マトリョ-シカという自分

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

これまで、このTOPICSにおいても幾度か「インナ-チャイルド」そして「ハイア-セルフ」というテ-マにも言及してきました。
ただ、やはり抽象的な概念の印象が強いことと、具体的に「自分」との関わりというのが「見えづらい」という点、また、「言葉」だけではなかなか伝わりづらい面もあるかもしれません。

そこで、今回はインナ-チャイルドやハイア-セルフを視覚的なイメ-ジを持って捉えてみようと思い、「マトリョ-シカという自分」というテ-マでお伝えしていきたいと思います。

 

そこで、マトリョ-シカという言葉、そして、これがどのような物であるかはご存じでしょうか?
知っている、あるいは、見た事あるという方も多いかと思いますが、簡単にご説明します。

マトリョ-シカというのはロシアの民芸品のお人形で、日本風に見ればこけしと達磨を合わせたようなお人形です。
このお人形の特徴は、お人形そのものが1体であるのではなく、お人形の中から同じようなお人形が出てくるという多重的な構造になっています。
通常は5~6体のお人形から構成されていますが、一番小さなお人形を次に大きなお人形が包み込み、それが順に繰り返され、結果的に一番大きなお人形の中には5体ほどのお人形が全て包み込まれるという仕組みです。

 

それでは、3体のマトリョ-シカをイメ-ジしてみましょう。
一番大きなお人形を「A」、中間のお人形を「B」、そして、一番小さなお人形を「C」とします。
「B」のお人形の中には「C」のお人形が包み込まれ、そして、一番大きなお人形である「A」の中には「C」というお人形を包み込んでいる「B」というお人形も包み込まれます。

 

そして、「今」のあなたという自分は「B」のお人形に該当します。
そして、「C」のお人形はあなたの中の「インナ-チャイルド」に該当します。

 

インナ-チャイルドとは、あなたの中に存在する、当時の子どものままの自分です。
インナ-チャイルドと言うと、通常は傷付いたままの子どもの自分をイメ-ジする方が多いと思いますが、傷付いている場合に限りません。
喜びに満ちている当時の子どもの自分も含まれています。

では、傷付いているインナ-チャイルドと、喜びに満ちているインナ-チャイルドとの違いはどこにあるのでしょうか?
それは、

 

「今」の自分に統合されているかどうか

 

です。
統合と言うと難しく思われますが、要は「受け入れられているか?」という点にあります。
喜びに満ちているインナ-チャイルドは、「今」の自分でもほとんどが無意識のまま統合・受け入れていますので、その存在に気づくことはめったにありません。
逆に表現すると、ちゃんと統合・受け入れられているため、わざわざインナ-チャイルド自身が「今」の自分に認めて貰おうとアピ-ルする必要性がないとも言えます。

 

では、傷付いているインナ-チャイルドはどうでしょうか?
傷付いているインナ-チャイルドは、まず自分の存在を「今」の自分に認識して欲しいとの思いから、色々なアピ-ルをしてきます。
なぜなら、認識して貰えない限り、統合・受け入れて貰えないからです。

 

マトリョ-シカのイメ-ジで言うと、喜びに満ちているインナ-チャイルドたる「C」のお人形は、「今」の自分である「B」のお人形の中にしっかりと包み込まれています。
言わば、母親の胎内の中に包み込まれている胎児と同じような感じかもしれません。

 

しかし、傷付いているインナ-チャイルドは、「C」というお人形として、目に見える形で「B」というお人形の目の前に存在しています。
自分を認識して貰うためにです。
つまり、ここでは「今」の自分たる「B」のお人形と、傷付いているインナ-チャイルドたる「C」のお人形は、それぞれ独立して存在しています。
本来はどちらも「同じ自分」であるにも関わらずに、、、、、

 

傷付いているインナ-チャイルドを癒すというのは、その当時の自分、そして、その当時に起こった出来事、そして、その出来事に関わっている人間関係などの全てを癒すということを意味しています。
そして、ここでの癒すという意味合いは、

 

その当時に起こった出来事を、「今」の自分という視点で捉え直す

 

ということになります。
これまでの傷付いていたインナ-チャイルドにとっては、その出来事を何とかしようと一人で頑張ってきました。
さぞかし心細かったことと思います、、、、、
しかし、「今」の自分という視点が加わることで、インナ-チャイルドにとっては心強い味方を得たも同然です。
そして、インナ-チャイルドには安心感や心の余裕が産まれていきます、、、、、

 

