宗教という社会事象から ~マインドコントロ-ル(洗脳)を含め~

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、私はよく観ていませんが、最近はある女優さんと、ある宗教団体、そして、その女優さんの所属事務所との関係が社会的な話題になっている模様です。
宗教に関する話題というのは、個人の内面との関係性などからデリケ-トなテ-マでもあり、また、時にはタブ-視されがちな観点でもあります。
また、このような芸能界などにおける宗教との関係の話題は数年に幾度のペ-スで見受けられますし、私も行政書士をしていた頃には、似たような類いの相談を受けたこともあります。
もしかしたら、皆さんの知人や周りでも同じようなことが問題になったこともあるかもしれません。
そこで、今回は「宗教という社会事象から ~マインドコントロ-ル(洗脳)を含め~」というテ-マでお伝え致します。
なお、今回のTOPICSのテ-マは特に私の個人的な視点や考えであり、ここでの内容が正しいというものでもありません。
どうぞ皆さんご自身なりの「考えて気づき判断する」という視点を持ってお読み頂ければと思います。

 

まず、私自身は基本的に無宗教です。
また、ヒプノセラピ-(催眠療法)やレイキ ヒ-リングなどは何かの宗教と関連があるのでは?と思われがちでもありますので、まずはどちらも全くの無関係であることを簡単にご説明致します。

まず、ヒプノセラピ-もレイキ ヒ-リングも諸外国においては医療保険の適用対象となっている国もあります。
そして、ヒプノセラピ-は医師以外の者が行ってはならないなどの一定の制限や医療行為と見なされている地域もあります。
また、レイキ ヒ-リングも実際に大学病院等で活用されている地域もありますし、看護学校における履修科目とされている所もあります。
このような観点からも、どちらも宗教とは全く無関係であることをご理解頂けるかと思います。

 

そこで、先ほど私は「基本的に」無宗教とお伝えしました。
なぜ「基本的に」とお伝えしたかと言うと、私の実家にはお仏壇もありますし、お墓もあります。
私もお仏壇に手を合わせたり、お墓参りにも行きます。
また、初詣でや厄払いのように神社にも行ったりします。
ただ、私の場合にはこのようなことは特段の信仰心というものから派生している訳ではありません。
小さい頃からの日本の一種の慣習・風習という捉え方をしています。
この点はいわゆる「日本人的」な考えから多くの方にも当てはまっているケ-スと同様かもしれません。

 

ところで、宗教というのは個人の信条・信仰と捉えることも出来ますが、言わば、人それぞれの「心の内」の問題ということです。
そして、この「心の内」というのは本来は全くの「自由」です。
不適切な例えですが、例えば、傷付けたい位に憎んでいる相手がいる人もいらっしゃるかもしれません。
実際にこれを行動に移すと犯罪にもなり、行ってはならないことですが、「心の内」で憎む分には「自由」ということになります。
なお、「自由」ではありますが、このような憎しみという感情を「心の内」に持ち続けることによる、自分の心身への影響というのは別に考える必要性があることも申し添えておきます。

 

日本においては仏教(お寺)や神道(神社)などがどちらかと言えば慣れ親しんでいるケ-スが多いかと思われますが、他にも様々な宗教団体は存在しています。
私は個人的には「心の内は自由」と考えていますので、それぞれの人がご自身なりに考え判断し、そして、自分に責任を持って信仰を行うことは構わないと思っています。
しかし、中には、本来の目的から外れたり逸れてしまっている団体、あるいは、信仰というものを名目上の理由としながら、実は、他に別の目的を持っている団体も残念ながら存在しています。

 

そして、宗教という信仰に進むに至った理由も人それぞれ様々あるかと思います。
とても辛く苦しい出来事があったのかもしれませんし、自分で自分をコントロ-ル出来そうにないという恐怖などを感じたなどのケ-スもあるかもしれません。
そのような状況の時に出逢った人や、何かの信条・信仰により救われたという気持ちから、信仰心を強めて入信というケ-スもあることかと思います。
そして、そのような出逢いなどを契機として、人生を前向きに歩めるようになったのであれば、それはそれで素晴らしいことかと思います。

 

そして、そのように自分が救われたという経験から省みて、とても素敵な信仰なので他の人にも広めたい、という思いが湧くのも分からないではありません。
また、組織や団体としての規模が拡大するにつれて、経済的な観点からも多くの入信者を募るという流れになっていくのも、ある意味当然の流れかもしれません。
ここまでは、一般的にもよくある勧誘の流れでもあることと思います。

しかし、ここから一線を越えた所で問題の発端となっていくのが、

 

「過度の行き過ぎた」勧誘や教義の押し付け

 

という点があるように感じます。
この「過度の行き過ぎた」という点を実際の行動として別の角度から見ると、

 

他の人を支配し、コントロ-ルしたいという欲望

 

に繋がっていることがあります。
そして、この他の人を支配し、コントロ-ルしたいという欲望の裏側には、

 

無意識の中に、自分は弱い人間である

 

という「心の内」を抱えていることもよくあります。
つまり、自分は弱い人間であるということを克服しようとし、強い人間であるということを自覚する一つとして、

 

他の人を従わせる

 

という現れ方になっているということです。
これを別の比喩で表現すると、自分の中の心の闇を減らすために、

 

周りの人や他の人の心の闇を深くさせる

 

とも言えます。
つまり、自分の周囲の人の心の闇を深く濃い状態にすれば、

 

自分の中の心の闇が薄く、時には光を発しているという錯覚を引き起こさせる

 

ということです。
そして、支配やコントロ-ルという観点からはマインドコントロ-ル(洗脳)ということもよく取り上げられます。
色々な諸説や見解はありますが、ここで今一度マインドコントロ-ル(洗脳)の定義をお伝えします。

 

① 慣れない(特殊な)環境下におく
② 眠れないようにする(たくさん話しかけるなど)
③ 従わなければ苦痛を与える
④ 従えばご褒美を与える
⑤ (それらのことにより)体内(脳)の生理的バランスを崩させる

このようなことが行われることにより、その人がどのような状態になるかと言うと、

 

意識的・無意識的を問わず、自分で「考えて気づき判断する」という行為が行えなくなる

 

ということです。
そして、このマインドコントロ-ル(洗脳)の定義は、宗教団体に限らず、また、大小の違いはあれど、行き過ぎたワンマン経営などのブラック企業の体質、過剰な権力の集中、そして、国家などにも当てはまります。
戦時中の日本を思い返してみても当てはまることと思います。

 

