明石家さんま さんの「神対応」から

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

先日、お笑い芸人の明石家さんま さんの特集番組がTVで放映されていました。
その番組の1コ-ナ-で、明石家さんま さんのファンに対する「神対応」に関して色々紹介されていました。

「神対応」は最近色々な所で使われていますが、私なりの表現を用いれば、

 

人と接する際の、素敵な身の処し方

 

と、言えるかもしれません。
この中では、ファンの方への写真撮影の要望に応えるケ-スが紹介されていました。
その紹介について、明石家さんま さんは以下のように心情を語っていました。

 

「 (電車などの時間の制約がない限りは写真撮影は断らない。なぜなら、)
写真も「はいよ!」って応ずる方が、一発で済む。
そのように対応した方が、(自分の中で)精神的に楽!
マスクや帽子など(の変装)をしていると、苦しくてしんどい! 」   と。

 

それを聞いていたある芸能人の方も、

「 (変に)ザワザワされるより、普通に挨拶した方が良いのかなって(思う時もある)。 」

と、いう風にコメントしていました。
芸能人やスポ-ツ選手など、絶えず衆知の目に晒されている状況は、ストレスも相当なものと感じます。
自分だと分からないように振る舞いをしていても、誰かに気づかれ、場が騒然となっていく。
そして、そのような場になって初めて、何かしらの対応をせざるを得なくなる。

 

その対応にも、場を騒然とさせないよう立ち去る、あるいは握手などに応じる、など様々なことでしょう。
立ち去れば立ち去ったで、後で、TVと違う、お高くとまっている、などと揶揄されることもあるでしょうし、
握手や写真などに応じても、全員に対応するには無理があることと思います。
対応されなかった人は不快に思う方もいるかもしれません。

 

私達も日常生活において、様々な人との対応をしています。
そして、多くの方が社交的な対応をする際に、

 

「出来るだけ自分を出さないように」

 

と、無意識に心掛けている方が多いかもしれません。
そして、そのような対応をすることが、相手の人を立てることになる、という思いもあるのかもしれません。

 

このような対応は、ある種、日本人的な発想なのかもしれません。
「控えめに」という美徳であるのかもしれません。
私もそのように思うこともありますし、「相手を立てる」という思いも素敵なものだと思います。

しかし、このような思いの中に、

 

相手を立てるためには、「自分」を抑えなければならない・制限しなければならない

 

という「思い込み」も幾分あるように私には感じられます。
これは、詰まる所、

 

ある状況のもと、相手も自分も楽しむためには、どちらかが制限しなければならない

 

という「思い込み」にも繋がっていきます。
そして、このような「思い込み」は最終的に、

 

幸せになるには、何かを犠牲にしなければならない

 

という「思い込み」を形作る基盤となっていきます。
私達はどちらかと言うと、人生を「加点方式」ではなく、「減点方式」で捉えがちな傾向もあります。
また、「つつがない100%の人生」を送りたいという「幻想」にも捕らわれがちになります。

 

しかし、「減点方式」の人生では、「100%の人生」を送ることはほとんど不可能なことと思います。
今日は少し腹を立ててしまったからマイナス5点、見て見ぬふりをしたからマイナス10点。
そのような今日でも、美味しいものを食べられたからプラス5点上げて、差し引きマイナス10点の今日としよう、という発想もあり得ます。

 

一日を振り返り、明日のための反省点に気づくことは、とても大切なことと思います。
しかし、毎日を差し引きプラスになる点数で人生を送っていくことも、なかなか大変なことです。
なぜなら、差し引きプラスになる点数を付けていると、だんだんマイナスの点数の出来事に気づきにくくなっていくからです。

 

ところで、明石家さんま さん繋がりで、明石家さんま さんの歌に「笑顔のまんま」というのがあります。
作詞は明石家さんま さんと、作曲も手掛けたBEGINとの共同作詞となっています。
そして、この歌の歌詞の一節に以下のようなフレ-ズがあります。

