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「令和」という時代を魂の視点で描いてみる

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

「令和」という時代の幕が開きましたね(笑)
今回は「平成」からの私の天の邪鬼?も封印し、「令和」最初のTOPICSという事で、「「令和」という時代を魂の視点で描いてみる」というテーマをお届け致します!

 

ところで、今回の改元に際しては、元号についての様々な見解も見受けられました。
グローバル化の世の中なのだから西暦に統一した方が良いのでは?あるいは、元号は現在では日本でしか採用されていないのだから、使い分けながら残していても良いのでは?など。

 

これもどちらが良くてどちらが悪いというものでもなく、元号を採用すると、その都度に色々な改変が必要になるなどの手間もあるでしょうし、西暦においては、なかなか時代の区切りという節目が見え辛くなるというのも確かに一理あると感じます。

元号においては、ほぼ数十年という区切りで、時代の変遷を振り返る事も出来ますが、西暦ではおそらく短い区切りでも100年単位となるのかもしれません。
そして、このような事は意見を対立させるものでもありませんし、

 

現に「今」存在しているのであれば、それをどのように活かしていくのか?

 

という視点も大切になろうかと思います。
そして、時代により移り変わるものもあれば、変わらずに大切にされるものもあるのが事実でもありますし、移り変わるものが真実ではないという訳でもありませんし、残り続けるものの中には、真実の一面を現しているものが存在しているのも、また事実でもあります。
そして、このTOPICSにおいても、「平成」から「令和」という移り変わりにおいても、やはり、私自身が感じている魂の視点や、カウンセリングなどでも大切にしている「原点(源)」は、これからも変わらずにお伝えして参ります!

 

では、このTOPICSをお読み頂いているほとんどの皆様は、「昭和」か「平成」のどちらかの時代に生を受けた方々であろうと思われます。
そして、

 

時代には区切りもある一方で・・・

繋がっている側面も多々ある・・・

 

というのは、少なくとも「昭和」世代の方は実感が伴う事でしょうし、「平成」世代の方はこれから楽しみに実感される事かとも思います(笑)
しかし、

 

どのような時代であろうとも・・・

一つだけ一朝一夕に進まないものがある・・・

それが・・・

少子化・・・

 

です。
少子高齢化と言われて久しくなりますが、少子化と高齢化は相対立するものではありませんし、そもそもの性質が全く違います。
今、言われている少子高齢化は、少数の若者世代が多数の高齢化世代を担う、という意味での課題の面に向けられておりますが、これは、そのような仕組みを、将来を見通す事もなく、熟考する事もなく、延々と「不作為」を続けてきた政治などの姿勢の問題が現れているに過ぎません。
勿論、無関心や人任せの姿勢を保ってきた、私達自身の反映でもあります。

 

そして、少子化においては、経済的理由や、身体的事情などから、お子さんを授かりたいのに、なかなか授からないという方々もいらっしゃるでしょうし、そもそもが産む自由も産まない自由もあります。
これは、また、産む産まないという問題だけではなく、どのように人生を彩っていくかなどの、LGBTの方々などにおいても、同様の自由があります。

 

そして、この少子化においては、賛否は別として、次のような意見も成り立つのかもしれません。
それは、そもそもが今ぐらいの出生率が適当であるのかもしれないし、少子高齢化とは「今」現在における、若者世代と高齢化世代の人数のギャップが大きい為であり、一過性のものなのかもしれない、、、など。
そして、先ほどの、

 

少子化(を変化させていく事)は一朝一夕には進まないが・・・

「人間」が引き起こしているその他の諸々の事柄は・・・

(さほど)時間を掛けずとも解決出来る性質のもの・・・

 

でもあります。
戦争や争いなどは止めよう!と決めさえすれば実現出来る(可能な)ものですし、不要になる軍事費などを考えれば、世界中の人々に食料なども充分に行き渡る下地があるのは、既に科学や統計学的にも証明されているものです。
これは、日本における少子高齢化での社会保障費でも同様です。

 

また、戦争をなくせば、軍人などの雇用がなくなり、兵器産業もなくなって失業者が大量に出るなどの反論?もある模様です。
これは、どこか、日本国内における原発立地(誘致)の地域事情や、諸外国における銃規制の問題と同じ臭いを感じます。
しかし、戦争や争いがなくなれば、国境も必要なくなり、どこの場所へも自由に行き来して、人生の幅を広げる事が可能になります。

また、ではエネルギーはどうするのか?などもよく言われますが、「帯に短し襷(たすき)に長し」という言葉は「役に立たない」という意味で使われますが、

 

そもそもが・・・

帯と襷という活用法に限定している為に・・・

視野が狭くなっているだけ・・・

 

という事も言えます。
この視点は、待機児童問題にも繋がっております。
話しが逸れてしまいましたので、本筋に戻します(笑)
では、少子化においては何が課題になるのかと言うと、

 

「待ち」と「加速」

 

です。
では、一見すると、この「相矛盾」する性質をどのように活用していけば良いのかという視点に繋がりますが、

 

「昭和」世代は・・・「待つ」という学びを体験してきた・・・

一方・・・

「平成」世代は・・・いかに「加速」させる事が出来るのかという学びを体験をしてきた・・・

 

という一面が読み取れます。
そして、ここから魂の視点を活用してみます(笑)

 