しかし、インナ-チャイルドにもちゃんとした人格が備わっています。
安心や余裕が出来た一方で、今までの自分のせいで、「今」の自分を苦しめていたのでは?との罪悪感を持ってしまうこともあります。
そこで、インナ-チャイルドは「今」の自分に対して、これから先の人生を「一緒」に望ましい方向へと変化させていくための智恵などを伝えようとしてくれます。

 

このようなインナ-チャイルドからのメッセ-ジにちゃんと耳を傾けることで、全ての癒しが完了します。
「B」のお人形が、しっかりと「C」のお人形を認識し、そして、優しく包み込んだ状態へと変化していきます。
そして、このような状態が先ほどの「統合」という意味合いになります。

 

それでは、「A」というお人形の存在は一体何なのでしょうか?
もうお分かりかと思いますが、「A」というお人形はあなたの「ハイア-セルフ」に該当します。
「A」のお人形は、インナ-チャイルドたる「C」のお人形は勿論、「今」の自分たる「B」のお人形もしっかりと包み込めるだけの包容力が備わっています。

 

そして、ここで気づいて欲しいポイントが一つあります。
私達の誰もが長所と短所を兼ね備えています。
長所は伸ばそうと思い、短所は補おうと心掛け、そして、それを実行していきます。
そして、このように思い、それを実行していけるのは「今」の自分のみが出来ることです。

 

つまり、「今」の自分というのは、インナ-チャイルドとハイア-セルフとの間における映し出しの関係から見い出されることになります。
長所を伸ばそうというのは、ハイア-セルフの視点から見て、「もっと」今の自分には可能性が秘められていますよ、という見方にも繋がります。
また、短所にしても同様に、ハイア-セルフの視点から見て、「まだまだ」引き延ばす必要性がありますよ、という見方にも繋がります。

 

そして、このハイア-セルフにおける視点の中には、長所における「もっと」というのは、すでにインナ-チャイルドを統合・受け入れられた状態が出発点となり、さらに可能性を開花させていくことが出来ますよ、というメッセ-ジになっています。
そして、短所における「まだまだ」というのは、まずはあなたの中のインナ-チャイルドに気づいてあげましょう、というメッセ-ジになっています。

 

長所にしても短所にしても、そして、インナ-チャイルドやハイア-セルフの視点にしても、全ては「今」の自分に対するメッセ-ジです。
なぜなら、「変化」を起こせるのは「今」の自分だけだからです。
そして、そのような「今」の自分の現状に気づけるということは、

 

すでに、あなたはハイア-セルフの視点を手に入れている

 

ということです。
ハイア-セルフとは他ならぬ「自分自身」です。
何か特別な、あるいは、自分とは異質な存在ではありません。
言わば、あなたの「エッセンス」という意味合いです。

 

ハイア-セルフたる「A」のお人形は、「今」の自分たる「B」のお人形も、そして、インナ-チャイルドたる「C」のお人形も全て包み込むことが出来ます。
そして、この3つのお人形が一体化している状態が、

 

本来のあなた自身

 

ということになります。
究極的に言えば、私達の誰もが、常にハイア-セルフとインナ-チャイルドと一体で人生を送っています。
ただ単に、気づいていない部分もある、ということだけです。
そして、そのような気づいていない部分に焦点を当てることで、一体化はさらに加速していけるということになります。
焦点を当てるというのが難しく感じられる場合は、

 

自分の中の何か忘れている部分を思い出す

 

というように捉え直してみて下さい。
「思い出す」という捉え方をすることで、あなたの中の抵抗感などは薄れていきます。
「今」の自分というのを見つめてみようと思う際は、よろしければ今回のようなマトリョ-シカなどのイメ-ジも活用してみて下さい。

 

ちなみに、今回の「A」「B」「C」それぞれのお人形を人体になぞらえて、「B」は「今」の人体、「C」はチャクラや経絡、そして「A」はオ-ラなどというように、それぞれのお人形を輝かせ、そして、その輝きを融合させるなどのイメ-ジ療法も出来ますので、自分なりに色々なケ-スを当てはめて試してみて下さい。

2016年6月24日 05:06

言葉の力とカルマ(業)

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

色々騒がせていた東京都知事の問題も辞職という展開で幕を引きそうでありますが、また、今回は「みみっちい・せこい」などもキ-ワ-ドとして出ていましたが、台風一過のように今回の件をやり過ごしてしまうことも、それこそ「もったいない」と思いますので、「他山の石」として活用してみようとの思いから、そして、二度と同じことが無いようにとの思いから、今回のテ-マ「言葉の力とカルマ(業)」を考えていきたいと思います。