 

「 そうさ 人生 生きてるだけでまるもうけ! 」

 

以前、明石家さんま さんの番組を観ていた時に、さんま さん自身がこのフレ-ズを自分の人生で一番大事にしている、とお話していました。

 

「 生きてるだけでまるもうけ! 」

 

このフレ-ズから、私達は実はこの世に生きているだけで本来は素晴らしいもの、
そして、生きているだけで実は100%の人生を送っている、、、、、と私には感じられます。

 

「加点方式」の人生を送るのは、実はとても簡単なことです。
そもそも生きているだけで100%です。

 

先の例のように、今日は少し腹を立ててしまったからプラス3点、見て見ぬふりをしてしまったからプラス1点、
そして、そのような今日でも美味しいものを食べられたからプラス5点、という風に、

 

反省する出来事に対しては、少ないプラスの点数を自分に与える

幸せな出来事に対しては、多いプラスの点数を自分に与える

 

というように、人生を肯定的に捉えていくことが出来るようになります。
そして、同じプラスの点数でも、少ない点数は明日への糧とし、多い点数は更なる明日への希望とすることが出来ます。
そして、「加点方式」の一番の利点は、

 

自分を慈しむことが出来る

 

という点です。
「減点方式」では、「自己嫌悪」「罪悪感」が増していきますし、その結果「自己憐憫」「嫉妬」そして「共依存」へと繋がっていく怖れもあります。
ちなみに「共依存」とは、自分と同じような苦しみを持っている相手と共感し、そして、相手に共感して貰うために、どんどん苦しみをお互いにエスカレ-トさせていく兆候です。

なお、あるご病気や依存症などで、そのご本人やご家族の方などが情報を共有し合ったり、お互いに心を開いて話し合っていくようなケ-スは「共依存」ではありません。
なぜなら、そこには「現状を変えていこう!」という明白な、そして肯定的な目的・動機がありますので、誤解なきようお願い致します。

 

明石家さんま さんの根底には、「生きてるだけでまるもうけ!」ということがあることと思います。
そして、「笑い」というご自身なりの能力・道具を活用して、周りにも「笑顔」を届けたいとの思いがあることでしょう。
そして、そのようなファンの方への対応について、「自分が楽」な方法で行っています。

 

私は明石家さんま さんのファンということではありません。
「笑い」のつぼや、「笑い」の質というのは、人それぞれです。
明石家さんま さんの「笑い」のツボ・質は好まないという方もいらっしゃるでしょう。

 

今回は、自分が楽な方法で人生を送っても大丈夫、そして、「減点方式」ではなく「加点方式」の人生へと見方を変えることで少しでも助力になればとの思いで進めてきました。
なお、「加点方式」と言っても、実際に毎日細かく点数を付けていく必要はありません。
そのような心情・心持ちで毎日を送っていくにつれて、自分の中の何かが変化していくことと思います。

2015年11月27日 04:11

見えないものを感じる

こんばんわ。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回は「見えないものを感じる」というテ-マです。
このテ-マは、2015年8月27日のTOPICS「感覚を磨くとは」というテ-マの流れを汲んでいますが、少し違った角度から進めて行きたいと思います。

 

ところで、皆さんは「風」を感じた経験はあるでしょうか?
・・・・・
おそらく、ほとんどの方が「風」を感じた経験があることと思います。

 

11月の下旬のような今の季節ですと、全国的にも「風」が冷たく感じる機会が多いことでしょう。
時には「肌を刺す」ような冷たい風を感じることもあるかもしれません。
「風」を「触覚(体感覚)」で感じているのでしょう、、、、、

 

また、屋台の焼き鳥や焼きそばの匂いなどを嗅いで、良い匂いだなぁ、お腹が空いてきたなぁ、あるいは、匂いの元となっている味を感じて唾液が出てきたりといった経験もあるかもしれません。
昔から「ウナギは匂いを食べさせるもの」とも言われています。
「風」を「嗅覚・味覚」で感じているのでしょう、、、、、