信条や信仰心は自由で大切なものですし、その対象が何であれ、私達のほとんどは何かを信仰しているとも言えます。
何も信じないというのも信条の現れですし、例えば食費を減らしてでも欲しい物があるなども同じ本質です。
また、誰かに憧れ、誰かを尊敬し、その人から多くのことを学び、自分も立派になりたいなど、その人を「真似る」ということも役に立ち素敵な思いであることと思います。
しかし、

 

その人と同じになる必要はないし、同じにはなり得ない

 

ということは意識しておく必要性があるかと思います。
なぜなら、全てをその人と同じようになろうと思うことは、その根底には、

 

自分で「考えて気づき判断する」という力を手放している(預けてしまっている)

 

という状態と同じだからです。
そして、この「考えて気づき判断する」という力を失うということは、言わば「理性で考える」ということが出来ていない状態とも言えます。
冒頭の女優さんのケ-スでも、意に反した仕事をさせられたり、あるいは、給料に不満があったり、なども一つの理由となっていると伝えられています。
また、それにより仕事を途中で放棄することによる賠償責任の問題なども出ているとのことですが、他にも理由はあることと思いますが、少なくとも理由の一つを解決するには労働基準法や民民間の契約内容という法的な点と、今回のような「出家」するかどうかという点は、区別して冷静な対応が双方に必要だと感じます。

 

宗教や信仰というテ-マは「心の内」の問題であるからこそ、慎重に、そして、理性を持って冷静にという観点も必要になってくるかと思います。
そして、そのような点を判断する一つの指針として、宗教団体であれ、いわゆるブラック企業であれ、当の本人が自分で「考えて気づき判断する」という状況を奪われていないか?という所にも着目してみて下さい。
そして、私自身の個人的な解釈ですが、本来の宗教における趣旨とは、自分で「考えて気づき判断する」という観点から見ても、

 

その人が本来の自分自身であること

 

を促すようなものであると考えています。

そして、今は入試が盛んに行われている時期でもあります。
特にこの春に新たに大学生となる方の中には、新しい土地や新しい人々との出逢いが待っていることと思います。
私が通っていた大学は、全国各地から学生が集まっているのと、とても多くの学生が入学していました。
当時も4月になると様々なサ-クルなどの団体が新入生を勧誘していました。
そして、そのようなサ-クル団体の中には、一見するとテニスサ-クルなどのように見せかけて、実は、他の別な団体へ誘い込むためのカモフラ-ジュとしての団体も存在していました。

 

また、私は野球サ-クルに入っていましたが、大学1年の時に合宿(という名の遊び)で千葉に行くことになりました。
そして、先輩が車に乗せて連れてってくれるとのことで、同乗して千葉に向かっていました。
ところが途中で渋滞が続き、その渋滞箇所は地下鉄の沿線沿いでした。
何だろうと先輩達と話しながら見ていると、その沿線沿いは救急車や消防・警察の車両でとても混み合っていました。

 

そうです・・・オウム真理教による地下鉄サリン事件がその場で発生していました。
当時の私は東京都の中野区という所に住んでいましたので、先輩が同乗させてくれると言って貰えてなければ、被害路線である丸の内線を使って千葉に向かっていたかもしれません。

 

このような犯罪は決して起こしてはならないものですし、また、極度に怯えすぎていては外出もままならなくなってしまいます。
私が通っていた大学にもオウム真理教に関係するサ-クルがあったと伝え聞いていました。
自らの預かり知らぬ所でこのような関連のサ-クル団体などと関わりをもってしまうこともあるかもしれません。

 

少しでも変だ・怪しいと思った時は、自ら「考えて気づき判断する」ということを思い起こし、周りの人にも色々聞いたりしながら、関係性を絶つためにも、毅然とした態度でそのようなサ-クル団体から抜け、その後も関わりを持たないようにして下さい。
そして、全てではありませんが、このような団体は、最初はとても過剰な位に良くもてなしてくれる・・・という点が見受けられるように思います。

 

なお、繰り返しますが、今回のテ-マにおいては、宗教団体や信仰心・入信・出家などの是非を取り上げている訳ではありません。
困っている人の助けになる宗教団体もあることでしょうし、そこでの信条を胸に抱え、堂々と自分の人生を歩んでいけることは素晴らしい姿勢であることと思います。
しかしながら、中には、危険な宗教団体や、宗教に限らず様々な団体もあることを頭の片隅にでも入れておいて下さい。

 

ちなみに、冒頭の女優さんの件ですが、私はここで出て来る宗教団体には興味もありませんし、肯定もする気もありませんが、もし、この女優さんが「出家」する先の宗教団体が、仮に高野山や比叡山などのように歴史的な背景もあり、知名度・信頼度もある宗教団体であったとするならば、今のような混乱した状況になっていたのでしょうか?・・・あるいは、何かしらの世間の反応というのも変わっていたのでしょうか?・・・という観点からも考えてみると、あなたの中の宗教に対する現在のイメ-ジを把握するのに役立つかもしれません。

2017年2月22日 04:02

可能性の発見と焦点合わせの練習法 ~路線バスの旅から~

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

このTOPICSでは、ドラマや映画、その他のTV番組などからも題材としてよく取り上げています。
これは私がこのTOPICSに活用しようとの思いから取り上げているのではなく、単に私がTVなどを観るのが好きだからという単純な理由です。
そして、自分が好きなことを行っていると自然とリラックスし、今までに気づかなかった視点や、自分なりの何かを発見することもあります。
そして、そのような気づきや発見というのは、自分の中にあるものを再確認したり、薄々気づいていた方向へと後押ししてくれるような役割も時には果たしてくれます。
そこで今回は、「可能性の発見と焦点合わせの練習法 ~路線バスの旅から~」というテ-マでお届け致します。

 

ところで、このようにTVをよく観る私ですが、旅番組も好きでよく観ています。
その中でも、2017年の1月に終了となってしまいましたが「ロ-カル路線バス 乗り継ぎの旅(テレビ東京)」という番組が好きでよく観ていました。

この番組は太川陽介さんと蛭子能収さん、そして、その回毎に女性のマドンナを加えての3人旅です。
スタ-ト地点から3泊4日で路線バスのみを乗り継いで目的地であるゴ-ルまでを目指すという内容です。
幾つかの「ル-ル」に従って旅をしますが、基本的には路線バスを活用するのと、路線バスが繋がらない区間では徒歩で進むというシンプルな内容です。

 

では、ここから今回のテ-マに沿って進めていきます。
例えば、青森というスタ-ト地点からゴ-ル地を東京と定めたとします。
そして、最大の目標はゴ-ルをすることと致します。
そして、この青森~東京間を一つの人生として仮定します。
なお、今回は番組内での3泊4日という時間の設定はないものとします。