 

今回の件は「またか!」と言うほどTVなどで報道されていましたので、今更あれこれと疑惑の例を出すつもりはありません。
そのような中、「精査・真摯・第三者・説明責任を果たす」などの「言葉」が今回はよく引き合いに出されていました。
このような「言葉」と「実際の言動」があまりにも掛け離れていると感じることが多勢であったと思われますし、そのことは実際は当の本人が一番感じていることと思います、、、、、

 

このように、今回は「言葉を裏切った」結果の側面でもある、と言えるかもしれません。
不適切な例えですが、例えば、あなたが誰かから以下のような質問をされたと仮定してみて下さい。

「 孤独死を防ぐために、色々な調査や訪問をしているのですが、あなたの身の周りの方で、そのような状況になりそうな方がいたら教えてくれませんか?力になりますので。 」

このような質問をされたあなたは、不審に思うこともあるかもしれませんが、それらしき団体名と名刺などを差し出された場合に、頭に思い浮かんだ「ある人」のためになるならば、との思いから身近な方の情報を教えることもあるかもしれません。
勿論、これはあなたの「善意」から出た行動です。

 

そして後日、そのある人が特殊詐欺の被害に遭ったとあなたは耳にしたとします。
あなたの頭の中には、そう言えば?と、ある出来事が思い浮かぶことでしょう。
勿論、「孤独死を防ぐために・・・」という言葉を信じたあなたが悪い訳ではありません。

 

仮に、このような出来事が起こった時に、あなたはどのように感じるでしょうか?
そして、
あなた自身が、このような特殊詐欺の為に使われた「言葉」であるとしたら、あなた自身たる「言葉」はどのように感じるでしょうか?

 

それは悲しみかもしれませんし、申し訳ないという気持ちかもしれませんし、怒りに転化されることもあるかもしれません。
そうです、、、、、

 

あなた自身が感じることは「言葉」も同じように感じている
そして、
そのように感じるということが「言葉の力」

 

でもあるということです。
もし、悲しみや怒りなどを感じたあなたは、あなた自身のその後の行動にも影響が出てくるかと思います。
それは「言葉」も一緒です。
そして、「逆もまた然り」で、良き言葉を発するというのは、このような意味からも「力」を伴っています。

 

ところで、「カルマ(業)」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
仏教などでは「業」と言われることもありますが、「業が深い」などの使われ方をされるように、どちらかと言えば「罪」や「罰せられる」などのようにネガティブで怖い意味に捉えている方が多いと思います。
怪しい新興宗教などでは脅し文句のように使われているケ-スもありますので、無理からぬ捉え方かもしれません。

しかし、「カルマ(業)」というのは、単に、

 

自分の行ったことは、自分に反ってくる

 

という単純な仕組みを表しているだけです。
よく、良き種を蒔く、自ら蒔いた種は自ら刈り取る、などとも表現されたりします。

これは、「言葉の力」と本質は同じです。
良き言葉を発すれば良きことが反ってくる。
良き行いをすれば良きことが反ってくる。

そして、繰り返しですが「逆もまた然り」で、不適切なことをすれば、不適切なことが反ってくるということです。
「自業自得」あるいは「身から出た錆」などは同じ意味で馴染みのある表現かもしれません。

 

「カルマ(業)」という表現は、どちらかと言えば、ある種の負?のイメ-ジを伴っているように感じられますが、特別なことではありません。
また、本来の意味としては、良いことが起こる、あるいは、悪いことが起こるというような一義的なものでもありません。

そして、良き種を蒔くということの繋がりとして、

 

実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな

 

という表現もあります。
これは感謝であったり謙虚な姿勢を表すもので、傲慢にならないようにとの戒め、あるいは、自らを律するということにも繋がっています。

 

今回の東京都知事の件は、「自ら蒔いた悪い種を、頭が垂れるほど実る前に自らが刈り取った」という結果に過ぎないのかもしれません。
自らの体裁を整えるために「言葉を裏切った」結果としての「言葉の力」、そして、「自らが行ったことが自らに反ってきた」結果としての「カルマ(業)」、、、、、

 

そして、この「カルマ(業)」というのは、個人のみならず、家族、地域、職場、日本などのように、それぞれの「カルマ(業)」があると言われたりもしています。

 

家族の中でも意見や考え方が違うというのは当然あります。
また、そのような意見や考え方というのは、地域、職場、日本などのように、規模が大きくなればなるほど、その違いも鮮明になっていきます。
そして、それぞれの「カルマ(業)」があるとすると、例えば、

 

少数派の意見や考え方をしている私は、多数派の意見や考え方の「カルマ(業)」を受けることになるのか?