 

また、風の音がうるさくて眠れないなぁ、風がビュ-ビュ-と強くて窓がガタガタ言ってるなぁ、などの経験もあるかもしれません。
「風」を「聴覚」で感じているのでしょう、、、、、

 

また、家や職場の窓から外を眺めていると、広告の旗やのぼり、あるいは、洗濯物が飛ばされそうな位に、なびいている様子を目にしたことがあるかもしれません。
「風」を「視覚」で感じているのでしょう、、、、、

 

ところで、この時の「風」は皆様の目に見えているのでしょうか?
屋台からの煙などとして目に見えているのかもしれません。
しかし、「風」そのものは目に見えているのでしょうか?

 

小さなお子さんでも分かる質問かもしれませんが、

 

「風」そのものは目に見えていません

 

では、なぜ私達は目に見えていない「風」を認識出来ているのでしょうか?
それは、

 

「五感」を活用している

 

からです。
とても当たり前なお話に思うかもしれません。

 

しかし、「風」を知らない人が台風などを経験した時に、どう反応するのでしょうか?
天が怒っている、何か巨大な生物が近づいている、あるいは、この世の終わりだ、などと反応するかもしれません。

 

しかし、私達は「風」を知っているからこのような反応はしません。
台風だから外出は控えよう、洗濯物を早めに取り込もう、などと必要な行動を起こすことと思います。

 

私達は「未知」なものを怖れたり、不安に思う傾向があります。
しかし、「知って」しまえば、むやみに怖れたり不安に思うことも少なくなっていきます。
そればかりか、前もって必要な行動を取ることで不必要な経験を回避することも出来ます。

 

「知る」ことにより、私達の中にある「必要なもの」と「不要なもの」を整理することが出来るようになります。
そして、「不要なもの」を手放すことにより、新たに「必要なもの」を増やしていくことも出来るようになります。
そうすると選択肢も増え、安心して行動を起こしやすくもなります。

 

本来、直感や第六感でメッセ-ジを受け取ることは特別なことではなく、
実は私達は自分でも知らないうちにメッセ-ジを受け取っています。
そして、メッセ-ジを受け取っていても、そのままにしておいては何も変わりません。
「五感」を活用して「行動する」ことによって、初めて変化が訪れます。

 

直感や第六感は「目」に見えません。
しかし、ちゃんと「五感」のいずれかを活用して私達は気づいています。
そして、「知る」ことで安心して行動に移れるようになります。
この仕組みは「風」を感じることと何ら変わりはありません。

 

「知る」ことで自分の中の「必要なもの」と「不要なもの」が区分されます。
そして、「不要なもの」を手放せば、別な「必要なもの」を身に付けることが出来ます。
精神的にも肉体的にも、いっぱいいっぱいの状況にいるなぁと思われる時には、
「知る」ことを活用して、「自分の中」を整理してみて下さい。
きっと、何か新しい素敵なものが発見出来ることと思います。

 

ちなみに、このTOPICSでも以前からお伝えしていますが、レイキ ヒ-リングは、習ったり、あるいは、アチュ-メントを受けなければ活用出来ないヒ-リングではありません。
誰でも今すぐに行うことの出来るヒ-リングです。

 

「習う」ということは「知る」ことでもあります。
レイキに対する自分の中の疑問などが解消される(不要なものを手放す)ことにより、レイキに対する新たな見方を得ることで、より効果的なヒ-リングが出来るようになるという意味合いです。

 

また、ヒプノセラピ-(催眠療法)における「暗示」の効用を「知る」ことで、
コマ-シャルやニュ-スの報道、あるいは、社会の仕組みなどの「真意」が見えてきます。

 