「待ち」と「加速」を「統合」していく方法は・・・

「昭和」世代と「平成」世代が・・・

お互いに手を繋ぎ合うこと・・・

 

です。
勿論、「手を繋ぐ」とは比喩的な表現であり、この方法は様々あります。
そして、手を繋いでいくと、不思議?な方向に導かれていきます。
それは、

 

「令和」に産まれてくるお子さんにおいては・・・

(一時的には・・・)

「心(精神)」が「身体」よりも先の(進んだ)方向性へと歩み出していく・・・

 

という光景が見られるようになります。
これは、「早熟」とも言えるかもしれませんし、かつての「神童」のように捉える事も可能かもしれませんが、「昭和」や「平成」の時代とは違った意味合いになっていきます。
そして、一時的には、、、とコメント致しましたが、

 

このようなお子さんにおいては・・・

素早く・・・自然と・・・

「心(精神)」と「身体」が「統合」されていく・・・

 

ので、心配するような要素ではありません。
そんな事はあり得ない!と思われているかもしれませんが、「平成」の終盤には、既に、このような事を体現している子どもさんをTVなどでも、よくお見かけしているのに気づいておりますか?(笑)

 

では、ここで少し視点を変えてみます。
現在の少子化傾向を魂の視点で捉えると、現在の日本(地球)に産まれてくる動機や選択肢を持たなくなってきているのが、「あの世」における魂の存在としての流行りなのかもしれません(笑)
しかし、やはり、

 

魂とは・・・

様々な体験をする為に・・・

「この世」に赴いてくる・・・

 

というのが「本質」に存在しています。
そして、その為には、

 

「この世」の私達も幸せを感じられる・・・

「地ならし」を・・・

「この世」の私達が行う必要がある・・・

 

という事を意味しております。
これは、どこか最近の外国からの観光客の誘致と似て非なる?面が存在していると感じませんでしょうか(笑)
つまり、

 

今までにおいては「目に見える」購買物などを対象とした誘客であったものが・・・

最近では「目に見えない」・・・

「体験(型)」の誘客と要望が増え続けている・・・

 

という面に現れてきております。
そして、先ほど、「心(精神)」と「身体」が「統合」されていくとコメント致しましたが、「平成」までのこのTOPICSにおいては、

 

「心(精神)」と「身体」は繋がっている

 

とお伝えして参りました。
そして、「令和」においては、

 

「心(精神)」が「主」であり

「身体」は「従」である

 

というのは、もうハッキリとお伝え致しますが、間違いございません!(笑)
そして、魂の視点においては、「あの世」が「主」であり、「この世」が「従」という関係になりますが、

 

「主」と「従」の関係というのは・・・

「上下」や「優劣」という関係ではない・・・

 

という点は、誤解の無きよう捉えて下さい。
つまり、

 

「主」を存在たらしめているのは「従」でもあり・・・

「従」を存在たらしめているのは「主」でもある・・・

 

という関係です。
そして、これを先ほどの「心(精神)」と「身体」に当てはめてみると、

 

「心(精神)」が感じたものの表現を可能にしてくれるのが「身体」でもあり・・・

「身体」で捉えた様々なものを、どのように感じているのか?という「心(精神)」の働きとしての学びに繋がっていき・・・

 

という風に、どんどん循環の輪を描いていきます。
そして、これも先ほども出て参りましたし、「平成」のTOPICSでも繰り返しお伝えしております「統合」と「分離」のテーマとも繋がっていきます。
そこで、まず、

 

「分離」は「統合」から別れた側面である

 

という前提が出発点となります。
しかし、「統合」から別れた「分離」を、仮に「分離A」とすると、

 

「分離A」は自らが・・・

「分離」という存在であるのか・・・

「統合」という存在であるのか・・・

分かりようがない・・・

 

という現象が発生します。
そこで、

 

「分離A」は・・・

「分離B」と出逢う事により・・・

自らの存在の「本質」を知り得る・・・

 

ようになっていきます。
そして、

 

「分離A」も「分離B」も・・・

自らが「分離」という存在であると知り・・・

お互いの「違い」に気づく事によって・・・

再度「統合」へと向かっていく・・・

 

という道のりを辿っていきます。
詰まる所、

 

「分離」とは決して切り離された存在ではなく・・・

「統合」と常に繋がっているからこそ・・・

「分離」という「体験」をする事が可能になっている・・・

 

という事です。
少し難しかったですかね?(笑)
そして、このような現象というのは、

 

「心(精神)」と「身体」においても・・・

「あの世」と「この世」においても・・・

第三の目とも呼べるような・・・

両者を常に繋ぎ留めてくれている・・・

「統合」が存在しているからこそ可能となる・・・

 

という事を現してもおります。
そして、これが、2019年のキーワードとして、「3」という数字を取り上げた一つの側面でもあります(笑)
そして、「子ども」においても、(必ずしも両親や親という意味では無くとも)「女性」と「男性」との「統合」から産み出される存在でもあります。
そして、「平成」から「令和」においても、

 

これを「分離」(あるいは時代の分断)という視点のみで捉えるのではなく・・・

「平成」と「令和」を繋ぎ留めてくれている・・・

第3の「統合」という存在を・・・

 

探してみては如何でしょうか?(笑)
そして、「共通点」を見出すのも、新たなものを「産み出す」のも、「統合」のシンボルとでも言うような、「重なり」なのかもしれません(笑)

2019年5月4日 02:05

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