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自殺(自死)と憑依(心の内面)の関係を魂の視点で考えてみます

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

皆さんもご存じの通り、先日、多くの小学生の方や、その親御さんなどが殺傷されるという、大変に傷ましい事件が起こってしまいました。
そして、その加害者の人がその場で自殺(自死)をした事により、様々な動機の解明にも支障が出るのでは?などの見解も多く出されています。
勿論、このような動機の解明というのは、もう二度と同じ事件を引き起こしてはならない!という観点からのものでもありますが、今回は「自殺(自死)と憑依(心の内面)の関係を魂の視点で考えてみます」というテーマをお届け致します。

 

そこで、まず、今回のTOPICSを書くのが良いのか、書かない方が好ましいのか、あるいは、これを書く事でどこかで誰かを傷付ける事にはならないか、、、など、今まで多くのTOPICSをお伝えしてきた中においても、今回は一番悩みました。
正直、、、これを書いている「今」においても悩んでいるというのが正直な所でもあります。
ここには、私も同じ一人の人間ですので、「感情」というものも深く関与してくるからです。

 

ただ、やはり、自分の中における、少しでも役立つ面が見い出せる視点が含まれているのであれば、それをお伝えせずにやり過ごすような事は、それこそ、今回に限らず今までのテーマにおいても活用してきた魂の視点に反する事にもなりますし、また、今までもこのTOPICSをお読みになって頂いている方々に対しましても、私が逃げのような姿勢を持つ(見せる)事は、ある意味の裏切り?のような側面にも繋がってしまいますので、「今」の私自身が感じている面を、今回も正直にお伝えして参ります。

 

そして、今回のような悲惨な事件などにおいて、魂の視点を活用するというのは、現在の世の中や社会においては、一蹴に付される面もあるでしょうし、失笑を買う面があるのも事実でしょうし、また、ご遺族や被害者の方々は勿論、その身の周りの方々への「二次被害」を生み出すのでは?などのご意見も当然ながら存在する事と思いますし、その点も私自身は重々理解している趣旨でコメントもして参ります。

 

なので、そのような観点からも、今回の内容に関しましては不(愉)快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんし、不謹慎との誹(そし)りもあるかもしれませんし、今回お伝えする内容におきましては、それこそ著名人や有名人の方が似たようなコメントをしたとすると、SNSなどでは間違いなく?大炎上という状況にもなり得るものでもあるかもしれませんし、また、あくまで私個人の勝手な視点であるという前提を踏まえまして、ここから先は読み進めないという選択肢もありますし、まずは、自分の中で少し考えを整理した上で、あくまで参照としての視点という意味で、その後にお読み進めてみるというのも選択肢の一つです。

また、お読み進めて頂く際には、特に今回のようなテーマに関しましては、多角的(多方面的)な視点が必要となり、理路整然とは進めにくい点もある事から、多少の読み辛さを感じる面がある事と、やはり誤解を生じさせてはいけない!との思いが強くある事から、かなり長めの内容になっております点を、重々ご理解頂ければ幸いです。

では、進めて参りますが、今回の事件に限らず、このような大変に傷ましい出来事などにおいては、

 

その全体像というのは・・・

私自身も当然の事ながら・・・

この世の、ほぼ誰もが理解する事は出来ない・・・

 

という点を大前提として踏まえる必要性があります。
しかし、

 

理解出来ない事と・・・

そこから目を背ける(見ないようにやり過ごす)事とは・・・

全く違う・・・

 

という視点も同時にとても大切なものになります。
そこで、まず、今回の事件に関して、

 

自殺(自死)をするのに他の人を巻き込んではいけない!

 

という見解がある一方で、

 

自殺(自死)をするのなら一人でやるべき、、、という意見だけが一人歩きすると・・・

同じような悩みや苦悩を抱えている人を追い込む事になり・・・

逆に、今回のような事件を再度引き起こしかねない・・・

 

という見解が色々と醸し出されています。
私自身は、このどちらの意見も分かるような部分もありますし、ある意味においてはどちらも「正論」とも感じますが、これに関しては後ほどコメントして参ります。
そして、今回のような事件は、加害者自身の自殺(自死)という面では、銃の乱射事件や自爆テロなどとも確かに重なって見える部分もあります。

 