インタ-ネットなどでは情報が溢れかえっています。
正確な情報もあれば、不正確な情報も紛れ込んでいることもあります。
最初は不正確な情報を拾ってしまうことも多々あるかもしれません。
「知る」ことにより、「見えない真意」に気づき、そして、気づくことによって、新たな視野が広がっていくこともありますので、興味のある方はTVや新聞、インタ-ネットなどを活用して練習してみると面白いかもしれません。

2015年11月21日 07:11

プロフェッショナル

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回は「プロフェッショナル」というテ-マで進めて行きたいと思います。

 

先日、TV番組で、プロ野球の鈴木 尚広(ジャイアンツ所属)選手の特集が放映されていました。
鈴木 選手は、いわゆる「代走」のプロフェッショナルです。
代走とは、主に試合の終盤において、1点差で負けている、あるいは、あと1点取れば勝てるなどの場面で、
塁に出た選手に替わって走塁を行う役割です。

 

「足のみ」で次の得点を産み出す。
文字通り、次の1点への「足掛かり」となるべく、とても大切な役割になります。

 

ところで、鈴木 選手もプロの世界に入ってすぐに代走の役割を自ら進んで始めた訳ではありません。
プロの世界ですから活躍に応じて年俸も変わってきます。
そして何より、長い間野球をやっているので、当然レギュラ-として毎試合出場することが最低限の目標であったと思います。

 

しかし、鈴木 選手にはなかなかレギュラ-として定着する機会が訪れませんでした。
自分の足を活かすために、少しでも1塁に近いように、右でも左でも打てる、スイッチヒッタ-にも取り組みました。

 

しかし、それでもなかなか試合に出場する機会が訪れません。
そこで、鈴木 選手は自分を見つめ、そして本当に「足」を活かせるよう代走のための体作りなどに取り組み始めました。
そして、そのためには何よりもまず、そのための準備を怠らないように、他の選手よりも早く球場入りし、ストレッチやトレ-ニングを行っているそうです。

 

代走が主な役割とは言え、試合展開によってはその後の守備にもつきますし、打席も回ってきます。
当然のことながら、代走の準備に加え、守備・打撃の練習も行う必要があります。

 

そして、毎試合、試合前に、そして試合中にも、いつ声が掛かっても良いように入念な準備をしていますが、
いつ試合に出るか分からない、また、試合に出場出来ない場合も多々あります。
このように、出場が保証されていないにも関わらず、毎試合、同じように入念な準備を怠らないというのは、とても大変な面もあると思います。
その心情を鈴木 選手は以下のようにお話していました。

 

「 いつ(試合に)出るか分からない。
(試合に)出ない事もたくさんあれば、(試合に)出る事もあるし、それは自分では決められない。
そういった所で、自分は勝負をさせて貰っている。
自分にちゃんと向き合っていかないと、自分で崩れていく。
小さい傷口から入ってくるのを、常に拭い去る。
止めて入らないようにする。
、、、、、そういう毎日、、、、、。」

 

鈴木 選手がお話していることは、「ストレス」の側面もあるでしょうし、自分が必要とされているのかという「不安」などもあることと思います。
そして、これはプロの世界という特殊な環境だけではありません。

 

私達も日常生活を送っていれば、仕事上のこと、家庭内のこと、人間関係のことなど、色々な「ストレス」や「不安」と常に向き合っていることと思います。

そうです、多くの場合は、

 

「ストレス」や「不安」と向き合っている

 

ことが日常になっているかもしれません。
しかし、ここで鈴木 選手の言葉をもう一度思い返してみて下さい。

 

「 「自分」にちゃんと向き合っていかないと、自分で崩れていく。 」

 

鈴木 選手は野球という世界、そして、その中の代走という「プロフェッショナル」です。
一般的には、ホ-ムラン王、首位打者、あるいは三冠王などのように華々しい脚光を集めるのはなかなか難しい環境であるかもしれません。
しかし、プロ野球選手同士の中でも、そしてプロ野球ファンの中でも、鈴木 選手のようなプロフェッショナルは一目置かれています。

 