 

青森から東京へ辿り着く手段というのは現在では幾つもあります。
徒歩、自転車、バイク、車(自家用車・レンタカ-・タクシ-)、路線バス、高速バス、鉄道、新幹線、船、飛行機など、他にも考えられるかもしれません。
そして、この番組内では「ル-ル」として路線バスのみを活用する、そして、繋がらない区間は徒歩と定められています。

 

ここでの「ル-ル」とは、いわば独自の旅を楽しむために一つの「制限」として自分で自分に課したものと捉えることが出来ます。
前世療法などの観点から見ると、これは、今回の人生という旅を楽しむために、自分で自分に設定した様々な諸条件とも言えます。
これには身体上の観点、親や家族など、人生を送る上での最低限の基本的な「ル-ル」とも言えます。
そして、そのような「ル-ル」の基に人生をスタ-トさせていきます。

 

そして、中にはこのような最低限の基本的な「ル-ル」に加え、自分に負荷をかけて鍛えるために路線バスしか乗ってはならない、という独自の「制限」というオプションを設けている人もいらっしゃるかもしれません。
これは自分で自分に課した「ル-ル」なので、それでも構わないと思いますし、それをやり遂げようとの思いで初志貫徹という意味からも達成感を味わうことが出来ることとも思います。

しかし、人生においては、

 

最低限の基本的な「ル-ル」以外は定めていないし、定められてもいない

 

と考えます。
表現を変えると、

 

最低限の基本的な「ル-ル」以外は「自由」であり、そこに「可能性」を発見出来る

 

とも言えます。
そして、この最低限の基本的な「ル-ル」以外は「自由」であるということは、

 

負荷をかけて鍛えるためにオプションとして独自の「制限」を設けた「ル-ル」も変更可能

 

ということです。
現在では、先ほどの最低限の基本的な「ル-ル」の例えとして身体上の観点における、「性別」の変更ということも可能となっています。
人生という旅路においては、早足で進む時もあれば、歩みの速度を緩める時期、あるいは、所々で立ち止まって休んでみたり、時には周り道で進むこともあることでしょう。
そして、私達が人生において停滞している、道に迷っている、あるいは、なかなか前に進まないと感じる時は、

 

他の「可能性」を発見出来るチャンス

 

と捉えることも出来ます。
青森~東京間を最初から飛行機で旅することも出来ますし、新幹線のグリ-ン車に乗って快適に旅することも出来ます。
また、青森から仙台までは路線バスで旅してきたが、途中の仙台からは高速バスに乗ってその後の旅をすることも出来ますし、新幹線で仙台まで旅してきたが、その後は車で旅をするということも出来ます。

私達が人生において袋小路に入っていると感じる時は、

 

意識の焦点がある一点のみに注がれている

 

という状態の時が多々あります。
この意識の焦点が一点のみに注がれているというのは別に悪い状態ということではありません。
このように一点に注がれている時というのは、

 

目標に向けて加速している時

 

でもあるからです。
しかし、他の視点から見ると、袋小路の中で加速をし続けても前に進むことは困難なケ-スもあります。
そして、このような状態の時は、

 

周りが見えていない状態であり

表現を変えると、

他の「可能性」にまだ気づいていない

 

という状態とも言えます。
今まで路線バスで旅をしてきたが、繋がらない区間ではゆっくりと歩いてみる、あるいは、繋がらない区間をタクシ-で移動することも出来ます。
あるいは、一つ前のバス停に戻ることで、実はそのバス停は高速バスにも乗ることの出来る起点であるかもしれません。
そして、自分で自分に課した路線バスのみという「制限」でも、そのことによりその先に全く進めなくなってしまうのでは、本来の目標である東京に辿り着くということが出来なくなってしまう可能性もあります。
そして、このようなオプションとして自分で自分に課した「制限」というのも、実は、

 

他の「可能性」にさらに気づきやすくするために自分で設けた「ル-ル」

 

ということも多々あります。
なので、オプションとしての「制限」という「ル-ル」は変えることも出来ますし、変えても良いということです。
なぜなら、そのオプションとしての「制限」は詰まる所、

 

自分の他の「可能性」を発見した

 

という時点において、本来の役割を果たし終えているからです。
このように、オプションとしての「制限」を課している場合でも、あるいは、そうでない場合であっても、

 

人生の途中において色々なことが変更は可能である

 

ということに気づき、それを自分に許すということも打開の一つとなります。
そして、この「可能性」の発見を難しくしている一つの中に、

 

ある種の社会的常識

 

というものが存在しています。
なお、社会には必ず複数の他者という方々が存在し成り立っていることと、そのような他者を尊重するという意味も含め、先ほど述べた最低限の基本的な「ル-ル」と同様の意味合いでの必要な社会的常識は存在します。
ここでのある種の社会的常識というのはそのような意味合いとは別のものです。

 

私が産まれる前には「末は博士か大臣か」という言葉がよく聞かれたそうです。
これは子どもの行く末を期待しての思いが込められた言葉でもあることと思います。
また、私が中学・高校生の頃は、バブル経済まっただ中の時期でした。
この頃は、良い大学に入り、良い会社に入り、一杯お金を稼ぐことが人生の幸せである、という社会的風潮が存在していました。
別にこのような人生が悪い訳ではありません。

ただ、ここで気づいて頂きたいのは、様々なある種の社会的常識や社会的風潮というのは、

 

小さい頃から無意識に植え付けられている

ことと、それが故に、

あまりにも当たり前と思い込んでいるが故に、気づきづらい

 

という特徴があるということです。
繰り返しますが、先ほどの良い大学や良い会社、あるいは、お金を稼ぐことが悪いということではありません。
ただ、そのような人生のレ-ルに乗ることが唯一の幸せだと無意識に植え込まれ過ぎていると、

 

そのレ-ルから外れてしまったら不幸だ

という反動の思いが生じてしまうことと、そのことにより、いわゆる、

勝ち組や負け組などの差別・格差を生む土壌になる可能性がある

 

という点です。
そして、あまりにも当たり前と思い込んでしまっているが為に、そもそも「良い」大学や会社と世間で言われているのが、何をもって「良い」と判断されているのか?本当にそうなのだろうか?などを考えることにすら気づけないという点も含まれてくるからです。
そして、世間における幸せな人生のレ-ルから外れてしまったと思えてしまうその地点・場所は、先ほどの、

 

袋小路の中

 

