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生前葬から考える魂の視点

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、来年の天皇陛下の「生前」退位に伴い、平成最後の年という観点がニュ-スなどでも次第に取り上げられつつありますが、2019年に入ると、この傾向には更に拍車が掛かっていく事であろうとも思われます。
私は昭和生まれですが、平成の終盤は、日本を含め世界的に見渡してみても、様々な事柄が大きく変わった・・・と言うよりも、変わってしまった・・・との感が拭(ぬぐ)えません。
良い方向への変化であるならともかく、どうも全く逆の方向への変化のように私には感じられます・・・
そこで、今回は「生前葬から考える魂の視点」というテ-マをお届け致します。

 

「生前葬」という言葉は皆さんもお聞きになった事があろうかと思われますが、いわゆる「生きている間」に「お葬式」を執り行うという事でもあります。
近頃では「生きている間」にお墓を購入したり、また、「終活」や「断捨離」なども含め、高齢化社会の一端でもある事でしょうが、以前であれば「禁忌やタブ-」とみなされていた事が、ある意味、普通?に行われるようにもなってきています。

ただ、私の目には、このような現象の中には、時にはポジティブな側面からの行動には映らないケ-スも感じられる事があります。
勿論、「生前」にお墓を購入するも、「生前葬」を行うのも、人それぞれの全くの自由です。
そして、「生前葬」においては、

 

従来であれば「他界後」に執り行われるもの(を「生前」に行う)

 

という特徴があります。
では、まず、魂の視点からの「お葬式」を考えてみます。
すると、「お葬式」には二つの視点が同時に含まれているのが垣間見えます。
それは、

 

「他界した人」に向けて「死」を「気づかせて」あげる面・・・

そして・・・

「生きている(残された)人」に向けて「嘆きや悲しみ(など)」を「和らげて」くれる面・・・

 

というのが「重なって」含まれています。
では、ここはとても大切な事ですので、皆さんも考えてみて下さい。

ここでの「他界した人」に「気づかせて」あげる面と、「生きている(残された)人」を「和らげて」くれる面を「相互に」繋げてくれる、一つの「共通点」が存在しています。
その「共通点」は何であると思われますか?
それは、

 

(お互いへの)感謝

 

です。
そして、この「感謝」を繋げてきてくれたものが、いわゆる、

 

縁(「えん」や「ゆかり」)

 

というものにもなります。
そこで、「生前葬」というものを魂の視点で考えてみます。

「生前葬」を行う際にも、様々な思いや動機がある事と思われますし、勿論、感謝という面も含まれている事であろうかと思います。
また、ご病気による余命を考えたり、あるいは、(ご病気も含め)事故やケガなどでお体が不自由になった(なってきた)面などを考慮して、直接お逢い出来る内に感謝を伝える意味での「生前葬」というケ-スも多々ある事かと思います。
なので、私は「生前葬」を否定や非難をしている訳では決してございません。

 

ただ、TVなどで紹介されている「生前葬」の中には、私個人の感覚としては、少し首をひねらざるを得ない?ようなケ-スも時折見受けられます。
そのケ-スとは、

 

お体も「健康で元気」な人が・・・

知人などを「招いて」執り行う・・・

 

「生前葬」です。
では、このようなケ-スが、どうして首をひねらざるを得ない?と私が感じるかを、皆さんはどのようにお考えになりますでしょうか?

勿論、このようなケ-スの「生前葬」においても、「今までの感謝」をお伝えするお気持ちもある事でしょうし、「これからも宜しく」という意味合いも込められているのかもしれません。
そして、ほとんどの「生前葬」の動機となっている、「他界後」に執り行われる「お葬式」などに対してのご足労など、

 

(相手に)「手間」を掛けさせたくない為・・・

 

というのも偽らざる本音である事かと思います。
また、ここには、ある種の優しさや思いやりなども込められている事かもしれません。
ただ、

 

本当に今までの「感謝」をお伝えしたいのであれば・・・

しかも、「健康で元気」で、「生前葬」を行えるだけの経済的余裕もあるのであれば・・・

自分の方から「出向く」・・・

 

というのが「本来の筋」であろうと私には思えます。
そして、もし、このようなケ-スの「生前葬」であるのであれば、

 

(相手の元へ「出向く」という)自分の「手間」を惜しんでいる・・・

 

という思いがどこかに潜んでいるのでは?と、敢えて穿(うが)った見方も成り立ってしまうかもしれません。
なぜなら、このような「生前葬」においては、最初にご紹介した魂の視点の「お葬式」からの、

 

「生きている(残された)人」に向けて「嘆きや悲しみ(など)」を「和らげて」くれる面・・・

という視点が完全に欠落している・・・

 