 

と、不安?に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、そのようなことはありません。
では、どのようにすれば良いのかというと、

 

常に関心を保つ

 

ということです。
これは、実現出来ようが出来まいが、私には関係ない、私一人の意見など言っても無駄だ、というような「無関心」を装わないということです。
「無関心」ということは「自分の人生を他人に預けている」ことと同じことになってしまいます。

 

世の中の全てが多数派の意見や考え方で動いている訳ではありませんし、それが正しいとも限りません。
これは、少数派の意見や考え方が正しくも間違っているという訳でもないのと同様です。

 

「関心を保つ」というそのこと自体が「良き種を蒔いている」

 

という思いが「無関心」を装うことを回避することに繋がっていきます。
そして、「カルマ(業)」の本質の一つとして、

 

バランスを保つ

 

ということがあります。
バランスを保つというのは、良いことをしたから、それと同じ程度の悪さが許されるという意味ではありません。
私達の中で決して間違いを犯さない、ミスをしない、失敗をしないという人は一人もいません。
間違っていたと思ったら謝り、そして、二度と同じことを繰り返さないという心掛けをし、それを実行していくということがバランスを保つという意味合いです。

 

今回の東京都知事の件では、悪い部分ばかりが取り沙汰されていますが、社会の現実的な部分では光が射した側面もあります。
今回の件の発端の一つには「政治資金規正法」という法律が関係しています。
これもニュ-スなどで取り上げられたことで、初めてその内容を知った方々も多いと思います。

 

東京都知事の説明に納得出来ない、あるいは、あまりにも一般の感覚から掛け離れているという意見は98%にも及んでいるとされています。
そして、この意見は裏を返せば、

 

今のままの政治資金規正法の内容ではおかしいのでは?

 

という意見と本来は「=(イコ-ル)」の割合になるはずです。
そして、私は今回の東京都知事を「吊し上げよう」という思いもありません。
残念ながらマスコミなどでは、お祭り騒ぎのように単に糾弾のみを行っているように見受けられる部分もあります。
このような時、感情のみで判断するのではなく、理性的な部分を働かせていくことが必要になります。
そのような意味からも、辞職をしたとしても、やはり事実かどうかを明らかにしていく必要性はあると思います。

 

例えば、皆さんのお子さんや、あるいは、身近なお子さんなどが仮に万引きをしたとします。
その際、万引きした品物を返したからそれで良い、あるいは、その商品の代金を後日支払ったからそれで良い、、、、、となるでしょうか?
やはり、まずは謝り、そして、なぜ万引きをしたのか、そして、今後二度と同じようなことをしないということを本人に気づかせることが今後のためにもなるのではないのでしょうか?

 

もし、今回の東京都知事の今までの発言の中に、仮に「嘘」があるのであれば、、、、、同じことと思います。
「最初に謝っておけばこのような結果にならなかったのでは?」などの論調もありますが、私個人としては今回の経緯も大いに意味があったと思っています。
そして、もしそうであるならば、世間に公表されようとされまいと、結局はそのような事実と反した発言をした当人が「カルマ(業)」のバランスを取る、という状況に取り組まざるを得なくなるでしょう。
そのような意味でも、全てを明らかにした方が、今後の本人のためにもなるのでは、、、、、
そして、調査をしたとされる第三者たる弁護士も同様なのでは、、、、、
立つ鳥後を濁さず、、、、、と個人的には思っています。

 

来週からは参議院選挙の運動も本格的に始まり、そして、今回の件から「政治資金規正法」という闇の部分が白日の下に光に照らし出された格好です。
全てとは言いませんが、おそらく多くの方々が他の政治家も似たようなことをしているのでは?と思っているのではないのでしょうか、、、、、
それでは、この「政治資金規正法」から生み出されている「負のカルマ(業)」のバランスをどのように取っていくのでしょうか?
また、バランスを取ろうと訴える候補者や政党は出てくるのでしょうか?
この答えは、今回の選挙だけでは明らかになりません。
「関心を保つ」ということが答えを見出す一つの「良き種」にもなります。

 

「言葉の力」や「カルマ(業)」というと、実生活とは程遠くて現実味がなく、また、難しく感じられる部分もあるかもしれませんが、今回のような政治や選挙というテ-マに限られることでも勿論ありません。
このような考え方を当てはめてみて、そして、それを活用していける道や方法は無数にあります。
「関心を保つ」という思いから、色々な身近な出来事をご自身なりに読み取っていくと、さらなる新たな発見に繋がっていくことと思います、、、、、