という状態に繋がっていきます。
このような無意識における傾向というのは、今回のテ-マである路線バスの比喩で表現すると、

 

人生においては路線バスしか使ってはならない
そして、
人生においては路線バスしか存在せず、他の移動手段はそもそも存在しない

 

と暗黙に了解して、その選択肢のない袋小路から抜け出ることが出来ない状態とも言えます。
そして、このような状態の時が、意識の焦点が一点のみに向けられていて周りが見えていない状態と言えます。
言わば、

 

無意識の上で、他の「可能性」に目を背けている

 

状態とも言えます。
繰り返しですが、意識の焦点を一点に向けるというのは悪いことではありません。
それはある身近な目標を達成するのに大いに役に立ってもくれます。
そして、人生において他に選択肢がない、ということはありません。
必ず他の「可能性」という選択肢は存在しています。
では、その「可能性」を発見する数ある方法の中の一つにここまでお読み頂いて気づいたでしょうか?
それは、

 

意識の焦点をある所に合わせながらも、周りも見える状態にする

 

ということです。
皆さんも次のような経験はないでしょうか?

例えば、身体が不自由な方が何かに打ち込んでいる姿をTVなどで見て勇気を頂いたり・・・
あるいは、パラリンピックなどで、身体が不自由でない自分よりも凄いことが出来ていることに奮起を頂いたり・・・
そして、

 

今の自分は幸せだ・・・

 

と思ってみたり・・・と。
ここでお伝えしたいことは、身体が不自由な方が不幸せだということでは勿論ありません。
そのような見方からは勇気や奮起を頂いたという思いにはなり得ないこととも思いますし、他者との比較の中に幸せを見つけられないことも同じことですが、「今の自分は幸せだ・・・」と思うことも偽らざる本音であることとも思います。
私もそのように思うこともありますし、勇気や奮起を頂いているのも事実です。

そして、このようにTVやパラリンピックなどを通してそのように思えるということは、

 

その時のあなたの状態は、意識の焦点もある所に合わせながら、周りも見えている状態

 

と言えます。
なぜなら、

 

今の自分が幸せと思えていると同時に、さらなる勇気や奮起も頂けている

 

からです。
私達は日常のお仕事や家事・育児、あるいは、目の前にある事柄を行っている時に意識の焦点を絞っていると思いがちになり過ぎる傾向もあります。
勿論、目の前の事柄に意識を向けているということも間違いではありません。
これはあくまで目の前の事柄に集中している時という意味においてです。

 

1日のうちで集中して何かを行う時間というのは実際の所さほど長くはありません。
また、集中していると思える事柄も、仕事のある部分であったり、あるいは、誰かとお話している時、あるいは、携帯でゲ-ムに熱中している時など、様々に意識の焦点を向けている先は違っています。
そして、私達の無意識による考えや行動に多大な影響を与えているのは、

 

集中している時よりも、むしろ、無意識で何かを考え・行っている時

 

です。
先ほど、今の自分は幸せだ・・・と思える時のお話をしました。
これはこれで素晴らしいことですが、これを逆の視点から見ると、

 

無意識の上では、私は不幸せだ、と思う時間が長く続いている

 

という働きも関わっていると言えます。
これは、

 

不幸せの数をかぞえるよりも幸せの数をかぞえなさい
あるいは、
幸せを考えたら片手でも余りあるが、不幸せを考えたら両手でも足りない

 

という表現とも繋がっています。
そして、逆もまた真なりと言うように、先ほどのように、

 

今の自分は幸せだ・・・と思えた時が、他の「可能性」を発見するチャンス

 

というように活用することも出来ます。
先ほどの勇気や奮起という感情が可能性に繋がる一例としても挙げられますが、幸せや可能性は人それぞれの考え方がありますので、ご自分なりの幸せや可能性に思いを巡らせることでよろしいかと思います。
そして、それを知る手掛かりの一つになるのが、

 

あなたが何に意識の焦点を向けているのか?
そして、
それと同時に周りも見渡せているのか?

 

という心の持ち方です。
そして、これは心のケアということにも繋がっていきます。
常日頃からこれらのことを考え続ける必要はありませんが、何かの袋小路にいるかも?と感じた際は試してみて下さい。

 

そして、ここで意識の向け方と周りの見渡し方における簡単な練習法をご紹介致します。
なお、これは上手く行う必要もありませんし、上手く行えなくても全く大丈夫です。
そして、定期的に練習する必要性もありません。
気が向いた時に試してみれば何か面白い発見が出来るかもしれない、という遊び感覚で行うものです。

 

私が時たま行っているのは、今回の路線バスのような旅番組の時に行ったりしています。
このような旅番組は2~3名ほどの出演者であることが多いです。
例えば3名の出演者が旅をする番組とします。
そして、これは録画をした上で2回観る方が効果が上がります。

 

まず1回目に観る時は、出演者の一人に着目して観ます。
TVの画面では3名同時に映っている時もあれば、2名しか映っていない時、あるいは、着目している人の姿は映っていないが声だけ聞こえている時など様々です。

そして、一人に着目するというのは、そのTVが流れ続けている間、声も含めてその着目している一人の一挙手一投足を集中してひたすら追いかける、という見方です。
これを1回目に行い、その後の2回目は普段通りに楽しんで観ます。
これを行ってみると多くの方が感じるかもしれませんが、1回目の一人に着目する見方をすると、番組全体の内容があまり頭に入ってこないことが多いです。
2回目を観て、全体の事情や状況が把握出来るという具合です。

 

これは先程来の、意識の焦点をある所に合わせながらも、周りも見える状態にする、ということを体感し、意識づける簡単な練習法になります。
そして、これを行う上で何より大切なのは、練習などと堅苦しく考えず、ただリラックスしてTVを観ながらでも出来るというように楽しんで行うということです。
実際に行ってみればお分かりになるかもしれませんが、意外と難しいものですよ・・・

2017年2月16日 03:02

変化のプロセスはわらしべ長者?

