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動物実験の是非を魂の視点から考えてみます

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

春という今頃の季節においては、「生命の息吹や鼓動(躍動)」を感じやすい時節柄でもある事により、今回は「動物実験の是非を魂の視点から考えてみます」というテ-マをお届け致します。

そして、動物実験においては、やはり、(新)薬の開発などの光景が目に浮かぶ方も多いかと思われます。
薬は確かに「人間」においては役立っている面もあり、薬のお陰で病気が治癒した、あるいは、命を救われたという方々も多くいらっしゃるかとも思います。

また、自分や家族が病気の時には、やはり薬を助けとするという心情もよく理解出来ます。
故に、今回のTOPICSをお読み進め頂く際には、薬などを否定しているのではない趣旨である事と、もし、そのような方向に「感情」が赴きそうになる際には「理性」を活用して読み進めてみて下さい。

 

そこで、今回のテ-マを進めるに当たりましては、今までのTOPICSからの再掲も踏まえてお伝えして参りますが、まずは、前回の2019年4月6日の「魂の視点で捉える時代(や元号)」において、

 

魂の視点においては・・・

時には・・・

厳しさや辛さや苦しさなどを感じる時もある・・・

 

との趣旨もお伝え致しました。
これは、先ほどの動物実験と薬の開発からもお分かりの通り、今回のようなテ-マにおいては、「人間の命」とも直結してくる面が多大に含まれているからでもあります。

そして、このTOPICSも間もなく250回目に近づいておりますが、もうそろそろ、時には「段階を上げた」テ-マも取り上げる時期でもあると感じる所からも来ております。
と言うのも、

 

最近の世の中や社会においては・・・

あまりにも・・・

「本質」を置き去りにしている・・・

 

という傾向が高くなってきているからです。
これは、「本質」部分の議論を避ける、また、敢えて「本質」の部分を見ようとしない、という風潮からも容易に読み取る事が出来ます。

そして、今までのTOPICSにおいても同様ですが、今回のテ-マは特に、魂の視点を活用し、かつ、私個人のフィルタ-も通してのものである点を、重々ご了承頂きたいのと、また、現在、ご病気や怪我等で懸命に治癒しようと薬を活用している方々に対しての他意も一切含まれておりませんので、その点も重ね重ねご理解頂ければ幸いです。
そして、

 

「本質」の部分を避けようとするという事は・・・

「視野」をドンドン狭く制限している事と同様であり・・・

 

その「視野」を、再度「拡大」していく一方法として・・・

魂の視点を活用してみる・・・

 

という点に重点が置かれている事と、

 

詰まる所・・・

魂の視点というのは・・・

お一人お一人が「考える」際の素材としての提供・・・

 

という意味合いも含まれておりますので、今回のテ-マにおきましても、これが答えでも正解でもあるような性質のものではなく、普段とは少し趣向を変えて、「自由に考える」と共に、「考える自由」という面をも意識してみて下さい。

前提が長くなってしまい申し訳ございませんが、やはり「命」に関係するテ-マである事と、時には様々な誤解を生みやすいテ-マでもありますので、重ねて「答えや正解」ではなく、あくまで魂の視点での捉え方と、私個人のフィルタ-を通しているという面を再度お伝えして先に進めて参ります。

では、魂の視点から動物実験の是非を考えた時に、その結論としては、

 

動物実験は「非」

 

になります。
では、なぜ「非」であるのかを考えていきます。

まず、一点目ですが、これは2018年2月24日のTOPICS「ペットなどの動物の魂はどうなっているの?」で取り上げているものです。
その一つとして、魂の進化について触れておりますので、その趣旨を再度見つめてみます。
魂の進化においては、

 

『 鉱物(霊) → 植物(霊) → 動物(霊) → 人(霊) 』

 

と言われていると。
そして、魂の進化という視点においては、

 

『 宿る対象が進化するのではなく・・・宿っている魂(霊)の視野としての進化・・・ 』

 

とも。
そして、人は「万物の長」とも言われたりしておりますが、この本来の意味として、

 

『 人は・・・あらゆる生命の最高位に「君臨」しているのではなく・・・

  人は・・・他の魂という生命の進化の「お手本」となるべく存在している・・・ 』

 

と私自身は解釈しているとコメント致しました。
では、二点目を考えていきますが、それは、つい先日の2019年3月16日のTOPICS「スピリチュアルの本質&そこに神は存在するのか?」における捉え方からです。
このテ-マにおいては、キリスト(教)の「三位一体」をモチ-フとして、この意味としては、

 

『 「父(という自然法則)」と「子(という自分・自我)」と「聖霊(という(自分以外の)人間や動物や植物などの生命)」 』

 

