれません。
そして、医師の口から患者さんに対して、

 

大丈夫だよ!

 

という言葉掛けが自然と行える風潮になっていければ、「希望や諦めない心」を産み出してあげることが出来、かつ、その後の経過なども良好になっていくケ-スも増えてくるのではないかと個人的には感じます。
そして、世の中には実際に奇跡的治癒という表現がなされるケ-スもあります。
医学の進歩発展がこのようなケ-スに寄与している面も多々あるとは思いますが、私自身が特に感じる部分は、

 

大丈夫だよ!という言葉掛けが 希望 = 諦めない心 を産み出し
そして、
その 希望 = 諦めない心 が本来誰にでも備わっている内在する力を引き出す

 

のではと思っています、
全くの医学的、あるいは、科学的根拠はありませんが、私自身が見知る範囲内においては、

 

自分の内在する力を引き出す・引き出してもらう

 

というのは、多くの場合において善後策にもなっているケ-スが多いと感じます。
勿論このようなケ-スでも薬や外科的処置なども有効に働いていることと思います。
血が出ていたら止める必要もありますし、強い痛みなどでは緩和することや、あるいは今目の前の症状を和らげることにより内在する力を引き出すキッカケにもなることと思います。
また、このような、

 

大丈夫だよ! という言葉掛けは暗示でも構わない

 

という点も大切になってきます。
暗示とは幻想でも気休めでもありません。

 

暗示には実体が伴っている

 

という点も大きなポイントです。
なぜなら、暗示というのは私達の潜在意識に直接届きます。
そして、無意識でありながらも、潜在意識は私達の呼吸や脈拍などの身体上の生理機能もコントロ-ルしてくれています。
つまり、潜在意識において大丈夫だよ!という暗示が定着するにつれ、身体もその暗示に従っていく傾向が出てくるということになります。

そして、このようなケ-スは身体上のことのみならず、心のことにも当てはまります。
そして、特に心のことに関して言うと、

 

何かの思いを作り出したのは自分であり、その自分とは「過去の自分」である

 

ということです。
作り出した原因が「過去の自分」にあるとするならば、それを改善するには、繰り返しですが、

 

過去の自分との訣別

 

が有効になってきます。
そして、「過去の自分との訣別」を果たすには、これも繰り返しですが「未来のなりたい自分(夢)」を思い描くことであり、それは、 希望 = 諦めない心 と同一ということです。
そして、「今」実行出来ることは大きなことである必要性もありません。

 

何か小さなことを変える

 

だけで変化していきます。
それは、日常生活の些細なことかもしれませんが、それでも変化を遂げていくことは可能です。
そして、それを「実行」して行く時に、勇気やパワ-を与えてくれる、ひいては、その人が本来持っている内在する力を引き出してくれる「先生」という存在がいれば大いに助けにもなってくれることと思います。
そして、「先生」という存在は、

 

「人」とは限りません

 

好きな歌でも映画でも小説でも、何でも構いません。
風景や絵画であることもあるでしょうし、お笑い番組でも旅行に行くということでも、あるいは、ゆっくり休むというだけでも「先生」になってくれることと思います。
そして、

 

実はあなた自身も誰かの「先生」である

 

ということを意識することです。
気づいていないかもしれませんが、必ず誰もが誰かに対して影響を与えています。
そして、どうせ影響を与えているのなら、

 

過去の自分と訣別した新しい自分

 

として今後は影響を与えていくことで、その先には人間関係などにおいても、そして、自分自身にとっても望ましい未来が紡ぎ出されていくことと思います。

 

そして、「奇跡」と「軌跡(ある人や物事が辿ってきた跡、つまり「過去」)」はどちらも「キセキ」と呼びます・・・
果たしてこれは偶然でしょうか・・・あるいは、何か意味があるのでしょうか・・・