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

立春も迎え、徐々に春の兆しも見えてこようかという季節です。
そこで、今回は「変化のプロセスはわらしべ長者?」というテ-マでお伝え致します。

皆さんも小さい頃にわらしべ長者の物語は一度は聞いたことがあるかと思いますが、今回のテ-マを進めるに当たりまして、まずは今一度、この物語のスト-リ-を簡単におさらいしてみます。
なお、わらしべ長者のスト-リ-は複数存在しますが、今回のおさらいのスト-リ-は私も小さい頃によく観ていた、「まんが日本昔ばなし」を土台としております。
では、スト-リ-のおさらいを始めます。

 

ある男性が運を開きたいと観音様に願掛けを行いました。
すると、観音様が現れて「お堂を出る際に初めて手にしたものを大切にして、西へ向かいなさい。」と男性に告げました。
そこで、西へ向かうべくお堂を出ると、男性は一本の藁(わら)を拾います。

そして、西へ向けて歩き出すとアブ(蜂)がまとわりつくので、手にしている藁(わら)でそのアブ(蜂)を括り付けてそのまま歩き続けていました。
すると、泣いている赤ちゃんがいたので、その藁(わら)に括り付けたアブ(蜂)を赤ちゃんにあげたところ、その子は泣き止みました。
泣いて困っていたその子の母親は、男性にお礼として蜜柑(みかん)をくれました。

その後も歩き続けていると、喉が渇いて水を欲しがっている女性に出逢いました。
そこで、男性は水の代わりにでもと思い、その女性に蜜柑(みかん)をあげました。
その女性は助けてくれたお礼に、男性に上等な絹の反物をあげました。

そして、また歩き続けていると、お侍さんに出逢いました。
お侍さんは急いでいるのですが、馬が病気で弱ってしまって動けなくなり困っていました。
すると、そのお侍さんは馬をあげる代わりに、絹の反物をくれないかと言うので、交換してあげました。

そして、その馬を介抱して元気になって歩き始めたところで、ある長者に出逢いました。
その長者は男性が連れていた馬を大層気に入り、千両で売ってくれと、男性に申し込みました。
その金額に男性はビックリして、失神してしまいました。

すると、その長者の娘さんがその男性を介抱してくれて、男性はほどなく元気になりました。
そして、その娘さんをよく見たところ、その人は、先ほど蜜柑(みかん)をあげた女性でした。
長者もその女性もこの男性を大層気に入り、その後、二人は結婚して幸せに暮らしたとのことでした・・・。

 

スト-リ-は思い出されたでしょうか?
おそらく、このわらしべ長者は、「何が幸せに繋がるか分からない」という視点と、「(西へ)向かって歩き続ける」という視点がテ-マとして含まれているのかもしれません。
では、このわらしべ長者から今回のテ-マでもある「変化のプロセス」に移ります。

 

主人公の男性は運を開きたいとの思いを「決意」し、そして、西へ向かって歩き続けるという「行動」を実行に移しました。
そして、男性が入手していったものは、藁(わら)、アブ(蜂)、蜜柑(みかん)、反物、馬、そして、女性との出逢い、という変遷を経ています。

 

私達も何かを「決意」し、そして、その「決意」を遂げようと「行動」に移していきます。
そして、思いを「決意」し、それを「行動」という形に現していくと、必ず「変化」というものが訪れます。
しかし、その「変化」というものが訪れた時、その現れ方は、

 

一見すると自分の「決意」とは無関係

 

に思えてしまうことも多々あります。
そして、多くの場合、やはり何も変わらなかった、あるいは、変えていくのはやはり難しい、などのように途中で諦めてしまうこともあるかもしれません。
しかし、これをよく見てみると、

 

何かしらの「変化の兆し」には気づいている

 

という「変化」は訪れています。
ただ、その「変化」が、

 

自分の「決意」とは違うもの・関係ないもの、という思い込み

 

が邪魔をしていることがあります。
そして、違うもの・関係ないもの、という判断をしているということが、すでに「変化の兆し」として現れているということです。
なぜなら、「決意」をし、そして、「行動」に移していなければ、

 

違うもの・関係ないもの、ということにすら気づけていないはず

 

だからです。
しかし、ここから先に進むということに躊躇いや諦めが出てしまう気持ちもよく分かります。
では、このような「変化のプロセス」においては、どのようにすればよいでしょうか?
それは、

 

違うもの・関係ないもの、という判断を下さない

 

ということです。
もっと表現すると、「変化のプロセス」においてあなたが手にしたもの、目や耳にしたものに対して、

 

良い悪いなどの価値判断を下さない

 

とも言えます。
つまり、「変化のプロセス」においては、

 

ニュ-トラル(中立)な姿勢を保ち、結果に執着しない

 

という心構えも役に立ちます。
そして、その後も、

 

ニュ-トラル(中立)な姿勢で歩き続ける

 

という「行動」を継続するということに繋がります。
そして、歩き続けているうちに、「変化の兆し」があなたにとって望ましい・好ましいと感じる度合いが増大してきた際は、

 

そのポジティブな感情を味方につけ、歩みを加速させる

 

ことで、望ましい「変化の結果」に繋がっていきます。
ここまでは、何かの決意や誓いや願望などが実現され得る「変化のプロセス」を見てきました。

では、ここからは別の視点からの「変化のプロセス」を見ていきます。
私は医師ではないので「治る」や「良くなる」などに関してコメントは出来ませんが、カウンセリングやセラピ-・ヒ-リングなどを通して、「変化のプロセス」にはある一定の法則が見受けられることも多いと感じています。

 

例えば、あなたが「不安」という症状で悩んでいると仮定します。
そして、この不安の最大値を「10」と仮定し、「変化のプロセス」においてはこの「10」という数字がどのように最小値たる「1」までの変遷を辿るのかを見ていきます。
なお、最小値を「1」としているのは、「不安」なども含めた感情が「0」になることはあり得ないのと、また、「0」にする必要性もないことから設定しています。

 

では、変遷たる「変化のプロセス」を一緒に見ていきましょう。
「不安」に悩んでいるあなたが、例えば現状を変えたいと「決意」し、カウンセリングや、あるいは、信頼をおける誰かに相談をしようと「行動」に移すとします。
この相談をする前の「不安」の数値は、

 

最大値の「10」

 

です。
そして、あなたはカウンセリングや誰かに実際にお話をし、あなたにとって役に立ちそうなアドバイスを貰いました。
そのことにより、あなたの心は幾分軽やかになり、

 

「不安」の数値は「8」まで減少

 

したと感じます。
少しの自信を持ちつつ、あなたはその後の日常生活を送っていきますが、何かしらの状況や出来事に出会うことで、また「不安」を感じ始めます。
そして、あなたはこう思い始めます。

 

せっかく良くなってきたと思ったのに、また元に戻ってしまった・・・

 

と。
そして、ここが最大のポイントになります。
実はこれは、元に戻ってしまった・・・「不安」の最大値「10」の状態に戻ってしまった・・・のではなく、

 

「不安」の数値が「9」の感情を味わっている

 

という状態です。
この時、あなたは「不安」が「10」の状態であると思い込んでいますが、実際は、

 