私達も「今、ここにいる」ということは、実は「生きることのプロフェッショナル」だからです。
変化の激しい環境(この世)に存在しているということは、それだけの資質があるから「今、ここにいる」ということです。

 

「人生」はよく「山登り」に例えられることもあります。
遠回りの道もあれば、近道もあります。
なだらかな道を進む人もいれば、ロッククライミングのように、崖を登っていく人もいるでしょう。
途中まで車で進む人もいれば、ヘリコプタ-で頂上に向かう人もいるかもしれません。
そして、一人で登る人もいれば、仲間と一緒に登る人もいるでしょうし、途中で仲間になって一緒に登る場合もあることでしょう。

 

どの道を進んでも、「頂上」を目指していることに変わりはありません。
どのように登るかは、その人の「個性」と言っていいかもしれません。

 

そして、登る方法・手段を他の人と比較しても何も始まりません。
ヘリコプタ-で登る人は楽そう見えるかもしれませんが、莫大なお金が掛かることでしょう。
また、ロッククライミングで一直線に進んでいるように見えても、落ちるという危険も考えてそれに対しての備えが必要です。

 

おそらく、鈴木 選手もレギュラ-の他の選手を見て羨んだ気持ちもあることと思います。
しかし、「自分」と向き合い、自分を活かせる「個性」を自分で見つけ、そして代走の「プロフェッショナル」として今では活躍しています。

 

人生は無限のフィ-ルドです。
あることが上手くいかなくても、別のこと・方法が、つまり自分を「活かせる道」が無限に広がっています。

 

そして、鈴木 選手のひとまずの目標は100%盗塁を成功させることかもしれません。
しかし、おそらくそこで終わらないことでしょう。
100%成功出来るようになれば、いかに自分の納得いく走塁が出来たか、などのように自分の中での「美しい」走塁を目指していくように思われます。

 

ところで、人生においては「試練」という言葉もよく使われます。
自分に乗り越えられない試練は来ない、試練を乗り越えた先に道がある、などのように使われることもあります。

 

試練という言葉から、多くの人が困難・大変・辛いということなどを連想することと思います。
そして、試練のまっただ中にいると感じる人には、その先に道があると言われてもピンと来ないケ-スも多々あるでしょう。
試練を乗り越えても、それはただ「マイナス」から「ゼロ」の状態にやっと戻っただけだと感じることもあるかもしれません。

 

先ほど私は勝手な個人的な感想として、
鈴木 選手が100%盗塁に成功したならば、次に「美しい」走塁を目指すことでしょう、
とお話しましたが、もし試練と感じる出来事があるならば、

 

「その出来事をいかに美しく体験出来るか!」

 

というように意識・見方を変えてみては如何でしょうか。
このように「美しさ」に意識を向けることで、私達の潜在意識は、

 

「出来事」を乗り越えられるのは当然のこと

 

というように解釈をしていきます。
なぜなら、潜在意識はその出来事を乗り超えた前提で、「美しさ」を実現しようと働き始めるからです。
先の鈴木 選手の例では、100%盗塁が成功することは当たり前であり、その盗塁・走塁を「いかに美しい」ものにしようかと、潜在意識は働き始めるからです。

 

「美しさ」という中に、出来事を乗り越える「鍵」が含まれています。
「美しさ」を考え、実践していく中で、すでにそれ自体が試練を乗り越える道具・役割を果たしてくれます。
そして、「美しさ」とは、その人の活かせること、「個性」を発揮することに繋がっています。

 

そのためにも、「自分」と向き合うという時間を作ってみては如何でしょうか、、、、、

2015年11月12日 05:11

男性と女性&父性と母性

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

先日のTVのニュ-スにて、東京都の渋谷区が全国で初めて条例に基づいて、同性カップルを結婚に相当する関係であることを証明する、
「パ-トナ-シップ証明書」を発行したとの報道がなされていました。
同様に世田谷区においても、条例には基づいていませんが、「パ-トナ-シップ宣誓書」の取扱を始めたとのことです。