また、これも繰り返し引き起こされている、様々な無差別などの殺傷事件においても、自らで自殺(自死)をしなくとも、心の内面においては、そのような事件を引き起こす事によって、司法の場における死刑制度を自殺(自死)の助けとして活用している側面があるのでは、、、などの見解もあります。

 

そして、ここは誤解の無きように改めてお伝え致しますが、どのような理由があるにせよ、他の人を傷付けてはならないのはその通りであり、また、このTOPICSにおいても自殺(自死)はしてはいけないとお伝えしておりますが、今回のような事件における自殺(自死)と、例えばご病気などでとても苦しんでいる最中に行動に移してしまった自殺(自死)などを同列に論じる事は、当然の事ながら出来ません。
また、このようなご病気などに限らず、何かしらの人間関係や経済状況などを理由に自殺(自死)を選択してしまうケースでも同様です。

そして、今回の事件のような自殺(自死)は、ひとまず脇に置いて考えてみると、ご病気や他の理由における自殺(自死)の心の内面においては、

 

四方八方、手を尽くしたが・・・

他に自らを救える道が・・・

見つからなかった・・・

 

という心境である事が多くにあるとも感じます。
では、不謹慎な例えを敢えて活用致しますが、100階建ての超高層ビルから身投げをすると、ほぼほぼ100%の確率で自殺(自死)を遂げる事は可能です。
また、これは、この高層ビルのように多くの人が往来する場所ではなく、山中の深くにおける断崖絶壁などでも、ほぼ当てはまる事と思います。
しかし、他意も悪意もありませんが、自殺の名所?と呼ばれているような、富士の樹海や東尋坊などでは、

 

絶対的に100%自殺(自死)が出来るという可能性は・・・・低い・・・

 

という矛盾した現象や傾向が見て取れる側面があります。
にも関わらず、そのような自殺の名所?に赴く人もいれば、そのように呼ばれている場所に引き付けられてしまうという現象や傾向の高さが見受けられます。
そして、このような現象や傾向における魂の視点においては、

 

魂とは殺す事も出来なければ消滅させる事も出来ない・・・が故に・・・

そのような場で実際に自殺(自死)を実行した人(魂)においては・・・

 

自らが未だに自殺(自死)を遂げていない(と思い込んでいる)・・・が故に・・・

(似たような心境の他の人に)憑依をして何度も同じ事を繰り返している・・・

 

という点が当てはまります。
つまり、当人においては自らが既に、いわゆる死後という状態にあるのに「気づけていない」という事です。
そして、

 

心の内面が苦悩などで一杯一杯となっている状態の人が・・・

そのような心境で自殺の名所?などのような地に赴いてしまうと・・・

憑依を受けやすくなってしまう・・・

 

という現象と傾向です。
なお、東尋坊などは景勝としての素敵な観光地でもありますし、私も何度も訪れた事がある場所ですので、そのような苦悩に満ちた心境でなければ、(強固な)憑依などは決して起こりませんし、怖れる必要性も全くございません。
そして、

 

このような自殺の名所?と呼ばれるような地においては・・・

憑依が更なる憑依を生み続けている・・・

 

という循環にもなってしまっています。
つまり、自殺(自死)を試みるかどうかの迷いにある最中に、そこに他の魂からの憑依の影響で自殺(自死)を実行してしまったが、その本人の魂においては死に気づいていないが故に、未だに生きていると思い込んでおり、同じような心境の人に自らが憑依して自殺(自死)を遂げようとする、、、それに気づくまでは、、、延々と繰り返されている、、、という現象です。

 

なお、これも誤解の無きようにお伝え致しますが、自殺(自死)をした魂の全てがこのような状態になるのではなく、その割合とは低いものでもあり、また、そのような魂のご本人は悪気なども一切なく、ただ、「気づけていない」が故に繰り返しているという状況であり、、、それに「気づかせて」あげるのが、、、本当のご供養の本質となります。

 

また、今回のテーマとは直接の関わりは少ないですが、ご家族や愛する人を殺されたりする事件などにおいては、ご遺族などが断罪を求める!などの心情も私も理解出来る面もありますが、このような魂の視点においては、死刑を実行したからといって、その加害者が無になってしまう訳でもなく、逆に、(死刑後に)自らの行為を更に正当化し、自分に死刑を科した世の中や社会への恨み辛みや悪意や未練や執着を糧として増幅させ、憑依(という事件)が更なる憑依(という事件)へと連なってしまう危険性もあるという視点が成り立ちます。

