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魂の視点から虐待(やDV)を防ぐには・・・

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、ニュースなどでご存じの方も多いかと思われますが、10歳の女の子が父親からの虐待により、お亡くなりになってしまったとの事件が起こってしまいました。
そして、母親である妻も、この夫からDV(家庭内暴力)をされていた事により、娘さんへの虐待を制止してしまうと、逆に自分に暴力の矛先が向かう事を怖れたとの、いわゆるネグレクト(育児放棄)で同様に逮捕されたとも伝えられております。
これは前回のTOPICSでも取り上げました、

 

「不作為(何もしない)」も「行動」の一種であり、「見て見ぬフリをするのもイジメへの荷担」

 

と同じ「本質」の現れです。
また、今回の事件では、役所や児童相談所の対応にも、様々な意見が投げかけられております。
そして、何度も同じような悲劇が繰り返されている現状も鑑みて、今回は「魂の視点から虐待(やDV)を防ぐには・・・」というテーマをお届け致します。

 

そこで、まず、このような問題や事件におきましては、様々な意見や見方が存在するのは当然の事でもありますし、ましてや、人の命に関わる事に関して魂の視点などで扱うというのは不謹慎であるとの見解も存在する事と思います。
そして、私は特にこのような虐待やDVに関しては、現在活用されている制度や連携、また、施設なども大いに活用するべきとも考えております。

なぜなら、このような今ある制度などを活用した事により、解決に至ったり、改善の兆しが見えてきているケ-スもあると感じますし、その事により幸いにして事件にまで至らずに報道されていないケースも多々あるのが事実であるとも感じます。

 

そして、魂の視点と言っても、これで全てを万事解決出来るというものでもありません。
なぜなら、幾らこのような視点のアドバイスがあったとしても、当事者がそれを取り入れようとしない限りは、届かないからでもあります。
そして、当然の事ながらも、強制出来るような性質のものでもないからです。

また、魂の視点、あるいは、いわゆるスピリチュアルな観点というのは、単なる綺麗事の理想論でしかなく、そのようなものは逆に現実社会においては危険性を孕(はら)む要素ともなるのでは?などの意見も多くなるものでもあります。
これもおっしゃる通り、「現実逃避」の方向に活用してしまえば、そのような危惧も現実のものとなり得てしまいます。
ただ、本当の意味での魂の視点とは、

 

「今、ここ」に、当てはめ、活用し、役立てていく事に「本質」が存在している

 

と私個人としては捉えて、実際に応用しているという観点からの今回のテーマになりますので、ここから先は関心のある方は、宜しければ読み進めてみて下さい。
そこで、このような虐待やDVにおける状況の際に当てはめ活用する魂の視点とは、

 

出来るだけ早く・・・

その場や状況から・・・

逃げる(避難する)・・・

という「行動」を取ること!

 

です。
もし身の危険を感じ、急を要すと感じる場合であれば、隣近所でも良いですし、あるいは、多くの人が出入りしている場所などへ向かうのでも構いませんので、誰かに(警察などへの通報を含めた)助けを求めるという事です。
そして、ここで、多くの方が疑問に思ったり、質問が出て来る所ですが、それが、

 

魂の視点とは言っても・・・

現実的な対応と何も変わらないのでは・・・?

 

というものです。
そうです。

 

おっしゃる通り・・・変わりありません

なぜなら、最初に私がコメントした通り、魂の視点とは、

「今、ここ」に、当てはめ、活用し、役立てていく事に「本質」が存在している

 

というのが「源」にあるからです。
そして、このような虐待やDVに関わらず、様々な状況などにおいて、スピリチュアルな観点においては、次のような事がよく言われたりします。
それが、

 

体験する出来事には意味がある・・・

 

と。
確かにこのような側面があるのも否定は致しませんし、どのような出来事からも学び得る視点というのは存在しています。
ただ、このような観点を一面的にのみ捉えてしまう傾向がある事により、時には物事を悪化させてしまうような、多くの誤解や捉え違いが生じている原因も同時に存在しているとも感じます。
では、その理由をお伝え致しますので、皆さんも「想像力」を活用して考えてみて下さい。
それは、

 

今回のような命に関わる虐待やDVなどの渦中にいる時には・・・

そもそも・・・

誰しもが、理性的で冷静な判断や心を保つのには無理がある(限界が生じる)・・・

 