2016年6月17日 02:06

はじめてのおつかいと守護霊

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

梅雨時に入り、雨が多くなっていく季節でもあり、また、世間では政治と金の話題で持ちきりで、気分も滅入りがちな方もいらっしゃるかもしれません。

 

そこで、今回は唐突ですが「はじめてのおつかいと守護霊」というテ-マでお伝えしていきたいと思います。
守護霊という言葉を聞くと拒否感を感じる方も多くいらっしゃると思いますし、当然のことながら科学的に解明されているものでもありません。
勿論、私にも実相というのは分かりません。
私達個々の存在が「意識」なのか、はたまた「魂」と呼べるのかも解明されていない中では、その背景たる守護霊という存在はもっとほど遠い存在に感じられるかもしれません。
今回のテ-マは一端として守護霊を扱っていきますが、軽いおとぎ話やSFの世界のように興味のある方は気軽に読み取って頂ければと思います。

 

ちなみに、よく守護霊とハイア-セルフという呼称が混同されているケ-スがありますが、守護霊も大きな意味では私達自身であるという見方も出来ますが、ハイア-セルフは「高次の自己」とも訳されているように、まさに身近な自分自身であると解釈されます。
また、守護霊を科学的に解明しようという試みはごくごく一部でしか行われていませんが、ハイア-セルフは心理学などのアカデミックな分野でも研究されているように、近年では比較的受け入れやすくなってきている傾向があります。

 

また、皆さんも小さい頃に通っていた学校で怪談の類の話は一度は耳にしたことがあるかと思います。
そのような意味からも、私の小学校時代では背後霊という呼称がよく使われていましたが、これも守護霊と同じ意味合いと捉えて頂いて大丈夫です。

 

ところで、守護霊という日本語の呼称はとてもおどろおどろしく感じられる印象を伴っています。
守護霊らしき存在というのは、古今東西、色々な語り継がりや文献・遺跡などからも散見されています。
世界各国では守護霊らしき存在を、ガ-ディアン・スピリットや天使・精霊という呼称で、守護霊という呼称よりは、より親しみやすさを伴って表現されている地域も多いです。

 

このような守護霊は、一人の人に通常複数の存在が見守っているとされています。
まずは主たる守護霊が存在し、その他に、仕事やその人の能力に応じてサポ-トする守護霊、人生全般を見通してその時々をコ-ディネ-トする守護霊、また、身近な方々が旅立った後に、残された人をサポ-トし自分自身の学びを目的として、旅立った身近な方々が補助霊として見守るケ-スがあるという紹介もなされたりします。

 

このように守護霊とは複数存在していると言われていますが、能力に応じた守護霊や、コ-ディネ-ト役の守護霊はその時々で入れ替わると言われています。
身近な例では転職前と転職後で仕事の内容が明らかに変わった時などに、その人の能力を最大限引き出せるように、その得意分野たる守護霊に入れ替わるという意味合いです。

 

そして、最初の主たる守護霊は一生入れ替わることはない、と言われています。
そして、守護霊のいない人は一人もいない、とも言われています。
つまり、数の違いはあれど、誰にでも守護霊のサポ-トはあるということです、、、、、

 

ところで、長年放送されているTV番組に「はじめてのおつかい」というのがあります。
私も好きで毎回観ています。

 

ご存じの皆さんも多いでしょうが、この番組は、3歳頃から小学校低学年位までの子どもが、人生ではじめておつかいに出かける様子を追跡するという内容です。
ご病気などで家などから出られないという場合は別ですが、私達の誰もがどこかで必ず辿ってきた道のりです。

 

はじめておつかいに出かける様子を撮影するということで、それをサポ-トするTVスタッフの皆さんは色々な扮装をし、手を出すことなく子どもの様子を見守っていきます。
子どもですから予測がつかない行動もあります、また、寄り道もしょっちゅうです。
走って転んで泣いてしまう子どもも勿論います。
また、時には危険と思われる横断歩道などでは、スタッフの方が一般の通りがかりの人を装い、手を繋いで渡るような助け船も出したりします。

そして、大人であれば何の変哲もない道路、あるいは、歩いてすぐの距離であっても、

 

怖さや不安から一歩を踏み出せない

 

という子どもも多くいます。
しかし、そのような子どもにも、時には言葉掛けなども行いますが、極力手助けをせず、その子が一歩を踏み出すまでじっと見守っています。
そして、一歩を踏み出した子どもの様子をその後も見守っていきます。