 

そして、今回のような事件と憑依とを安直に結び付ける事には、勿論、反論も成り立ちますし、様々な思いや見解が出て来るのが当然でもあります。
ただ、このような憑依現象に関しては、昔から医学(精神学)や科学、心理学、人類学、哲学、宗教学などにおいても多数の論文が存在しているのも事実でもありますし、科学などの観点では(実証を試みる)研究なども行われてきているのも事実でもあります。

憑依という言葉はオカルトに分類されるのがほとんどですが、憑依を科学的観点から言い換えると、「(私達)人間の意識はエネルギーの一種であり、あらゆるエネルギーの性質は、高い所から低い所に流れる」という基本原理として既に証明されているものでもあります。
なので、今回お伝えしている内容というものは、時に見受けられるような、上っ面をなぞったような、現世利益のみを追求するかのような、フワフワした「一部」のスピリチュアルの視点とは違います。

 

しかし、このような研究が実証に至ってしまうと、世の中や社会においては不都合に感じる人が(多く)いるが故に、そのほとんどが、こちら(関心を抱いている人)からアプローチをしない限りは、日の目を見ぬような状況に置かれているのも、また事実でもあり真実でもあります。

そして、このような事件と憑依との関係性においては、

 

仮に、事件を引き起こしているのが憑依であるのならば、防ぎようがないのではないか?

 

との問いが数多く出てきますが、

 

それは間違い!

 

です。
なぜなら、

 

憑依というのは・・・

憑依をする側の原因や理由だけではなく・・・

必ず憑依をされる側にも原因や理由がある・・・

 

からです。
というのも、

 

私達の誰もが(私自身も含め)・・・

程度の差はあれ・・・

そして無自覚において・・・

日常的に憑依を受けている・・・

 

からでもあります。
そして、

 

(特に強固な)憑依とは・・・

一足飛びに、また、瞬間的に起こり得るものではなく・・・

それなりの時間を掛けて影響が及ぼされていく・・・

 

という側面があります。
そして、これが本当に意味する所は、

 

どのような事であれ、決して憑依を言い訳にしたり、責任をなすりつけてはならない!

 

という所が本質になります。
では、皆さんも考えてみて下さい。

 

まず、誰しもが、感情にはムラ(というバイオリズム)がある

 

のはご承知の通りであり、経験のある事でもあります。
そして、

 

(最近)妙にイライラする・・・

(肉体面ではなく心の状態において)何となく・・・気分が晴れない・・・優れない・・・よく眠れない・・・

 

なども、誰しもが程度の差はあれ、どれかは(これ以外でも)経験した事がある事と感じます。
そして、このような状態の時には、

 

「過去」の何かに引っかかっていたり・・・

「将来」の何かに漠然としたもの(不安など)を感じていたり・・・

 

といった、

 

自分の心の内面に原因や理由が見つかる

 

という点が当てはまります。
勿論、そのような心の内面の引っかかりを生みだした出来事などにおいては、自分に非がないにも関わらず、、、といったケースも確かに存在しておりますし、特に近頃の社会状況を見渡すと、このようなケースが増え続けているようにも感じます。
そして、

 

自分の心の内面を放置しっ放しにしておくと・・・

そこに、「隙間(魔という隙)」が広がっていき・・・

その「隙間(隙魔)」に「同調」してくるのが憑依現象・・・

 

であります。
なので、自分に持っていないものや、理解済みの事柄(既に気づいている事など)においては憑依現象は起こりようがないのが事実です。
そして、

 

先ほどのような気分や感情のムラというのは・・・

誰しもが持っているものであり・・・それは私自身も同様であり・・・

感情に揺れ動きが生ずるのは、自然で当たり前な事でもある・・・

 

という点を、まずは、しっかりと理解する事が必要になってきます。
そして、これと同じ事は、

 

キリスト教(等)においては・・・自分の中の悪魔と闘いなさい・・・

仏教においては・・・地獄絵図として(見やすいように)視覚化し・・・自らの今の境地を見つめるように促している・・・

 

という心の内面を問うているのが共通項でもあります。
勿論、「闘う」というのは「比喩」として用いられているものですが、この「比喩」の解釈を間違っているために、宗教間での争いが絶えないのは言うまでもありません。
そして、医学や科学が目覚ましいほどの発展を遂げている現代において、

 

このような残虐な事件が後を絶たない・・・

いえ、以前にも増して増え続けているのは・・・

どこかに「見落とし(欠落している視点)」があるから・・・

 

と私自身は強く感じております。
そして、最初にご紹介した、

 

「自殺(自死)をするのに他の人を巻き込んではいけない!