 

日本では憲法において、婚姻関係は「両性」の合意によると規定されているため、同姓カップルの法律上の結婚は認められておりません。
しかし、当然のことながら、憲法であろうと法律であろうと、「人の心」を鎖で縛ることは出来ません。
同姓カップルは家族ではないため、入院時の面会を断られたり、不動産の賃貸契約を結べないなどの、社会上の制約(差別?)が問題になっていました。
法的な拘束力はないものの、このような社会上の制約を取り払うべく、各関係者に協力を求めるという趣旨のものです。

 

この話題に関しても賛否両論あると思います。
また、デリケ-トな側面もあるため、単に賛成・反対というのではなく、受け入れられるか、あるいは、受け入れられないかという視点もあるかもしれません。
社会上の視点、また心情的な視点などが絡み合ってくる学びでもあることでしょう。
反対の中には、家族という概念が揺らいでしまうといった意見もあるそうです。
あるTVのインタビュ-においては、「自分の子どもや家族であれば反対だが、他の人のことであれば良いのでは」といった意見も報道されていました。
一見すると「無関心」であるようにも思えますが、比較的この見解は多くの方がお持ちなのかもしれません。

 

そこで今回のテ-マ「男性と女性&父性と母性」を考えてみたいと思います。
なお、「男性」「父性」という用語が先に来ておりますが、あくまで日本語としての「男女」「父母」になぞらえてのことで、「男性」「父性」が優位であるといった意味合いはありませんのでご理解下さい。

 

「何か」を表現する時、「違い」を表す、あるいは前面に出すことによって理解が深まることがあります。
「人間」で言えば、その一表現方法として「男性」「女性」と違いを表すことによって、「人間」を知る手がかりの一つとなり得ます。
このような意味から、私は個人的には「男性」「女性」の区別は、「身体的特徴」の違いと「社会的暗示」であると解釈しています。
「人間」という身体的器から考えれば共通点も多々ありますが、やはり「男性」「女性」の間には、体の機能としての違いがあります。

 

ところで、よく「男らしさ」「女らしさ」などの言葉を聞いたことはないでしょうか?
男は泣くものではない、男は少々のことは我慢するものだ、一方、女性なんだからおしとやかにしなさい、女性は家庭を守りなさい、などと耳にされた方も多いのではないでしょうか。
これが、

 

「社会的暗示」

 

と言われているものです。
社会的暗示とは、小さい頃から親や周囲の人々に言われ続けてきたこと、社会的に良しとされていること、などが知らず知らずの内に、それが最良なんだと言われ続けている内容のものです。
いわゆる「常識」の一角として形作られているものも多くあります。

 

しかし、このような一部の社会的暗示やある種の常識は、時代や社会の変化と共に移り変わっていきます。
つまり、一昔前の常識は、今の非常識に繋がってしまうケ-スがあるということです。
今の常識や社会的状況の下では、先の「女性は家庭を守りなさい」という暗示は非常識であったり、女性の人権を蔑ろにしていると評価されるケ-スが多いことでしょう。

 

勿論「社会的暗示」の中にも、不変の教えというのはあるかと思います。
目上の人を敬うとか、小さい子に優しく接する、困っている人がいたら助けてあげる、など多数にあると思います。
当然のことながら、敬うのは目下の人にも同様ですし、優しく接するのは出会う人全てに当てはまるでしょう。
また、自分が助けられることもあるのだから、その時は感謝してお世話になりなさいという意味合いも含まれています。
このような不変の社会的暗示は、物事を実践しやすくなるという側面でも有効であると考えます。
「先ず隗より始めよ」という諺にも表れています。

 

では、「父性」「母性」とはどう違うのでしょうか?
あくまで一つの例えや目安であり、これが絶対というものではありませんが、

 

父性 = 勇気、力強さ、、、、、
母性 = 優しさ、包容力、、、、、

 

などとイメ-ジされるかもしれません。
先ほど「男性」「女性」は身体的違いであると区別しました。
男性には有って女性には無いものもありますし、女性には有って男性には無いものもあります。

 

では、上の例のように父性には有って母性には無い、あるいは母性には有って父性には無いものはあるのでしょうか?