2017年4月21日 04:04

より大きなテ-マから解決の糸口を掴む

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ここ最近は、世界情勢において何とも不穏な空気感が漂い始めていますが、こういう時こそ、冷静で理性的な視点を持つ姿勢が大切になってきます。
そして、TVなどから流されているニュ-スを鵜呑みにすることなく、どこに真実があるのかを見極める目を持つということも同時に必要になってきます。
そして、物事や出来事においては、大きかろうと小さかろうと同じ本質が反映されているという点と、それは同時に、私達自身の身近な日常にも反映されており、心の内にも当てはまるという観点から、今回は「より大きなテ-マから解決の糸口を掴む」というテ-マで進めて参ります。

 

そこで、ある一つの奇妙?と思われる架空話をご紹介致します。

ある男性が外を歩いていました。
すると、その男性は呼吸をする度に、白い、あるいは、灰色に見えるものが口から出ていることに気づきました。
身体の中から煙のようなものが発生しているのでは?と思い、その男性は若干パニック気味になっていました・・・
そのように動揺している姿を見かけたある女性が声を掛けました。
そして、その女性は男性の事情を聞いて男性に説明をし、男性はすぐに合点がいき、落ち着きを取り戻しました。

 

このお話が何を意味しているのかお分かりになりますでしょうか・・・?

答えはとても単純でシンプルです。
その男性は冬の寒い中、外出をしていただけです。
冷蔵庫のような気温の低い外なので、口から吐き出す呼気が白くなっていただけです・・・

 

このお話はとても単純でシンプルであり、このようなことは当たり前であり、奇妙すぎて架空話にもならない、と思われるかもしれません。
しかし、悩みや何かしらの渦中にいる時、人はこのような当たり前のことにも気づきづらく、そして、そのような当たり前と思える意識を向ける余裕もない、というケ-スは往々にしてあります。
気づいてしまえば何でもないことになりますが、それに気づくまではパニックになってしまうような心持ちというのは実際にあることです。

 

では、ここからは身近にあるケ-スで進めていきます。
あなたが「人前で上手く話すことが出来ない」という悩みを抱えているとします。
これを解決するためには、どのようにしていけば良いでしょうか?

 

一般的には原稿を練り直し、何度も練習する。
そして、とにかく場数を踏むように経験を積む、ということが考えられるかもしれません。
しかし、何度も練習をし、場数を踏んでも同じ悩みに辿り着いてしまいます。
それでは、ここから先はどうすれば良いのでしょうか?

 

このようなケ-スでは幾つかの「大きなテ-マ」が隠されています。
あるいは、「大きなテ-マ」に辿り着いていないが故に、悩みと感じてしまっているということです。
では、幾つか見ていきましょう。

まず、一つとして考えられるのは、

 

極度の完璧主義である

 

という大きなテ-マです。
周りの人からは上手く話せていたよ、といつも言われるのにどうしても満足出来ない・・・
練習では1秒と違わず時間内に話を納められるし、汗一つかかずに話せるのに、実際の場では3秒ほど話が終わるのが遅れたり早くなったりしてしまう・・・しかも、若干汗をかくほどに、リラックスして話せていない・・・など

あるいは、もう一つ考えられるのは、

 

全ての人を納得させなければ気が済まない

 

という大きなテ-マです。
100人の人が話を聞いてくれたが、ただ一人の人が自分の話した意見と違う見解を伝えてきた・・・
自分の話は完璧で、誰もが賛同してくれるはずの内容なのに・・・

また、100人の人が目の前で聞いてくれていたが、ただ一人の人があくびをしていた・・・
自分の話の内容は退屈を感じさせるような低レベルのものではないはずだ・・・

 

いかがでしょうか?
人前で上手く話せないという点に関しては、緊張のあまり声がうわずる、あるいは、少しどもってしまう、などのケ-スも勿論あります。
しかし、少なくとも上記の二つのケ-ス「極度の完璧主義」あるいは「全ての人を納得させなければ気が済まない」というケ-スでは、どれほど原稿を練り直し、どれほど練習すれば悩みが解決するのでしょうか?