という事です。
そして、仮に、このような過酷な渦中にある際に、自分の心を見つめて、自分を振り返ってみる・・・などのアドバイスがあったとしても、それは到底出来る事でもなく、また、このようなアドバイスがあらぬ方向(物事を悪化させる方向)へ向かってしまうと、

 

虐待やDVをする「相手」が悪いのではなく・・・

虐待やDVを受けている「自分」に非や責任がある・・・

 

という心情に追い詰めてしまう事にもなりかねません。
そして、このように「自分に非がある、責任がある・・・」と追い詰められてしまう結果、

 

虐待やDVの実態が明らかにされず・・・

延々と続けられ・・・

それが二次被害などへ繋がっていく・・・

 

というのが今まで繰り返されてきた現状でもあります。
なお、ここでの二次被害というのは、世間や周囲からの「正論」というプレッシャー(圧力)が多くを占めておりますが、これに関しては後述して参ります。
そして、このような過酷な渦中にありながらも、本当の意味での今回ご紹介する魂の視点を活用出来ていれば、

 

やはり・・・

逃げる(避難する)・・・

という「行動」に気づく!

 

はずです。
なぜなら、ここでの本当の意味での魂の視点においては、

 

自らの心身(魂)を守るのも大切で必要なこと!

 

と理解出来ているからです。
それに加え、

 

逃げる(避難する)という「行動」は・・・

「(虐待やDVをしている)相手」を傷付ける「行動」では全くない!

 

という点も含めて理解出来ているからです。
そして、ここに私が個人的に何故これほど繰り返されてしまうのか?と感じている真の理由の一つが、「逃げる(避難する)」という「行動」を取った後に起こりがちになる、周りの人から湧き上がる問題(感情)です。
それが、先ほどコメントしましたプレッシャー(圧力)という意味ですが、それは、

 

家族(親子や夫婦)なんだから・・・

やはり・・・

(最終的には)話し合って解決出来るのでは(その方が良いのでは)・・・?

 

との部分(感情)です。
確かにこれは「正論」でもあり、そのような方向性で解決に向かうのであれば望ましいというお気持ちも理解出来ます。
ただ、

 

「周りの人」が(良かれと思って)・・・

「(虐待やDVを受けている)当人」を、そこ(正論)に追い込んでしまうと・・・

 

それは・・・

(時には)行き過ぎた「感情論」でもあり、「無責任」な言葉掛けにもなりかねない・・・

 

という危険性の側面をも、同時に孕んでいるのも真実です。
そして、ここに当てはめられる魂の視点というのが、

 

親子と言えど・・・魂は・・・別である・・・

 

という視点です。
そして、少し不適切な表現かもしれませんが、

 

誰かを助ける為に自らの心身(魂)を役立てる(捧げる)事と・・・

虐待やDVを受け続ける状況を自らの心身(魂)に課す(許す)という事は・・・

全く違う!

 

という事です。
これは、

 

「親子(関係)」が「家族」であるならば・・・

「夫婦(関係)」もまた同じ「家族」であるという観点から・・・

「逃げる(避難する)」という「行動」を取るという事は・・・

 

(特に)夫婦間におけるDVのケースでは・・・

より理解(実感)しやすくなる・・・

 

という点は幾分かでもご理解頂けるかと思います。
そして、これが、

 

親子と言えど・・・家族(夫婦)と言えど・・・魂は・・・別である・・・

 

という視点にも繋がっています。
勿論、家族で助け合い、支え合うというのが素敵なものである事は、論を待つものでもありません。

ちなみに、これと同様の視点は、お子さんを授かりたいと懸命に不妊治療などに取り組んでいる方も多くいらっしゃるかと思いますが、子育てという経験を通して自分も成長していきたい、などの思いがあるようでしたら、虐待などを受けて心身に傷を負っている子どもの為の養子や里親制度もありますし、様々な事情や心情、あるいは、それこそ現実的な側面から、そこまでは(血縁以外という選択には)踏み切れないという思いも理解出来る面もある事を踏まえて、何かの折には考える素材としてみて下さい。

 