という見解がある一方で、

自殺(自死)をするのなら一人でやるべき、、、という意見だけが一人歩きすると・・・

同じような悩みや苦悩を抱えている人を追い込む事になり・・・

逆に、今回のような事件を再度引き起こしかねない・・・(という見解もある)」

 

という部分において、私はどちらもある意味においては「正論」と感じる部分もあるとお伝え致しましたが、ただ、

 

この両者を繋げてくれる視点が・・・

欠落している・・・

 

とも感じております。
それは、

 

他人を巻き込んで自殺(自死)をしようとも・・・

ただ一人で自殺(自死)をしようとも・・・

どちらも・・・

自らの救いの道を見つけられなくなっているから・・・

 

という点は共通している所です。
そして、更に欠落している視点の内の一つとしては、

 

ただ一人で自殺(自死)をしたとしても・・・

必ず他の誰かや何かに影響を与えている・・・

 

という点です。
勿論、共通しているからといって、誰かを傷付けるという巻き込み方と、影響を与えているという巻き込み方においては、大きな違いが生じているのも事実です。
そして、最も欠落している視点の一つが、どちらの意見においても、二度と同じ事を繰り返させてはならない!という点は共通しているように感じますが、

 

なぜ・・・それが論争という争いになるのか・・・?

なぜ・・・同じ方向を向いているのであれば・・・共に「考える」というスタンスにならないのか・・・?

 

そして、このような争いの姿を社会が見せる事こそ・・・

もしかしたら・・・被害者のご遺族などにおいても、辛く感じる部分もあるかもしれないし・・・

 

今、何かしらの苦悩の最中で自暴自棄になりそうな怖れを抱えている人が・・・

このような争いの社会の姿を見て、どのように感じるのか・・・?

 

という部分です。
このように論争という現象を生みだしているのも「隙間(隙魔)」の現れであり、私達の心の内面は社会に反映され、反映された社会の状況が更に心の内面に影響を及ぼしてくるという循環になって、これが、現在の不健全な「格差」を生みだしている一つの要因でもあります。

 

ちなみに、これも否定や非難などでは全く無いという点をご理解頂いた上での事ですが、このようなニュアンスは、何か、薬物に手を出してしまった後は病気であるのでと見守られるが、その薬物に手を出してしまいそうになる迄の間の状況や状態に対しては、あまり目を向けられていない現状において、勿論、人を傷つけてしまう事と、自らに薬物を取り込むのでは、その両者には大きな違いが存在するのもその通りではありますが、何か、この両者に向けられる社会の目のベクトル(方向)が、上手く伝えづらいのですが、自己矛盾?のような重なりが見えるように感じる面も、個人的には思うような部分もあります。

このどちらもが、二度と同じ事を繰り返させてはならない!との方向性は一致しているはずなのですが、、、

話しが少し逸れましたので戻しますが、このような様々な見解がある事も含め、

 

私達の誰しもが・・・

この世や社会で・・・

一人きりという事はありませんし・・・

一人きりでは生存(存在)出来ない・・・

 

のが真実です。
そして、このTOPICSでも幾度かお伝えしておりますが、

 

この世でたった一人きりしか存在しないのであれば・・・

その人は自分を自分として認識出来ない・・・

 

という点に加え、

 

そのような一人きりでの存在であるのであれば・・・

誰かを傷付けたり・・・

自殺(自死)を試みたり・・・

といった発想や考えも存在し得ない・・・

勿論、憑依現象なども起こりようがない・・・

 

という事です。
そして、矛盾して聞こえるかもしれませんが、

 

憑依を防ぐ・防げるのも他者が存在しているから・・・

 

という側面に光を当てる必要性が出てきます。
これが、

 

自分が一杯一杯と感じている時には・・・

他者の助力や援助を快く享受しても良い・・・

 

という面と、

 

助力や支援を求められた時には・・・

自分に出来る範囲内で構わないので・・・

一緒に「考える」・・・

 

という事が大切になるという事です。
とても当たり前と思われるかもしれませんが、魂の視点とは現実的でもあり、ごく自然なものとして現れているものです。
そして、

 