 

もしかしたら、「極度の完璧主義」に関しては、それを上回るだけの過剰かつ極限の練習をすれば悩みがなくなる可能性もあるのかもしれません・・・
しかし、「全ての人を納得させなければ気が済まない」というケ-スでは、どれほど原稿を練り直しても、血の滲むような練習をいくら重ねても、人前で上手く話せないという悩みを解消するのは不可能なことと思います。

 

そして、人前で話すというケ-スにおいてのみの悩みであれば何とか自分を騙し騙し保っていくことも出来るのかもしれませんが、このような「大きなテ-マ」は他の出来事にも当てはまり、どんどん反映されていってしまう、というケ-スも多いです。
例えば、「自分の創る料理」に反映されてしまうと、どうでしょうか?
そのような「極度の完璧主義」や「全ての人を納得させなければ気が済まない」という点を満足させる料理を創り上げることは本当に出来るのでしょうか?

 

そして、人生全般についても反映されてしまっているとしたら、どうでしょうか?
・・・・・
とても生き辛さを感じてしまうことと思います・・・

 

そして、このようなことは自分で自分の人生を狭苦しいものにしてしまうのみならず、

 

相手の人に対しても同じように判断してしまいがちになる

 

という点がもっと重要になってきます。
例えば、誰かの講演会において、その人が少し噛んだだけで大したことないや、あるいは、自分を納得させられないのだから聞く価値もない話だ、と判断してしまいがちなるということです。

そして、このように相手に対する判断を下してしまっていると、

 

段々と人が離れていく

 

というのは容易に想像出来ることと思います。
人が離れていってしまえば、誰も話を聞きに来ようと思う人もいなくなるでしょうし、そもそも人前で話す機会が失われてしまいます。
そして、実はこのようなケ-スは自分が望んでいる悩みを逆説的に解決してしまった、というケ-スに当てはまります。
もうお分かりかもしれませんが、

 

人前で上手く話せない・・・
という悩みの解決策として、
人前で話す機会を無くしてしまう・・・

 

という方向性で実現してしまったということです。

ここまで見てきたように、生き辛さを感じてしまったり、人生が狭苦しいものになっているというのは、自分の悩みは「人前で上手く話せない」という点に焦点が当たってしまっているということです。
しかし、本当に焦点を当てるのは、

 

「極度の完璧主義」や「全ての人を納得させなければ気が済まない」と思い込んでしまっている理由となっている点

 

です。
そして、ここに焦点が当たり、自分の悩みは「人前で上手く話せない」ということではない、と気づけば、この悩みは解消されてしまいます。
そして、「極度の完璧主義」や「全ての人を納得させなければ気が済まない」という点の理由や解消していく方法を見つけていくことで、自然と「自分の創る料理」に反映されてしまったケ-スも解消出来るようになります。

 

ここでの「極度の完璧主義」や「全ての人を納得させなければ気が済まない」というのは、あくまで一つの例えです。
この「極度の完璧主義」や「全ての人を納得させなければ気が済まない」ことの理由となっている、もっと大きなテ-マが隠されているケ-スもあり得るにはあり得ます。
しかし、悩んでいると思い込んでいる焦点の矛先を変える、つまり、

 

より大きなテ-マに焦点を当てることで解決の糸口が掴める

 

というのはよく起こります。
そして、「より大きなテ-マ」を探し出していく時に助けになってくれるのは、

 

あなたの中の感情

 

です。
例えば、「人前で上手く話せない」という自分に対して「情けない」という感情を持ってしまい、そのように情けないと思ってしまう自分の状況を創り上げたのは、自分の話に納得をしない他の人に責任がある、という「怒り」の感情に繋がってしまいます。
そして、この「怒り」の源は結局の所、

 

自分には人生を上手くコントロ-ル出来ない・・・という「怖れ」

 