 

「男性」「女性」の区別と違って、「父性」「母性」には本来は区別がありません。
区別がないということは、「男性」の中にも「父性」「母性」の両方が備わっており、「女性」の中にも「父性」「母性」の両方が備わっているということです。

 

人それぞれ兼ね備えている「父性」「母性」の性質も違いますし、比重も違います。
そして色々な経験を経ることで変化もしていきます。
つまり「人間」には「父性」「母性」の両方が備わっています。
そして「父性」「母性」のバランスの違いで私達の「個性」というものが表現されているのかもしれません。

 

このように見ると、本来の「人間」として見るならば、「男性」「女性」の区別、そして、そこに移ろいのある「社会的暗示」が色々と影響を及ぼして、「人間の本質」が歪められているようにも捉えられます。

 

「男性」のみでは「子ども」は産まれてきません。
「女性」のみでも「子ども」は産まれてきません。
「男性」「女性」の両方の融合があって「子ども」は産まれてきます。

 

誤解しないで頂きたいのですが、同性カップルは「子ども」を産めないと反対している訳ではありません。
「男性」「女性」、そして「父性」「母性」共々、融合の中にバランスを取っていくというのが大切であると私は考えています。
そして、「人間」とは本来、そのような融合とバランスを取って生きていると捉えられるなら、同性カップルにおける社会上の制約についても、同性カップルである前に「人間としてのカップル」という見方で、もっと社会上の制約が見直される余地が広がるかもしれません。

 

「男性」が「男性」を好きになる。
「女性」が「女性」を好きになる。
この本質は、「父性」と「母性」の融合とバランスの元となっている、「人間としての個性」に惹かれ合っているのかもしれません。

 

「性同一性障害」などで悩み苦しんでいる方々も大勢いらっしゃるかもしれません。
また、「男性」なのに何で弱々しいんだろう?
あるいは、「女性」なのに何で男勝りの言動をしてしまうんだろう?
などと悩まれている方もいらっしゃるかもしれません。
その際は、「男性」「女性」そして「社会的暗示」から一度身を解放し、
「父性」「母性」という視点から「自分という人間」を見つめ返してみれば、心に余裕が産まれてくるかもしれません、、、、、

そして、今回のTOPICSは賛成・反対、あるいは良い・悪いなどの意見を述べる趣旨ではありません。
誰もが「自分を知る」ということを日々色々な経験をし、そして無意識ながらも行っています。
「自分を知る」ということを行う際、自分の中の「父性」「母性」を手がかりの一つとしてみては如何でしょうか、、、、、

 

なお、ここから先は余談と少しスピリチュアルなお話になりますが、
ヒプノセラピ-(催眠療法)において「前世療法」を行っている私の経験としては、
今回が初めての人生という場合は別として(今回の人生が初めてという方には私はまだお会いしたことはありませんが)、ほぼ間違いなくほとんどの人が「男性である人生」も「女性である人生」も経験しています。

 

そして、「魂には性別はない」とも言われています。
私達が役割を変えて何度もこの世に戻って来ているのは、「男性」「女性」という役割を色々な角度から経験し、
そして「父性」「母性」を身に備えていくことで「魂」として成長し、「人間」そして「魂としての自分」というものを知っていく旅をしていると思えることも多々あります、、、、、

2015年11月7日 04:11

TOPへ戻る

プライバシーポリシー

当サイトのご利用規約

サイトの詳細につきましては上記のご利用規約をご確認ください。

当サイトはリンクフリーではありません。
事前の連絡と許可審査が必要です。

スマートフォン、タブレットで読み取ってください

先頭へ