以前と比較しても「10」から「9」という、「1」減った状態

 

にあるということです。
そして、ここで何かの本を読んだり、あるいは、再度カウンセリングを受けたとします。
そして、新たな何かに気づき、あるいは、さらに役立ちそうな言葉や方法を手に入れます。
すると、あなたの

 

「不安」の数値は「7」

 

という状況に改善されていきます。
前よりも気分や調子が良くなり日々の生活を送っていきますが、以前と似たような出来事や状況において「不安」を感じ始めます。
そして、ここで味わっている

 

「不安」の数値は「8」

 

という状態になっています。
ここまでで、ある一定の法則というのを見抜けましたでしょうか?
ここでの一定の法則、つまり、「不安」という感情が変遷を辿る「変化のプロセス」の数値は、不安を感じている時を「☓」とし、調子が良い時を「〇」と表すと、

 

10(☓) → 8(〇) → 9(☓) → 7(〇) → 8(☓) → 6(〇) → 7(☓) → 5(〇)・・・・・

 

というように、増減を変遷して辿っているということです。
つまり、緩やかな「山あり谷あり」のような曲線を経ていくということです。
そして、実際には「☓」という不安の状態は最初の「10」の時のみです。
従って、上記の一定の法則の「9(☓)」「8(☓)」「7(☓)」の状態は、正確には「9(△)」「8(△)」「7(△)」ということです。
なぜなら、あなたが変わろうと「決意」を持ち、何かしらの「行動」を取ったことによって、

 

「不安」は変わらざるを得ない

 

という動力が働くからです。
つまり、あなたが元に戻ったと思い込んでしまう「不安」の状態は、元の「10」ではなく、

 

必ず「10」よりも減った数値・状態、であると理解する

 

ということがとても大切になってきます。
なぜなら、あなたが元の状態に戻った、あるいは「不安」が「10」の状態だと思い込み続けてしまうことで、実際にあなたは「不安」が「10」の状態を味わってしまうからです。
このようなことが起こるのは、

 

良くも悪くもあなたは不安が「10」の状態に慣れてしまっている

 

という側面が無意識の元で働いています。
なので、あなたが「決意」し、何かの「行動」に移すことで、「不安」は必ず「変化のプロセス」を辿らざるを得ず、「不安」を感じた時でも以前の「不安」とは量も質も違い減少していると理解して下さい。

 

そして、この「変化のプロセス」が何故このような緩やかな「山あり谷あり」のような曲線を辿るのかというと、例えば「不安」が「10」から「5」へ、あるいは、「不安」が「10」から「3」へと辿るとすると、

 

変化の度合いが極端であればあるほど、良くも悪くも心と体に衝撃を感じてしまう

 

からです。
今まで良くも悪くも「不安」が「10」の状態に慣れてしまっている状況の時には、急激な変化というのは心と体に負担を感じやすくなってしまいます。
故に、私達の心と体というのは、自分に負担を与えぬよう、緩やかに「変化のプロセス」を辿るというケ-スが圧倒的に多いです。
勿論、個人差があることと、それぞれの状態が全て同じではありませんので、その人が負担を感じない範囲で、「不安」が「10」から「5」や「3」に変化を遂げていくこともあり得ます。

そして、多くの場合、「不安」が半分程度の「5」を下回っていくと、心や体への負担も減るという意味合いで、

 

変化はさらに加速し、次第に「不安」があまり気にならなくなる

 

という状態になっていきます。
先ほども述べましたが、「不安」が「0」になることはありませんし、それは必要のないことです。
過度に「不安」に苛まれているからこそ辛く悩む状態であって、

 

「不安」は多少感じることもあるけれど、それに振り回されなくなった(以前よりもさほど気にならない)

 

という状態がある意味適切でもありますし、私達の誰もが同じです。
当然のことながら私も「不安」「怒り」などの感情を感じる時もあります。

 

そして、「変化のプロセス」には必ずしも「長い時間がかかる」という訳ではありません。
ただ、心や体に衝撃という負担を与えぬように、その役割の一つとして「時間の経過」というのも含まれています。
そして、ここでの「時間の経過」というのは「決意」したことを「行動」を通して「継続する」という意味合いです。

 

このような「変化のプロセス」は自然界にも当てはまります。
そろそろニュ-スなどでは「三寒四温」という言葉が聞かれるようになってくると思います。
昨日が気温「5℃」で、今日が気温「30℃」と変化すれば、体は勿論のこと、私達の気分にも衝撃を与えることと思います。

あなたが「決意」し「行動」に移すことで「変化のプロセス」が働き、必ずあなたにも「変化」が訪れることを信頼してみて下さい!

2017年2月9日 04:02

BASHAR(バシャ-ル)という・・・存在?〇△☓∞

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

2月に入り、今少し寒さも続く頃合いですが、雪下ろし時の怪我や路面凍結による交通事故、また、火災も起こりやすい季節でもありますので、どうぞ何かの作業をする際や、外出時などはお気をつけ下さい。

ところで、年末年始における振り返りや、世界情勢やイジメの問題など、とても大切なことではありますが、比較的慎重を要するTOPICSの話題が続きましたので、今回は、全くの奇想天外?あるいは、荒唐無稽?と思われるような前提の上で「BASHAR(バシャ-ル)という・・・存在?〇△☓∞」というテ-マでお届け致します。

 

まず、今回のテ-マにつきましては、ヒプノセラピ-(催眠療法)においては利用出来るものは何でも利用するという「ユ-ティライゼ-ション」の姿勢からと、また、従来の発想を変えた視点から見てみるということを主眼としております。
故に、今回お伝えする内容の全てが私が考えているということでは勿論ありませんし、否定も肯定もする意図もありません。
発想の転換という意味で、もしかしたら実生活においても活用出来るポイントもあるかもしれないというスタンスで進めて参ります。
なので、気軽にお読み頂けると同時に、中には今回のテ-マの前提には拒否反応を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが、興味のある方は心を解放して?読み進めてみて下さい。

 

では、皆さんは今回の主人公である「BASHAR(バシャ-ル)」という名を聞いたことはあるでしょうか?
スピリチュアル系の書籍などがお好きな方では、聞いたことがある、あるいは、読んだことがあるという方も多いかもしれませんが、そうでない方々にとっては初めて耳にする名であることと思います。

結論から申し上げますと、

 

「BASHAR(バシャ-ル)」とは地球外知的生命体、いわゆる、宇宙人

 

です。
どうでしょう・・・?
早くも拒否反応を覚え始めてきた頃でしょうか・・・?(笑)

 