から派生したものであるというケ-スは大いに考えられます。
そして、私達のほぼ全員と言っていいのが、

 

「怖れ」という感情により目が曇ってしまいがちになる

 

という点です。
もし今現在何かの悩みがある場合など、目の前の出来事に焦点を当ててもなかなか打開出来ないように感じる際は、是非「より大きなテ-マ」に焦点を当ててみて下さい。
そして、「より大きなテ-マ」を探し出す際に「感情」を辿っていくようにしてみて下さい。

 

そして、普段であれば「ここから先は余談ですが・・・」と興味のある方を対象に続けていく所ですが、「より大きなテ-マ」と関連していますので、今回はこのまま続けて参ります。

先日、シリアが化学兵器を使用したとのことで、アメリカが空爆をしました。
シリアは使用していないと言い、アメリカは確証があると言っています。
また、これも国内においても先日来、ある大阪の開設予定だった小学校の元理事長が寄付を受けたと言い、一方の首相夫人は寄付をしていないと言っています。

 

繰り返しですが、物事や出来事は大なり小なり同じ本質が反映されています。
化学兵器にせよ寄付にせよ、このケ-スは、どちらか一方が嘘をついているか、あるいは、双方共に部分的に嘘をついている、かのどちらかです。
そして、寄付の件が小さいとは思いませんし、解明しなければこれから先も同じ事が繰り返し続けられるのは間違いありませんので真相を求めますが、シリアとアメリカの出来事がより大きく拡大していくと戦争になってしまいます。
この二つのケ-スにも、目の前の事象の裏に隠されている、先程来からの「より大きなテ-マ」が潜んでいる思います。

 

そして現在、アメリカと北朝鮮が睨みあっているような状況です。
そして、ここにも同じように「より大きなテ-マ」が隠されていると思います。
そして、

 

私達個人と同じく、国にもある種の感情が存在する

 

という点に着目する必要性が出てきます。
なぜなら、「より大きなテ-マ」を探すことで現在の状況は自然と解消され、その「より大きなテ-マ」を探すのに「感情」が助けになるとお伝えしました。
これは、個人でも国でも同じことです。
是非、愚かな状況にならぬよう、また、皆さん個人の問題としても考えてみて下さい。
今回のテ-マはあらゆるケ-スに当てはまることですので・・・

2017年4月15日 03:04

あなたの憧れの人も・・・人の子?

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

4月になり、新年度の季節に入りました。
人生における切り替えというのは本来は日々、いつでも、どこでも可能ですが、新年度という季節の移り変わりの時期においてもよく意識が向けられる事もあるかと思われます。
そこで今回は「あなたの憧れの人も・・・人の子?」というテ-マでお届け致します。

 

ところで、皆さんにも「憧れの人」はいらっしゃるでしょうか?
歴史上の偉人でも、スポ-ツ選手でも、あるいは、身近な誰かでも構いませんが、それなりの影響を受けてきた存在の人というのは、多かれ少なかれいらっしゃるかと思います。

私はこのTOPICSにおいても幾度かジャッキ-・チェンの話題も取り上げています。
ジャッキ-・チェンは私が小さい頃にスクリ-ン上で観ていた人ですが、私にとっては、どちらかと言えば「憧れの人」というよりも「ヒ-ロ-」的な存在かもしれません。
今でも何回も過去の映画を観たりしていますし、今だに何かしらの勇気などを貰ったりもしています。

 

そして、数年前に「ジャッキ-・チェン自伝 永遠の少年」(著:ジャッキ-・チェン、朱墨 訳:鄭重 発:楓書店、ダイヤモンド社)という本が出版されました。
結構分厚い本ですが、発売に先駆けて予約をし、これも何度か読み返したりしています。