 

後ろから見守り、前方や左右から見守り、そして、所々の目標地点、さらに、おつかいのゴ-ル地点でも待って見守っています。
このように、常にその子どもから付かず離れず、しかし、何かの折には手助け出来るような距離感を持って見守っていきます。

 

そして、買う物を間違えた、あるいは数量が足りない、また、買った物が重くて持てず引きずって中身がこぼれてしまうこともあれば、落としてしまうこともあります。
しかし、このような時も極力手を出さずに、家に辿り着くまでじっと見守っていきます。

 

先ほど私はこの番組を好きでよく観るとお話しましたが、それと同時にこの番組を観ているといつも感じられることがあります。
それは、

 

この見守りは、人生における守護霊の見守りと同じなのでは?

 

という思いです。
極力手を出さず、その子どものあるがままを見守っていきます。
少し転んだ位では助け船も出しません。
しかし、ここは危ないかも?という所では一般人を装って助け船を出すこともある、、、、、

 

勿論、この世の中には震災や自然災害、病気、痛ましい事故、残虐な事件もあります。
守護霊がいるならば、なぜこのような危険な場面を回避し、助け船を出してくれないのか?という感想があることも本音だと思います。
私もそのような本音もある部分では持っています。
そして、このような危険な状況とどうして出会う人がいて、色々なケ-スがあるのだろう?など、ニュ-スなどを観ていていつも思ってしまいます。

何か見えていない繋がりがあるのだろうか? あるいは、自分では気づいていない何かがあるのだろうか? などと、、、、、

ただ、今回のテ-マのはじめてのおつかいという意味では、

 

おつかいの内容をしっかりと果たす

ことが目標ではなく、

おつかいを最後までやり遂げる

 

ということが大きな目標であり、テ-マです。
はじめてのおつかいで買ってきた物が違う、数が足りない、などの理由で子どもを怒る親はいないと思います、、、、、
そして、はじめてのおつかいをやり遂げたことで子どもを褒めてあげるのではないかと思います、、、、、

 

そして、私はこのおつかいに出す親御さんというのが、先ほどの一生入れ替わることのない主たる守護霊と重なって思えることがこの番組を通して感じ入ることがあります。
親御さんというのは、血縁に限らず親代わりの人なども同様です。
そして、おつかいの道中を撮影しサポ-トしているこの番組内のスタッフの方々が、時折入れ替わりもする他の守護霊と重なるように感じ入ります。

 

そして、何度もおつかいに出して、何度も同じ失敗を犯してしまう時には、それに気づかせるように時には叱咤激励することもあるでしょう。
それは、その子どものことを思って、あえて手を差し伸べす、転ばせるということもあるかもしれません、、、、、

 

先日の北海道における子どもの置き去りについても、山中であるという場所はともかく、言う事を聞かない子どもに対して、今のままならば置いていくよ、というケ-スは比較的多くあり得るのでは?と思っています。
真相は分かりませんが、そのような事の全てが心理的虐待と判断されてしまうと、あまりにも過保護に繋がってしまうのでは?と懸念も感じてしまう所もあります。
全ては、

 

どのような思いから出ているのか?

 

が大切な判断基準なのかもしれません。
そして、このはじめてのおつかいという番組内では、

 

子どもは究極的には安全

 

です。
なぜなら、

 

常に見守られている

 

からです。
繰り返しですが、先ほどの自然災害や残虐な事件などについては私も分かりません。
しかし、

 

常に一人で不安に苛まれている

 

ように日々を過ごすよりは、

 

常に見守られている、、、、、かも?

 

という心持ちで日々を過ごす方が人生はスム-ズに進んで行くのかもしれません、、、、、
なぜなら、

 

見守られているという安心感が心に余裕を産み出す

 

からです。
余裕がないとパニック感で普段出来ることも出来なくなってしまうことも多々あります。
勿論、現実的に人と人との寄り添いや支え合いも大切なことですし、確かな力になっていきます。

自分は一人だ、と塞ぎ込みたくなるような気分の際は、守護霊という存在もあるかも?そして、私を見守ってくれているかも?という気分の切り換えを行ってみてはいかがでしょうか、、、、、

 

そして、今回は守護霊というスピリチュアルな分野のお話でしたが、このようなスピリチュアルな見解・見方というのも役に立ちますし、色々と活用出来ます。
勿論、役に立ち、活用出来るのはスピリチュアルな分野に限りません。
それは、たった一つの言葉であるかもしれませんし、哲学であるかもしれませんし、仏教などの宗教かもしれませんし、好きな歌かもしれませんし、好きな漫画やアニメかもしれません。
人それぞれ違うことと思いますし、違いがあって当然のことでもあります。