憑依の種子というのは・・・

私自身も同様に・・・

ほぼ誰しもが・・・

自らの内に抱えている・・・

 

というのは、ここまでにおいて、ご自身の内面にほんの少し目を向けてみるだけでも実感として伴う事と思います。
例えば、「死ね!」とまでは思わずとも、また、「行動」には移さずとも、「(私の)目の前から消えてくれ!」「顔も見たくない!」と誰かに対して「思った」経験は、ほぼ誰しもがある事でしょうし、私も同様に思った事は勿論あります。
そして、表現は不適切ではありますが、

 

このような憑依の種子に水や肥料を与えない・・・

 

という事が大切になりますが、これが、

 

誰かや何かの責任(せい)にしない!

 

という自らの心の姿勢を保ち続ける事です。
勿論、正すべき所が相手にあれば、それを「理性」でもって伝える事も必要になりますし、また、誰かや何かの責任(せい)にしない!というのは、責められるべき非が自分にあると、自分を責める事では全くありません!

そこで、ここはとても大切な部分ですので、一つの仮のケースで考えてみます。
繰り返しますが、喜怒哀楽などの「感情」は自然で当たり前のものであり、これを否定や拒否をする事はしてはいけません。
では、何か悲しい出来事があったと仮定します。

 

① 悲しみを感じ・・・

② その悲しみを引き起こしたのは自分の責任だと自己憐憫に陥っていき・・・

③ そのような哀れな姿の自分にしたのは世の中や社会の責任だ!との怒りに支配され・・・

 

とのように、①においては自然で当たり前の感情が、②の段階で次第に自分を責めるようになり、③の段階では既に自らの感情のコントロールが、自らの手から離れてしまう、、、これが憑依です。
つまり、このケースにおいては、

 

①から②の段階では自然な範囲のものであるのが・・・

②と③の段階のどこかに「隙間(隙魔)」が生まれ・・・

③の状態に自分では気づかずに移行してしまう・・・

 

という流れです。
そして、

 

このような流れに無自覚に進んでしまわない為に・・・

それを防いでくれる視点というのが・・・

誰かや何かの責任(せい)にしない!

 

という本当の意味です。
なお、これも誤解の無きようにお伝え致しますが、ここでの何か悲しい出来事というのは、今回の事件のような被害者の方々などの心情を指している訳では全くありません!
それが、当然の事ながら、このような事件においては、被害者の方々などに非がある訳ではないからです、、、
そして、

 

このような憑依を防いでくれる一連のプロセスにおいては・・・

無自覚であろうが自覚を持ってであろうが・・・

必ず、自分の心の内面と向き合うという作業が行われている!

 

という事です。
そして、これもとても誤解の多い所ですのでお伝え致しますが、

 

自分の心の内面と向き合うというのは・・・

自分の「主観」に入り込む事ではなく・・・

自分を「客観視」してみる事・・・

 

です。
その結果として、何かの出来事においては、自分には非がない!と思える事にも気づいていく事が出来るようになります。
そして、何故、このような視点が必要になるのかと言いますと、今現在の全世界を見渡してみても、特に最近の日本の世の中や社会においては、

 

三歩進んで二歩下がる・・・という成長ではなく・・・

二歩進んで三歩下がる・・・という劣化に進んでいる・・・

 

からです。
例えば、先ほどの誰かや何かの責任(せい)にしない!という視点一つを取ってみても、先頃発覚した医学部の不正入試などや、身近な人間関係や職場環境でも数多(あまた)見られるように、自分に非がないにも関わらず、誰かや何かの責任(せい)にしない!という心の姿勢を保つのが(かなり)難しくなっているという傾向が高くなっており、それを引き起こしている大きな原因や理由として、

 

社会そのもの(仕組み)が・・・

憑依の種子へ水や肥料をやっている・・・

 

というのがとても顕著に見て取れます。
これを現しているのが、

 

解釈を間違(魔違)えた・・・

自己責任論や・・・

〇〇ファースト・・・

 

であり、なおかつ、更なる拍車を掛けています。
そして、今回のようなテーマをお伝えしたからと言って、これが事件などに巻き込まれたご遺族や被害に遭われた皆様方の癒しにも慰めにもならないのは、私も百も承知です。
しかし、被害に遭われたご当人様においては、もしかしたら、

 

他の人には同じような経験をさせてはならない!