と捉えていると。
そして、このように捉えた「三位一体」を「私・自分」という一つの個体(個性)に当てはめてみると、

 

『 「心(精神)」と「体(肉体)」と「魂(霊)」 』

 

とも呼べるかもしれないし、「三位一体」における、

 

『 この「三(者)」は本質的に全く同じもの 』

 

と解釈もされており、そこから、

 

『 私達「人間」においては・・・「心(精神)」と「体(肉体)」と「魂(霊)」とのように・・・それぞれが、個別に分離して存在出来るものではなく・・・

  私達「人間」とは・・・この「三(者)」の全てが溶け合って(融合して)こそ・・・初めて「人間」として存在出来る・・・ 』

 

とお伝えもして参りました。
そして、このような視点を、(新)薬の開発などにおける動物実験に当てはめてみると、

 

「人間」と「動物」の双方においては・・・

「心(精神)」と「体(肉体)」と「魂(霊)」という「三位」は・・・

どれも「一体」ではない(一致していない)・・・

 

という点が導かれます。
そして、これは、「体(肉体)」は勿論ですが、動物にも「心(精神)」と「魂(霊)」は同じく備わって機能しておりますが、

 

「人間」と「動物」では・・・

この、どれも(「三位」)が・・・

「性質」における違いがある・・・

 

という結論に結び付く事にもなります。
つまり、このような視点からは、動物実験で「動物」に効果があった(かもしれない)薬が、果たして「人間」にもそのまま当てはまるのか?そして、そのまま当てはまらないのであれば、本当に「動物実験」を行う事に意味や意義があるのか?という視点に自然に導かれてもいきます。

勿論、実際の流れにおいては、「動物実験」を経て、その後に「人間への治験」が行われて初めて(新)薬としての認可が下りるのも、重々理解しております。

そして、ここでも繰り返しで恐縮ですが、答えや正解というものではなく、皆さんにおいて「考える素材」としての視点の提供が趣旨であります。

 

また、「動物実験」が「非」であるのならば、「食する」のは「是、それとも、非」になるのか?という疑問やご質問が出て来るのも当然の事でもあります。
この「食する」という点に関しましても、先ほどの「ペットなどの動物の魂はどうなっているの?」で取り上げておりますので、詳細はお手数ですがそちらに目を通して頂ければ幸いですが、追加で一言付け加えるとすれば、それは、

 

(魂の)進化における「役割の違い」

 

との捉え方になります。
そして、このような事は、自然界における「動物」においても、自らの「命の成長と維持」の為に、他の「動物」(や「植物)」を「食する」事から明らかでもあります。

しかし、「動物」という自然界においては、自らの病気や怪我を癒す為に、「他の動物」へ「実験」を行う事はありません。
これは「知性」や「知識」という観点とは全く別物です。
現に「動物」の中には、病気や怪我の際には、木の実や植物の葉などを食し、その後は、休息を取るという「行動」を取るケ-スが多い事からも見て取る事が出来ます。

 

そして、「動物実験」における状況においては、腫瘍を植え付けられたり、あるいは、脳に電極を差し込まれたマウスの姿などを目にした事がある方も多いかもしれませんし、また、「植物」においても、桜の枝などが無残にも引き裂かれたりしている光景などを目にすると、心に痛み(傷み)を感じませんでしょうか・・・?
そして、あくまで私個人の捉え方でもあり、少しキツイ表現を用いますと、このような光景や目に映る状況というのは、

 

現在の世の中や社会においては・・・

醜(みにく)いものを・・・醜(みにく)いと感じられなくなって来ており・・・

これは「感性」の欠如の映し出しでもあり・・・

次第に・・・

美しいものが分からなくなって来つつもある・・・

 

というのが率直な気持ちです。
では、少し視点を変えて次の話題に移ります。
それは、先日の3月18日の「報道1930」という番組でも取り上げられてもおりましたし、また、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、本年の3月初めに、文部科学省が以下のような発表をしました。
それは、

 

《 動物(ブタ)の体内でヒト(人間)の臓器を作らせ、ヒト(人間)の臓器を持つ動物(ブタ)の子どもを出産させる事を解禁させた 》

 

とのものであり、それに関する新聞報道等では、

 

《 将来は、この動物(ブタ)の体内で作られた臓器を、ヒト(人間)へ移植する事も検討されている 》

 

とのものです。
なお、「ヒト(人間)の子宮への移植や、この方法で産まれた動物の交配は(今の所は)禁止する」とも付け加えられております。

 