 

しかし、大切なのはバランスを保つことです。
バランスを保つとは、例えば、スピリチュアルな分野に興味があるならば、そこで良いなぁ~と感じた考えなどを実生活において活用することです。
そして、それと同時にスピリチュアルな見解・見方を実生活からの逃げ道の「言い訳」にしないということです。

 

私も個人的にはスピリチュアルな分野における視点・見方には興味を持っていますし、時にはカウンセリングなどでもクライアントの傾向を把握して活用したりもしています。
ただ、スピリチュアルな分野に過度に傾倒している場合などは、「想像のみの世界」に留まっているケ-スも見受けられます。
そうならない為にも、是非、実生活とのバランスを取るように心掛けてみて下さい。
そして、守護霊からのアドバイスに耳を傾けるのも拒否するのも、あなた自身に全て委ねられています、、、、、

 

ちなみに、守護霊のいない人は一人もいない、とコメントしましたが、
今だに大きな話題?疑念?を作り続けている現東京都知事にしても同様です、、、、、
この方の守護霊は、現在の状況をどのような視点から見守っているのでしょうか、、、、、?
あるいは、あえて転ばせているのでしょうか、、、、、?
皆さんも自由に想像してみて下さい、、、、、

2016年6月10日 01:06

立体迷路と灯台もと暗し

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

本日、北海道において躾と称して置き去りにされた男の子が無事に保護されたとの報道がなされていました。
何はともあれ、無事に保護されたとのことで何よりです。

 

この男の子が発見されたのは自衛隊の施設とのことです。
そして、その施設は、捜索範囲内に存在はしていたものの、その施設自体は捜索対象ではなかった模様です。
そのような施設にもしかしたら居るかも? とは思えなかった捜索する側の気持ちも分かるような気はします、、、、、。

 

公表されるかどうかは分かりませんが、これから色々な事柄が明らかになっていくでしょうし、TVなどでは「子どもならではの発想」で大人側にはなかなか気づけなかったなどの論調も出ているようです。
そこで、今回のテ-マ「立体迷路と灯台もと暗し」を進めていきたいと思います。

 

立体迷路は皆さん小さい頃などに楽しんだことはあるでしょうか?
よく遊園地などに設置されていたり、また、季節の風物詩としてお花畑などを立体迷路として提供している場所もあります。
本や紙の上の迷路とは違い、遊園地などの立体迷路は、スタ-ト地点では考えていても埒があかず、ひとまず進み続けることで道が開けてくるような構造です。

 

そして、所々に小高い展望場所が設置されていることにより、そこから俯瞰して当面のゴ-ル地点を発見し、さらに進み続けて行きます。
ようやくゴ-ルに到着すると、そこには扉が設置されていて、ゴ-ルが判明するという施設が大方であるとも思います。

 

ところで、このような立体迷路の構造は、人生における色々な諸問題や悩みなどにも通じる点もあります。
それでは順番に見ていきましょう。

 

まず、あなたは遊園地内でその立体迷路の遊びに参加するかどうかを考えることでしょう。
他にも色々な遊具が一杯あります。
そのように考えている中で、あなたは今回は立体迷路の遊びに参加することを選択し決断します。

 

そして、立体迷路に一歩足を踏み込むと、そこから先の手掛かりは考えていても存在しません。
まずは、どちらか、あるいは、いずれかの道に踏み出して歩んで行くことになります。
そして、色々歩いて行くうちに引き返したり、同じ道を辿っていることに気づくこともあるでしょう。

 

しかし、それでも進み続けていると、少し展望の開けた場所に到達します。
そこであなたは少し高い地点からゴ-ルを俯瞰し、もう少しだ、あるいは、まだまだ先だ、などの感想と共に、ゴ-ル地点の方向性を定めて再び歩み出して行きます。

 

そして、その後も同じような足跡を残して進んで行きます。
進む → 俯瞰 → ゴ-ル方向を確認 → 進む → 俯瞰 → ゴ-ル方向を確認 → 進む・・・・・と。
この時のあなたの中には、歩み進み続けていることで、確実にゴ-ルに近づきつつあるとの感想も伴っているかもしれません。

 

そして、ようやくゴ-ル地点と思われる場所に到達しました。
実際の遊園地などの施設ではあり得ませんが、ある意味ここからが本題です。

 

あなたにはゴ-ルに到達したとの確かな実感があります。
しかし、前方には今まで通りのただの壁が立ちはだかっています。
そして、右にも左にも同様に壁が立ちはだかっています。
後方は今まで辿ってきた道のりです。

 

あなたはここまで進み続け、そして俯瞰してゴ-ル方向を確認し、それを繰り返し行ってきました。
そして、今いるこの地点がゴ-ルであると確信しています。
しかし、前方・左右には壁があり、後戻りもしたくない八方塞がりのような光景が目の前には開けています。

 

実際の立体迷路ではあり得ない構造であるということを前提の上で、あなたはこのような状況や光景を目の前にして、次にどのような行動を取るでしょうか?