 

との思いも個人的には強く感じる面がありますし、このような事は、事件の被害などに関わらず、理不尽な仕打ちや、不本意ながらも自らの表現を抑えられてしまうといった兆候は、おそらく、皆さんの身の周りでも頻繁に起こっている事と感じます。
そして、

 

その為には・・・

欠落している部分を補い・・・

ほんの少しでも役立てそうな部分があるのであれば・・・

やはり活用していくという姿勢を保ち・・・

この活用という本当の意味は・・・

誰しもがその人なりのやり方を「考えて」みる・・・

 

という事であり、一番の近道でもあり早道であるようにも感じます。
そして、憑依に関する魂の視点の活用という意味では、皆さんも周囲の人を見渡してみた際に、

 

以前とは・・・違う印象を受ける・・・

 

という人は思い当たらないでしょうか?
勿論、これにも、まずは、相手が変わったのかを見る前に、自分の内面が変わった?との視点を先に活用する事も必要にはなりますが、しかし、このTOPICSでも色々と取り上げております、イジメやセクハラやパワハラや、(匿名も含め)感情優位のSNSなどでの誹謗中傷、あまりにも心(善意や良心)を置き去りにしてしまった社会や世の中での出来事、そして、不作為という無関心においても、

 

その本質は同じであり・・・

全ては自らの心の内面の・・・

「隙間(隙魔)」を自らで広げている・・・

 

からです。
そして、繰り返しですが、

 

どうぞこれだけは覚えておいて下さい・・・

誰しもが一人きりではなく・・・

必ずあなたの支えになってくれる他者(人)が存在しており・・・

一杯一杯の時には、支えを求めて下さい・・・

 

そして、そのような支えは、他者(人)に限らずとも、小説や映画などの文学でも、音楽でもスポーツでも、あらゆる面に反映されております。
どうぞ、何かに心折れそうな時には、ほんの少しでも立ち止まって、ほんの少しで構いませんので、視野を広げて自分を客観視してみて下さい。

 

その先には・・・

必ず、あなたにとっての「気づき」が・・・

待ってくれています・・・

 

そして、今回は傷ましい事件からの自殺(自死)と憑依(心の内面)との関係性を取り上げましたが、また、今回の内容でお伝え出来ているのは、ほんの僅かの一部分ではありますが、2017年11月11日のTOPICS「「自殺」が頭を掠(かす)める時には・・・読んでみて下さい」でも、少し別の視点からも触れておりますので、宜しければご参照してみて下さい。

 

そして、重たく長いTOPICSにも関わらず、ある種の忍耐と勇気?を持ってここまでお読み頂いた皆さんにおかれましては、先ほど、憑依とは程度の差はあれ、誰しもが日常的に受けているものとお伝え致しましたが、怖れる必要性は全くありません!
逆に怖れを抱くと、それがつけ込まれる「隙間(隙魔)」になってしまいます。
そして、

 

(好ましからぬ)憑依を防ぎ・剥がす為には・・・

時折で構わないので、自らの心の内面を見つめ・・・

出来る範囲内で構わないので、自らを律しようとの思いを保つ・・・

 

という、ここまで繰り返しお伝えしてきた事だけで、充分に対処していく事が可能です。
そして、その際には、宜しければ、このTOPICSでお伝えしている魂の視点というものも、部分的にでも構いませんので、活用してみて下さい!

そして、有り難くもここまでお読みになって頂いた皆さんへの特典?という訳ではございませんが、前々回の2019年5月18日のTOPICS「モテる要素は・・・魂(心)に?それとも、容姿(外見)に?」において、

 

魂には「親和力」というパワーが備わっている!

 

とお伝え致しましたが、実は、

 

憑依現象というのは・・・

この「親和力」のごく一面の現れに過ぎない・・・

 

というのが当てはまりますが、この事からも、

 

どのような力やパワーや(自然)法則であろうとも・・・

それを、どのように活用していくかは・・・

その人の心の内面に全て掛かっている!

 

という事がご理解頂けるかと思われますし、今回のような傷ましい出来事におけるテーマにおいても、モテる要素?などの気軽なテーマにおいても、この「親和力」のように、どちらにでも共通に当てはまり、同じ水脈として流れているのが魂の視点というものでもあります(笑)

2019年6月1日 03:06

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