この「BASHAR(バシャ-ル)」とは、ハリウッド映画の特撮デザイナ-でもあるダリル・アンカ氏が「BASHAR(バシャ-ル)」という宇宙人をチャネリングしたことから、世界各地でそのセッション内容や質疑応答などがなされている模様が描かれているものです。
ちなみにチャネリングとは、他の意識を自分の中に引き寄せるというものですが、簡単に表現すると、恐山で有名なイタコさんのような方と思って頂いて結構です。
ただ、他の意識というのが、死者ではなく宇宙人ということです・・・
ここまでの所、付いて来れてますか・・・?(笑)

 

1980年代後半から世界的に広く知られ始めていますが、人生を上手く過ごすためには「ワクワクする」ことを行う、ということが一貫して伝えられている内容であり、私が知る所でも、現在までの間に、十数冊の書籍と数本のDVDが日本においても発売されています。
そして、この「BASHAR(バシャ-ル)」が伝えているものは他にも色々あることと、また、その真実性を確かめる方法もありませんが、まず、前提として今回お伝えするのは、

 

人生は100%自分で創り上げている

 

という観点です。
ではここで、この意味の実例?をご紹介していきます。

今、これをお読み頂いている「あなた」は、「私」こと「S.Light.Mの瀬川瑞之」が書いたTOPICSを読んでいると感じていることと思います。
そして、それは当然な反応です。
しかし、ここでの「人生は100%自分で創り上げている」という発想からこの状況を見てみると、今、このTOPICSをお読み頂いている「あなた」は、

 

「S.Light.Mの瀬川瑞之」が書いたTOPICSを読んでいるのではなく、
実は、
あなたがあなたの人生において「S.Light.Mの瀬川瑞之」を創り上げ、まさに、「あなた自身」が創り上げたTOPICSを読んでいる

 

という観点になります。
どうでしょう・・・?
すでに怪しさ満載の雰囲気に包まれている頃かもしれませんね・・・?(笑)
ちなみに繰り返しますが、今回のテ-マについて、私は手放しで同意している、あるいは、信じる信じない、また、実感を伴った実話を紹介している趣旨ではありません。
発想の転換というのが趣旨ですので!

 

では、進めて参ります。
今、「あなた」と「私」という区別をしてみました。
これは「BASHAR(バシャ-ル)」に限らず、科学や哲学、あるいは、宗教などでも同じことが言われていますが、

 

「私」が「私として」意識・認識出来るのは、「他者」が存在していることが前提である

 

ということです。
つまり、

 

「他者」が存在しなければ、「私」は「私である」ということすら意識・認識出来ない

 

ということです。
これは、なかなか実感を伴うことは難しいことと思います。
なぜなら、この世に産まれついてから今までの間において、「私一人のみ」で生きてきた人は一人もいないからです。
少なくとも、必ず産んでくれた女性、そして、男性という存在がいるからです。
しかし、心の中で、「私一人のみ」で生きてきたという感情を伴う状況を創り出せるということはあり得るかもしれません・・・

 

では、これを実生活に当てはめて考えてみます。
「私」が「私として」意識・認識出来るのは「他者」の存在が前提というお話をしました。
ということは、

 

「他者」が存在するのは、「私自身」を知るため

 

という側面が必ず存在することになります。
皆さんも好きな人、憧れの人、嫌いな人、気にくわない人などいらっしゃるかと思います。
この世の誰も聖人君子ではありませんので、それは自然なことでもあります。
ただ、このような人に対する感情などが行き過ぎていると思われる時には、

 

あなたが自分の人生おいて創り上げた人である
そして、それは、
自分を知るためでもある

 

という発想の転換も試してみたら如何でしょうか?
試してみたけれど、嫌いな人は嫌い、という結論になるかもしれません。
それでも結構です。
なお、「自分を知るため」という側面も確かにありますが、イジメ、スト-カ-、DV(家庭内暴力)など、他者が自分に危害を加えることが明らかな状況の際などには、「自分を知るため」という観点から離れ、「自分を守る」行動を取る必要があります。
そして、安全な状況に落ち着いてから、そのような人のことを考えることは充分に出来ますので。

 

では、次に進んで行きましょう。
あなたは今、「幸せ」を感じているでしょうか?
そして、それはどの位の「幸せ」でしょうか?

 

100%幸せだ、100%幸せでない、50%は幸せで50%は幸せでない、10%は幸せで90%は幸せでない、など様々な実感があることと思われます。
では、ここで今一度「人生は100%自分で創り上げている」という観点を見てみましょう。
ここでの意味は、

 

人生を創り上げるには、99.999・・・%でも成り立たないし、100.001・・・%でも成り立たない
ということを意味し、つまり、
あなたが人生として今実感出来ているのは、常に100%で成り立っている

 

という観点です。
100%幸せだという方は、そのまま創り上げていけばよろしいかと思いますが、ほぼほぼ100%の方は、幸せでないという部分も創り上げていることと思います。
これを少しネガティブな表現として別の視点から見てみると、

 

あなたの頭でどう考えようと、どのように実感しようと、今目の前の人生はあなたが100%自分で創り上げた結果である

 

という意味です。
でも、

 

自分でこんな幸せでない人生を創り上げる訳がない!
また、
自分で100%創り上げているのであれば、もっと別の人生になっているはずだ!

 

という声も大半を占めることと思います。
これの対応法は後ほど触れていきますが、少しポジティブな表現として別の視点から見てみると、

 

あなたが今、人生を実感出来ているということは、あなたには、現実に常に人生を創り上げる100%のパワ-があり、その力を常に発揮している

 

という捉え方が出来ます。
なぜなら、あなたが人生を実感出来ていない、あるいは、実感出来ていなかったということは、過去においても、そして、これから先の未来においても100%あり得ないからです。
また、あなたの意識というのは一種のエネルギ-です。
エネルギ-というのは産まれることもなければ消滅することもありません。
常に「在る」という状態であるからです。

 

ここまで付いてくるのには困難を伴ったでしょうか・・・?(笑)
今一度整理をしますと、100%幸せと思える人生も、100%幸せでないと思える人生も、あなたの思いが100%反映されてあなたの人生という今の結果に表れているということになります。
そこには寸分の誤差もありません。
常に100%の状態でなければ人生は成り立ち得ません。

 

つまり、どのような人生であれ100%で創り上げられているのであれば、望まない人生を創り上げている理由というのがあるということになります。
つまり、今感じている人生が幸せでないと思えるのであれば、今の人生を創り上げる以前にあなたの中で思っていた「何か」が100%発揮されているということにもなります。
ということは、今この時点から、人生を創り上げているあなたの中の「古い・不要な何か」を変えさえすれば、同じようにその「新しい・望む何か」が100%反映された人生を創り上げることも出来るということになります。