この本は現在までのジャッキ-・チェンの人生を辿る内容ですが、ジャッキ-・チェンは読み書きがあまり出来ないため、インタビュ-形式のものを書き下ろしたものになっています。
そして、この本の内容から幾つかのトピックをご紹介していきます。
なお、ご紹介する際は、『  』の箇所はジャッキ-・チェン本人の口から語られた原文通りとし、「・・・」は内容とはあまり関係ないものとして中略しております。

そして、ひとまず、何を感じるかを意識しながらトピックを眺めてみて下さい・・・

 

◎多動症(多動症とは「ADHD(注意欠如・多動症/注意欠如・多動性障害)」と言われているもので、敢えて簡単に表現すると「落ち着きのなさ」と捉えてみて下さい)

→『当時は・・・学校に行きたくないとばかり考えて、校門に入っただけで気が滅入った。それに多動症だったから、授業中はいつも退屈で、先生の言っていることはまるで聞いてなくて、頭は別のどこかに行っていた。』

 

◎喧嘩(小さい頃から喧嘩は数え切れない位していましたが、これは17,8歳頃の出来事だそうです)

→『・・・相手の七人はもう全員倒れている。終わってみると、人を殴ったせいで手も足も痛かった。相手が死んでいないか、さっと確認してから、慌てて逃げた。怖かったのもあるし、走りながら震えていた。・・・当時は・・・怯えていた。人を殴り殺したんじゃないかと心配したが、幸い、次の日の新聞には何も出ていなかった。』

 

◎字の読み書き

→『クレジットカ-ドを使う習慣がない。ほとんど学がないから、昔はサインもできず、カ-ドがあっても使えなかったからだ。昔はクレジットカ-ドを使うときは、今のように簡単にサインをすればいいわけでなく、長い表を埋めなければならず、名前とか住所とか様々な情報を英語で書かないといけなかったから、見ただけで怖じ気づいた。』

→『有名になると、ファンのためにサインをする必要も出てきた。・・・(英語名はアルファベット26文字だから大丈夫だが)中国では困ったことになる。相手が自分の名前を書いてくれと言ってくると、どういう字を書くのかと聞く。で、教えてくれても、だいたい書けないから、向こうは部首とかで説明してくる。それでもよく分からないので、けっきょくは一度書いてもらって、それをそっくりそのまま写すことになる。・・・これはすごく恥ずかしい。』

 

◎買い物中毒・お酒・ギャンブル

→『ある日・・・時計店に入り・・・入るなり「これが一番高いやつか?ダイヤが一番多いのか?じゃ七つくれ。包まなくていい!おい、金払え!」と言うとすぐに身を翻して出ていく。一週間、日替わりで付け替え、・・・友達を食事に誘い出して、会うなりわざとらしく袖をまくり上げては見せつける。』

→『毎日のように飲酒運転をし、朝はポルシェをぶつけ、晩はベンツをぶつける。いつでも頭はくらくらしている。』

→『最初にスタントマンになったときは、一日五ドルの稼ぎで、しばらくしたら三十五ドルに上がった。汗を流して血を流してそれっぽっちの金を稼ぐと、ギャンブルに乗じた。三十ドル勝てば六十ドル賭け、六十勝てば百賭ける。だけど、結局は負けるから、貧乏神がつきまとっているのかと思った。ときどきいっきに三百ドルあまり、つまり十日分の給料を負けたりするから、そういうときはとくにしょげていた。』

 

◎恐怖心
→『昔から、何よりも怖いのは注射だ。・・・注射器の針を見ただけでぞっとする。・・・(ある映画の撮影で怪我をした際に)看護師がやってきたとき、注射器の針を見ただけでたじろぎ、腹這いのまま、ベッドを押して逃げ回った。・・・(看護師が)まだ針を刺していないのに、僕はもう喚き始めた。それを聞き付けて、周りに人が集まったが、大の男がたかが注射で喚いていると見ると、みんなあきれてしまった。』

 