 

もうお分かりかと思いますが、答えの一つは、あなたの足元にあるかもしれませんし、あなたの頭上にあるかもしれません、、、、、
足元のマンホ-ルのような蓋を取り払い、その中を進んで行くことで地上のゴ-ルに繋がっているかもしれません、、、、、
また、頭上のロ-プやハシゴなどを発見し登って行くことでゴ-ルに繋がっているかもしれません、、、、、

 

全てではありませんが、人が諸問題や悩みの渦中にある時、そして、これ以上何をして良いのかが分からないと思える時、
実は、、、、、

 

すでに当面のゴ-ルたる目標地点に到達している

 

というケ-スもあります。
しかし、あなたの中にはゴ-ルに到達しているという感触がありながらも前後左右の光景にのみ目を捕らわれていることで、その地点からの次の一歩を踏み出す先が分からないということもあり得ます。

 

頭上のロ-プやハシゴを辿って行くことで、2階の新たな立体迷路のスタ-ト地点に繋がっているのかもしれません、、、、、
また、
あなたが次のステップへと続く足元の蓋の上に立っているため、その蓋を開けることが出来ないでいるかのかもしれません、、、、、

 

灯台もと暗しとは、あなたの足元が一番暗くて見えづらいという意味です。
また、あなたの周りは明るいが、あなた自身が暗く、よく見えていないということも暗に含まれています。
そのようなことから、あなたの頭上も同様です。

 

このような時、前後左右、あるいは斜めも含めて、一歩下がることにより、あなたの足元や頭上が明かりで照らし出されることが可能となります。
そして照らし出され、視点が変わることにより目の前の光景に変化が表れ、足元や頭上の状況を把握しやすくなり、次に歩み出すスタ-ト地点への入り口を発見しやすくなります。

 

また、目の前の壁だと思われていたものが、実際に触れてみると次への扉であったということを発見することもあるかもしれません。

 

本来の人生には終わりがないのと同様に、この立体迷路にも終わりがありません。
しかし、それぞれのゴ-ルたる目標地点には、休息場所や飲み物や食べ物なども設けられています。
しかし、それもあなたが、ここがひとまずのゴ-ルだと気づき、そして、次に歩み出す入り口に気づくまでは、このような休息場所や飲料などもあなたの目には映っていないこともあるかもしれません。
ゴ-ルではないのだから一息入れて休んではいられない、とのあなたの思いがそうさせているのかもしれません。

 

終わりがない立体迷路ですが、必ずそのゴ-ルたるそれぞれの地点地点にはあなたにとって必要な休息場所や必要なものが備えられています。
それは書物かもしれませんし、映画かもしれませんし、何かしらの智恵や今までの経験であるかもしれません。

もし、色々とやってはきたが八方塞がりと感じる折には、今一度、

 

実は自分はひとまずのゴ-ル地点にいるのでは?

 

と「発想を転換」してみて下さい。
そして、時には、あなたの周りを照らすのではなく、

 

あなた自身を照らし出す

 

ということを心掛けてみて下さい。
照らし出されたあなた自身にアドバイスをしてくれる誰かがあなたを発見しやすくなるかもしれません、、、、、

 

ここから先は余談ですが、今回の北海道の件は、先に「子どもならではの発想」との論調があるとも紹介しました。
ヒプノセラピ-(催眠療法)などでも、7歳位の年齢の子どもはまだまだ前世の記憶や影響を色濃く残しているとの見解も数多くあります。
これは裏を返せば、まだまだ「魂の視点」を色濃く有し活用しているとも表現出来ます。
これを大人側の理屈で言えば「本能」と表現出来るのかもしれません、、、、、
また、「子ども目線」という言葉もよく聞かれますが、子育てなどで何か課題がある場合などは、このような「子ども目線」と同様の「魂の目線」という視点を大人側が持つことで、何かが開けてくるかもしれません、、、、、

2016年6月3日 03:06

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