そして、このような流れからは「臓器移植」という視点に結び付いていきますが、二つある臓器の一つを提供したり、臓器の一部を提供する移植もありますし、「生体」あるいは「脳死」による移植というのもあります。
また、世界を見渡すと「臓器売買」という事件も実際に存在しております。

なお、魂の視点からの捉え方においては、「脳死」は「死ではない」という視点となりますが、この点に関しましては、適切な時機などを考慮に入れた上で、またの機会に考えていきたいと思っております。

 

そして、先頃には、人工透析を中止した事によりお亡くなりになられた方の出来事も発生致しましたが、この腎臓の治療においても選択肢の一つとしては「腎臓移植」も考慮される事から、今回のテ-マと無関係ではありません。
そして、最初のコメントの繰り返しになりますが、ここでも、自分や家族が同じ立場であったならば・・・という心情も、同じように深く関わってくるのは想像力を働かせればご理解頂けるかと思います。

なお、「臓器移植」は今回のテ-マではありませんが、補足として、魂の視点からは「臓器移植」をどのように捉えているのかをお伝え致しますと、

 

全ては「動機」次第

 

という視点になります。
また、同列に考えるのは不謹慎と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、同じような視点としましては、例えば蚊を殺すのは良くないのか?などの疑問やご質問も出るかと思われますが、人間も「自然界の一部」である事から、蚊を媒介としたマラリアなどから「身を守る」という意味では、これも「全ては動機次第」という見方になります。

そして、「臓器移植」に関しましては、世界においては次の二通りのスタンスが取られております。
その一つ目は、〖 オプト・アウト方式 〗です。
では、簡単にご説明致します。

 

〖 オプト・アウト方式 〗とは、臓器提供に元々「同意している」とみなし、臓器を提供しない場合には、その旨を事前に意思表示していなければならない

 

というものです。
二つ目は、〖 オプト・イン方式 〗というものであり、現在の日本はこちらを採用しております。

 

〖 オプト・イン方式 〗とは、臓器提供に元々「拒否している」とみなし、臓器を提供する場合には、その旨を事前に意思表示していなければならない

 

というものです。
そして、日本においては「臓器移植法」という法律も存在しておりますが、〖 オプト・アウト方式 〗や〖 オプト・イン方式 〗のどちらが良い悪いという観点ではなく、

 

私達が「無関心」を装っていると・・・

知らぬ間に・・・

このような現状が変更されてしまう(可能性もある)・・・

 

という点は肝に銘じて置かなければならない「時代」であるのも事実です。
そして、このような「動物」の体内に「ヒトの臓器」を作らせるというのは、

 

魂の視点からは・・・

「動物実験」でも「非」であるように・・・

このような、ヒトの身勝手さや過剰さによる・・・

「他の生命への介入」というのは・・・

 

結論を申し述べる迄もなく、もうお分かりになるかと思います。
そして、これも先日の2019年3月30日のTOPICS「幽霊になる方法???とゲノム編集(食品)」でお伝え致しましたように、「魚」の養殖におけるゲノム編集の活用においては、

 

(魚の)「性格」を変える

 

という事に主眼が置かれております。
そして、これも同様ですが、

 

このような状況というのは・・・

必ず・・・必ず・・・必ず・・・

(様々な面で)「ヒト」へ(の影響も)及んでくる・・・

 

のは間違いありません。
そして、これが詰まる所、

 

生きる価値のある「ヒト」・・・

生かせて置く価値のある「ヒト」・・・

 

生きる価値のない「ヒト」・・・

生かせて置く価値のない「ヒト」・・・

 

という「選別」に確実に繋がっていきます。
そして、先ほど私は「無関心」を装っていると、、、とコメント致しましたが、

 

「愛」の反対は「無関心」

 

です。

 

私達「人間(ヒト)」の「愛」は・・・

果たして・・・

どこに「向けられて」いるのでしょうか・・・

また・・・

どこに「向かって」いるのでしょうか・・・

 

そして、今回のテ-マにおける、魂の視点からの「人間」や「動物など」の関わりという意味では、

 

失ってからでは・・・

遅い・・・

という真実と・・・

 

失う前に・・・

「気づける」ように・・・

 

との、日常生活における様々な側面にも当てはめられるメッセ-ジともなっておりますので、繰り返しですが、「自由に考える」と共に、「考える自由」を是非、よくよく大切にして下さい。
なぜなら、

 

「自由に考える」・・・

そして・・・

「考える自由」・・・

その双方を備えているのが・・・

 

「(魂の進化における)人間」としての「本質」であり・・・

「考える(考えられる)」というのは・・・

「気づく(気づける)」という事でもある・・・からです

2019年4月13日 03:04

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