◎トラウマ(映画「サンダ-ア-ム/龍兄虎弟」で頭蓋骨骨折により、手術のためのCTやMRIのような検査を経験したことから)
→『(その後も検査のためにカプセルに入れられる状況において)たぶん、この恐怖心は「サンダ-ア-ム/龍兄虎弟」で経験した怪我のせいで生まれたものだろう。あれ以来、ああいうカプセルに入れられると、必ずその時の体験を思い出す。』

 

◎臨死体験?(上記の映画での検査の最中に体験したことから)
→『ユ-ゴスラビアで脳の手術をした際は、似たようなカプセルに押し込まれて、中で頭がぼんやりして、もう一人の自分が、ゆっくりと下のほうに向けて歩いていくのが見えた。で、下のほうからは、光の束が見える。この手のことをあまり信じない方だが、その瞬間は、ほんとうに遠くから光が差してきて、自分自身が浮かび上がって、その光のほうに向かって降りていこうとしているのが見えた。同時に、別の自分が大声で、「行くな、行くんじゃねえぞ!」と叫んでいるのが聞こえた。すると、カプセルの外に出て意識も戻ったんだ。』

 

◎妄想(最近のこと)
→『最近、自分は怖がりで、妄想癖があるんじゃないかと思うようになった。いま、車で歩道橋の下を通るだけでも怖くなる。なるべく真下には停まらず、青信号だったらさっさと通りすぎていく。歩道橋が崩れ落ちてくるんじゃないかと想像してしまう。香港の海底トンネルでも、心の中で、速く速く、渋滞には絶対になるなよ、と念じている。周りの水を見ると、これが、自分の車に向かって押し寄せてきたらどうしようと妄想してしまう。』

 

◎死生観?(最近のこと)
→『このあいだ、夜眠れず、自分が八十まで生きるとしたら、あと二十年で死んでしまう、と考えて急に怖くなった。死体が埋められると、地下で虫に噛まれそうだから、絶対に火葬してもらわねばだめだ、と考える。それで、仮に、息子(30歳位)も八十まで生きるとしたら、あと五十年で、彼もいなくなっている。なんて残酷なのだろう。そんなことを考えていたら、からだが大きな火達磨のようになり、焼かれているようで、苦しくなった。慌てて起き上がり、運動をし始めた。幸い、からだを動かしていると、そういうことを考えなくなる。』

 

と、トピックのご紹介はここまでに致しましょう。
これ以外にも、皆さんも名前はご存じの方も多いと思いますが、歌手であるテレサ・テンを始めとする数々の女性遍歴や、息子が大麻使用容疑で逮捕された件などを含めた、自身の父親としてのあり方、などが語られています(なお、この本を読むようお勧めしている訳ではありません。単に私がジャッキ-・チェンが好きだから取り上げたまでですので)。

 

では、ここまでお読みになって頂いて、皆さんは何かを感じましたでしょうか?
取り上げたトピックの各項目もそれなりの捉え方は出来ますが、それに特段意味を持たせている訳ではありません。
今回のテ-マは「憧れの人」ということでした。

 

もしかしたら、ジャッキ-・チェンの良い所、賛美に値する学ぶべき点などの話題が出て来るのでは?と思った方も多いかもしれません。
しかし、ご紹介したトピックは、どちらかと言えばそのような面とは反対かもしれません。
実は、ここから先が皆さんに考えて頂きたいテ-マと結び付いていきます。

 

先ほど新年度という切り替えの季節というお話をしましたが、新しい環境や状況、あるいは、環境や状況は変わらずとも、何か新しいことを試したいと思う方もいらっしゃるかと思います。
このような、新しく仕事を覚えたり、あるいは、何かを身に付けようと思う時、

 

すでに出来ている人を真似る

 

というのは効果が上がる方法の一つでは確かにあります。
しかし、その一方で、何故かは分かりませんが不思議なことに、

 

(憧れなどの)その人自身に自分がなろうと思って行動すると、(憧れなどの)その人自身が体験したミスや苦労なども、自分も一緒に体験してしまいがちになる

 