では、次は、夫婦間におけるDVや、子どもに対する虐待においても、大人(妻あるいは夫)や中・高校生頃であれば「逃げる(避難する)」という「行動」を取る事も可能ですが、小学生(低学年)や、それより下の特に0~3、4歳位の場合には、「逃げる(避難する)」という「行動」を取る事が、ほぼ難しい(不可能に近い)事と思われます。
また、この頃の年齢においては、

 

家族(家庭)という状況や環境が・・・

ブラックボックス(密室)化していて・・・

外(周囲の人)からは見えない(見え辛い)・・・

 

というケースが大半であるのも、今の社会の実状でもあります。
そこで、このような場合においては、虐待をしている、虐待をしていた、あるいは、虐待をしそうな思いに駆られる事があるという親御さんへの問い掛けです。
また、これは、皆さんの周りの人でそのような心境に陥っているかも?と感じられる人に問い掛けてあげてみて下さい。
それは、

 

あなたは・・・

心の奥底(本心)において・・・

自らの人生を・・・

生き直したい(やり直したい)と思っていませんか・・・?

 

との問い掛けです。
この問い掛けの意味する所とは、小学生(低学年)の多くが、また、0~3、4歳位の子どもさんにおいては、「人生を生き直したい(やり直したい)」と思っているお子さんはほとんどいないでしょうし、そのような事すら思ったり考えたりするケースの方が稀であると思います。
つまり、

 

このような小さいお子さんを見て・・・

虐待の思いや気持ちが湧いてくる場合には・・・

お子さんに対して「嫉妬」していないか・・・?

 

との問い掛けを「自分」に対して行ってみるという事です。
なぜなら、

 

「生き直したい(やり直したい)」と(小さい)子どもさんが思わないという事は・・・

そこには・・・

可能性が広がっている・・・

 

という事を、子どもさんを通して親御さんに見せてくれている(見せられている)からです。
そして、このような「嫉妬」という感情には、お子さんに対してだけとは限りませんし、特に夫婦間のDVの場合においては、

 

(欲しくてたまらない)自分の持っていない面を、相手(の言動)に見つけてしまう・・・

また・・・

(改善したくてたまらない)自分の嫌な面を、相手(の言動)に見つけてしまう・・・

 

という視点も含まれています。
この「嫉妬」という感情は、学校、職場、そして、社会におけるイジメの「根底」とも全く同じものになっています。
そして、ここでの魂の視点というのは、虐待の場合においては、

 

もし、どうしても「自分」の心身(魂)において・・・

(お子さんを)支え切れず虐待をしてしまいそうに感じる(思いが生じる)のであれば・・・

(一時的にでも)「お子さん」を施設などで預かってもらう・・・

 

なぜなら・・・

それは、「お子さん」の心身(魂)を傷付けない為でもあるから・・・

 

です。
そして、ここでも先ほどの「親子、家族、夫婦なんだから・・・」という「(時には)行き過ぎた「感情論」でもあり、「無責任」な言葉掛け・・・」に出逢う事も多いかと思われます。
そして、ここで活用するのも、

 

親子と言えど・・・魂は・・・別である・・・

 

という同じ視点です。
そして、ここでの意味とは、

 

支え切れない事で「共倒れ」になってしまう前に・・・

お子さんには可能性が広がっており・・・

虐待ではなく、(一時的にでも)預かって貰うという経験を通して、お子さんは学ぶ事も出来る・・・

 

という視点を信頼する事になります。
そして、先ほどの「正論」や様々な心情などからも、このような「(他人に)預ける(という対応)」を取る「行動」に否定的なご意見がある事も、私も理解出来る部分はあります。

ただ、これは、今回の事件の、(一時)保護権限を持っている児童相談所においても、そのような心情の働きがあった事は容易に推測されますし、それが今回のような悲劇的な結末を招いてしまったという側面からは目を逸らす事も出来ないと感じます。
なお、児童相談所の記者会見では、父親の威嚇的な態度に恐怖を感じてしまった・・・との弁解がされていましたが、これは、そもそも「論外」です、、、、、(そのように感じるのであれば、このようなお仕事をするべきではないとの私の個人的な見解ですが)

 

そして、これも繰り返しですが、魂の視点のみで全てが解決に向かう訳ではないかもしれませんが、それと同時に、現在の制度や連携などの仕組みを活用する事も必要になってきます。
ただ、幾度も変わらずに繰り返されている悲しい出来事を少しでも減らしていく為には、