 

という前提を元に、では、自分の人生をあなたにとっての幸せに満ちたものにするために、今からどのような手法や発想が考えられるでしょうか?
実は、ここから先が今回のテ-マの主題に繋がっていきます。
馴染みのない、また、摩訶不思議な内容にここまで付いてきて疲れた方は、少しお休み頂いても大丈夫ですよ(笑)
では、進めて参ります。

 

より望ましい人生を送るというテ-マにおいて、多くの書籍などで目にするのが、いわゆる「引き寄せの法則」ということが挙げられます。
これは、自分の望む人生を想像・イメ-ジし、言葉の力も活用し、時には、すでに望み通りの人生になったと思い込んで行動するということなどが説かれています。
このような手法はヒプノセラピ-、レイキ ヒ-リング、カウンセリングや、NLP(神経言語プログラミング)などのその他のセラピ-やヒ-リングなどでもよく行われておりますし、実際に効果もあります。
そして、宇宙人たる「BASHAR(バシャ-ル)」は、このような効果と手法に加え、ある一つの提案をしています。
それは、

 

人生は100%自分で創り上げているということは、
実は、
あなたはあなたの人生に必要なものを100%完璧に引き寄せることが、すでに、出来ている

 

ということであり、もしその人生があなたにとって望ましくないように感じられるものであるならば、それは、

 

引き寄せが出来ていないのではなく、また、引き寄せの方法を学ぶ必要があるのではなく、
実は、
必要なものをすでに引き寄せていながらも、それ(望む人生)を遠ざけてしまっているネガティブなビリ-フ(信念・観念)を手放すことを知ること

 

と伝えています。
つまり、今のあなたはこれからも、これから先も常に100%で引き寄せ、100%の人生を創り上げているのだから、望む人生を創り上げたいのであれば、それを妨げ・遠ざけているものをあなたの心・思いの中で見つけ出し、手放すというのも効果的であるということです。

 

ここから先は私の個人的見解ですが、望ましい人生を創り上げていくのに決まった方法はないと思いますし、これをしなければ幸せになれないなどの儀式もないと思います。
どのような方法であれその人自身のビリ-フ(信念・観念)を伴った効果は産まれるかと思います。
そのビリ-フ(信念・観念)がポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ・・・
そして、このビリ-フ(信念・観念)の大多数が、

 

私達の潜在意識に根を下ろしている

 

という傾向があり、それが故に普段はなかなか意識・認識しづらいという点もあります。
そして、そのように潜在意識に根を下ろした経緯には、

 

世の中に多く存在する社会的暗示が無意識ながら染みついている

 

という側面も挙げられると考えます。
ただ、社会的暗示の全てが悪いという訳では勿論ありません。
この中には共同で円滑な社会生活を営んでいくための最低限のル-ルなども含まれています。
しかし、中には時代や社会的背景、時には地域差などの事情により突如としてその意味合いが変化してしまうものも多々あります。
例えば、今では女性に選挙権が無い状況など考えられないでしょうが、実際にそのような状況を「是」とするビリ-フ(信念・観念)があった時代もついこの間まで存在していました。

 

そして、先ほど「自分を知るため」というキ-ワ-ドも出てきましたが、多くの場合、ここでの「自分を知る」というのは、

 

自分の可能性を知る

 

という意味合いで使われているように感じます。
しかし、今回のテ-マである「人生は100%自分で創り上げている」という観点から見ると、

 

人生における可能性はそもそも無限である
ただ、
その可能性を制限しているものが自分の心・思いの中にある

 

という捉え方になります。
そして、私がカウンセリングなどを行っていてよく感じるのは、この可能性を制限しているのが、

 

思い込み

 

であることも多々あります。
それは、他の人には出来ても自分には無理だ、今までの人生を振り返ると自分には変わる力がない、など様々です。
そして、このような思い込みを創り上げているのは、先ほどの社会的暗示も多分に関わっています。
そして、思い込みと社会的暗示の根底にあるのは、

 

怖れ

 

であるということがよくあります。
例えば、他の人と違うのは良くない、幸せの後には不幸が来る、など、言わば「出る杭は打たれる」的な感じかもしれません。
可能性を制限しているネガティブなビリ-フ(信念・観念)を見つけ出す際に、自分の中の「怖れ」を探し、紐解いていくのも効果的です。
しかし、「怖れ」を探すことに「怖れ」を感じるようであれば、あなたの中の「思い込み」を探すだけでも効果は上がります。

 

ここまで、最後までお読み頂けたでしょうか・・・?(笑)
実際の社会や世界においては様々な事件、事故、争い、自然災害なども起こり得ます。
そのような背景においては、人生は100%自分で創り上げている、という発想は相容れないと思える点も多々あるでしょうし、この発想からだけで全ての解決を見出せるというのも飛躍し過ぎと思えてしまうこともあることと思います。
「人生は100%自分で創り上げているのであれば、なぜ悲しい出来事などがあるのだろうか・・・?」と・・・
私もそのように感じてしまう点も多々あります。
今回のテ-マの真実性は確かめる術もありませんし、どのように捉えるかは皆さんの自由です。
ただ、個人的にはこのような発想や考え方の中にも、自分の人生において活用出来る点もあるかもしれないという点をポイントとして考える素材としてみて下さい。

 

ちなみに、今回のテ-マは昨年発売された「あ、バシャ-ルだ!」(著:ダリル・アンカ、HAPPY、LICA、FUMITO、YACO 版:VOICE)という書籍にも掲載されておりますし、今まで発売されている書籍などの中にも同様のことは書かれています。
どれも質疑応答の形式で書かれている書籍がほとんどですし、チャネリングと言っても何かオドロオドロしい印象を受けるものでもなく、明るい雰囲気で気軽に読み進めていける書籍です。
中には、人類の起源や、他の宇宙生命体などが書かれている所もありますが、その辺りに拒否反応を感じる方は読み飛ばして自分にとって役に立ちそうな点のみを読むことでも面白いかもしれませんし、科学者との対話などが書かれているものは、その発想は読んでいて興味深い点もありますので、科学に興味のある方はその点を読んで見れば新たな発想が浮かぶかもしれません?

そして、「BASHAR(バシャ-ル)」は以下のようにも伝えています。

お知らせする情報が「誰から発せられた」というのは重要ではなく、大切なのは「その内容」であると・・・

2017年2月1日 03:02

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