と、よく言われたりします。
詳しくは分かりませんが、私なりに考えると、

 

時代や環境や状況が違えども、心の本質は変わらない

 

という点に答えの一つが隠されているのかもしれません。
つまり、思考パタ-ンが同じになっていくと、自然とその後に取りがちな行動も似てくるということかもしれません。
そのような意味では、ポジティブで望ましい面については、大いに真似て自分に取り込んでいければ良いかと思います。

そして、そのようなポジティブな面も含め、もし、あなたに「憧れの人」がいて、そのように自分もなっていきたいと思っているような場合には、

 

ネガティブで望ましくない体験を、あなたが経験しなくても良いように、その人から事前に学ぶ

 

という点に意識を向けてみて下さい。
そうすると、事前に学んだことにより、

 

あなたはそのような経験をする必要性がなくなっていく

ということに繋がり、

本来のあなた自身に向かって歩みを進めることが出来る

 

という方向に自然と向かっていきます。
そして、新入社員の方や転職した方、あるいは、職場内での異動などで新しく覚えなければならないことが出来た、という方もいらっしゃるかもしれません。
おそらく、「今」は一生懸命に取り組んでいることと思います。

しかし、段々と仕事に慣れていくにつれ、「緩み」が出て来るのもある意味致し方ない点もあるかもしれません。
そして、この「緩み」によるミスを、「大きなミス」に繋げず「小さなミス」で済ますには、

 

「今」行っている気持ちを持ち続ける

 

ということが大切になってきます。
よく言う「初心忘れるべからず」です。

普段から常に意識し続ける必要性もありませんし、慣れるに従って仕事の効率性も上がっていくものですが、頭の片隅に留め置くだけでも、ミスをしそうになった際にセンサ-としてあなたに教えてくれるようになります。
そこで、せっかくなので今回のテ-マである「憧れの人」、私の「ヒ-ロ-」的存在のジャッキ-・チェンからの、二つの言葉をお伝え致します。

 

『思えば、これまでの撮影でも、決まって細かいスタントでしくじる。大きめで難しいスタントの場合は、用意も周到なので、そのぶん失敗しにくい。』

(あなたがこれから仕事などを覚え、そして、様々な経験を経ていく中で)
『(あなたは)経験もあり、プロフェッショナルで、かつ相手をリスペクト(尊重)する。そうすれば、相手もこちら(あなた)をリスペクトしてくる。』

 

そして、これは私が行政書士の仕事を始める際に、とても恩のある方に教えて頂いたことですが、例えばあなたが仕事を覚える際に上司や先輩のやり方に従って進めていくことと思います。
それはそれで構わないのですが、その際には、

 

その仕事のやり方を客観的に見る・覚える

 

ということです。
つまり、上司や先輩のやり方を真似てしまおうと思う時、それは主観的な見方になってしまい、

 

良くも悪くも(その上司や先輩の)癖や習慣も無意識ながら自分に身に付いてしまう

 

ということです。
今は特段不便に感じることはないかもしれませんが、仮にこれから先に転職をする機会や、あるいは、自分で独立する場合などに、このような癖や習慣が無自覚のまま身に付いてしまっていることにより、そのことになかなか気づきづらいという側面があります。
そして、もし上司や先輩がこのような癖や習慣により、何かしらの不都合な体験やミスをしていたとすると、あなたも主観的になり過ぎるあまり同じような経験やミスをしてしまう可能性が残ってしまいます。
そのようなことを繰り返さないためにも、是非、上司や先輩などから「事前に学ぶ」ということも心掛けてみて下さい。

 

ちなみに、このような「憧れの人」や「自分自身」との対話においては、心理療法でも実践されている、ヒプノセラピ-(催眠療法)のエンプティチェアワ-ク(空椅子の技法)というのがよく活用されたりします。

2017年4月8日 04:04

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