 

魂の視点を「プラスα(アルファ)」として活用してみて・・・

そして、この魂の視点を活用する際には・・・

 

「(時には)行き過ぎた「感情論」でもあり、「無責任」な言葉掛け・・・」に親子(妻あるいは夫)共々に翻弄されない為にも・・・

(一時でも、そのような世間や周囲の声には)目を瞑(つぶ)ってみる・・・

 

という事も、先ほど少しコメントしました二次被害をも防ぐ事を含めた、効果的で現実的な対応になるかもしれません。
なお、虐待が疑われる際に、躾(しつけ)や教育の一環だとの受け答えをする人もおりますが、虐待と躾は全く違うものでありますし、そもそも、

 

教育とは・・・(お互いに)教えを育(はぐく)み合うもの

 

ですので、虐待の弁解や言い訳にはなりません。

また、(私個人としては、このような考えは持っておりませんが)よく「虐待を受けた人は自分の子どもにも繰り返す可能性が高い?」などとも言われる事がありますが、これも、「(虐待を受けていた自分の子ども時代を、新たな気持ちで)生き直したい(やり直したい)」との「思い」に光を当てる事で、充分に防ぎ得るケースもあるかもしれません。

 

そして、より広い魂の視点として、宜しければ次の事も考えてみて下さい。
私はキリスト教徒でもありませんし、無宗教ですが、イエス・キリストにおいては、

 

イエスに癒しを求めたのも「人間」であり・・・

また、それと同時に・・・

イエスに処刑を求めたのも「人間」である・・・

 

という視点と、イエスは十字架に張り付けられた際に、次のように語ったと言われています。

 

『 父(神)よ・・・

彼らをお赦しください・・・

(彼らは)している事が分からない(理解出来ていない)のです・・・ 』

 

と。
また、イエスは弟子達に向けて次のように諭(さと)し続けていたと言われています。

 

『 私に出来ることは・・・あなた達にも出来ること・・・』

 

と。
そして、イエスが本当に伝えたかった真意としての、

 

『 皆さん一人一人が・・・

メシア(救世主)です・・・ 』

 

との魂の視点に繋がってくるのかもしれません。
そして、この視点における一番大切な事は、今回のテーマの虐待やDVにおいても、「イジメの「根底」」と同じもの」とお伝えしましたように、結婚しているしていないに関わらず、また、お子さんがいるいないに関わらず、

 

「他人事」ではなく・・・

「自分の事」でもある・・・

 

という視点を考える素材としてみて下さい。
そして、虐待やDV、様々な環境で行われているイジメ、また、そこまでは至っていなくとも、現在の世の中や社会に蔓延している(しつつある)「悪意」というのは、

 

「幸せ」を感じられていないから・・・

 

というのが、その「根底」に共通していると、私個人的には強く感じております。
このような視点からは、

 

他の人との「比較」からではなく・・・

自分なりの(自分にとっての)「幸せ」を・・・

一人一人が考える・・・

 

というのも、解決策の一つにもなり得るものですし、特に「今、ここから」はとても大切になるように感じております。
なぜなら、「まだ、今なら、間に合うから・・・」です、、、、、

それと、今回は「子ども」というテーマも関連している事から、宜しければ次の事も、余談として考えてみて下さい。
現在、(幼児・高等)教育の無償化などが進められておりますが、確かに、このような事も大切で必要な事でもあります。

ただ、私が一点、とても気になっている「箇所」があります。
それは、この教育の無償化の議論の際に言われ続けている「言葉」です。
それが、

 

真に必要な子ども達の為に・・・

 

です。
これは一見すると、経済的に厳しい状況などにある子どもさんに向けて、とも捉える事は可能ですが、

 

この「真に必要な」の・・・

「真に必要」とは・・・

 

「子どもにとって」必要なのか・・・

「国(家)や誰かにとって」必要なのか・・・

 

という、幾らでも(別の)解釈も可能である・・・

 

という「箇所」でもあり「言葉」です。
これは前回のTOPICSからの、私の偏向かつ穿(うが)った?視点のガス抜きとしての「残り香」なので、このような視点が「取り越し苦労」であれば、それはそれで良いのですが、、、、、(笑)

2019年2月16日 04:02

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