からです。
これでは、良かれと思って執り行う「生前葬」が、「自己満足」や「自分本位」と捉えられかねない可能性も含まれてしまいます。

また、感謝をお伝えしたいのであれば、わざわざ「生前葬」ではなくとも、「お手紙」でも構いませんし、「これからも宜しく」という面を考えると、パ-ティ-や宴会などでも構わないようにも感じます。
そして、パ-ティ-や宴会と称するならば、「招かれる人」も「出欠」などを色々と自由に考える余地が与えられますが、「生前葬」と銘打ってしまわれると、なかなか「欠席」とは申し出辛くなるようにも感じます。

 

なお、あくまで私個人が思う所ですが、「お葬式」は法律などで義務づけられているものでもありませんし、「お葬式」をしないからといって「死」に「気づけない」という事もありませんし、いわゆる成仏や浄化とも直接の関係はありません。
これは「お墓」も同様です。

なので、その時々の状況なども考慮して、「お葬式」を執り行うも行わないのも、どちらでも構わないとも思います。
また、遺言などで「お葬式」を執り行わないようになどの「ご遺志」が示されている場合であっても、ご遺族の方々が、ここから先の「自分達の心」を整えるために「お葬式」を執り行う場合などでは、誰かに非難されるような性質のものでもありませんし、「他界されたご本人」も理解してくれる事でもありますので、それも自由で良いと感じます。

 

そして、知人などから「生前葬」の「ご招待」を受けた時は、ここまで深く考えたり穿った見方?をする必要性はありませんが、もし、今後、誰かを「ご招待」した上での、ご自身の「生前葬」などを考えている方がいらっしゃれば、

 

(「他界後」に相手が「出向く」という)「手間」を掛けさせたくない為なのか・・・?

それとも・・・

(「生前」に自分が「出向く」という)「手間」を惜しんでいる面はないのか・・・?

 

という思いや動機の上での視点を取り入れて考えてみて下さい。
繰り返しですが、私は「生前葬」を否定や非難をしている訳でもございませんし、全くの自由です。
そして、「生前葬」を考える多くの思いや動機の上では、

 

今までの人生における・・・

節目や一区切りを付けて・・・

新たな気持ちで出発したい・・・

 

という側面が、本心の上では大きいのでは?とも感じます。
そして、もし、そのような新たな前向きな心持ちという思いや動機があるようでしたら、必ずしも「生前葬」に限られる必要性もない事と、「他の場など」でも可能なのでは?と発想を少し柔らかくするチャンスと捉える事も出来るかもしれません(笑)
そして、もし、それでも迷いが生じるようでしたら、

 

一期一会(いちごいちえ)

 

という言葉からヒントを探してみて下さい(笑)
そして、魂の視点、あるいは、スピリチュアルな視点など、呼び名は何でも構いませんが、

 

このような視点の本質とは・・・

日常生活の様々な身の周りの状況や出来事などに当てはめて(「考える」という実践をして)こそ・・・

初めて身になる(意味が大きくなる)もの・・・

 

でもあります。
そこで、私は最初に、『平成の終盤は、日本を含め世界的に見渡してみても、様々な事柄が大きく変わった・・・と言うよりも、変わってしまった・・・との感が拭(ぬぐ)えない』とコメントしましたが、その「原因」というのは、既にご紹介致しましたが、お気づきになられましたでしょうか?(笑)
それは、

 

コミュニケ-ションをする(取る)「手間」を(あまりにも)惜しみ過ぎている・・・

 

という事です。
極端に表現すると、昨今の状況というのは、先程からの「手間」を惜しむという観点から、

 

「他者」とのコミュニケ-ションをする(取る)のが面倒くさい!!!

 

と、多くの方が感じ、あらゆる面において、その傾向が顕著になり過ぎている、というのが一端となっています。
そして、このような傾向に拍車を掛けている大きな要因の一つには、

 

「自分自身」とのコミュニケ-ションをする(取る)のすら億劫だ!!!

 

という面も多分に含まれております。
そして、このような近頃の状況においては「表現の自由」も関連しています。
「表現の自由」と聞くと、おそらく多くの方が、

 

「言葉」に着目する

 

事かと思われますが、これも自然で当然な観点でもありますが、

 

「表現の自由」には・・・

「思い」と「行動」も含まれる・・・

 

というのが魂の視点での「本質」になります。
そして、「思い」というのは、言わば「内心や思想の自由」とも言われますが、これは、あくまでご本人の中のものですので、正確な所を外から見極める事も不可能ですし、そこでの「自由」は尊重されるものでもあります。

そして、これも最初にコメントしました、『日本を含め世界的に見渡してみても』という観点では、この一年に起こった様々な事件や出来事などを振り返ってみても、

 

「言葉」によるコミュニケ-ションの「手間」を惜しみ・・・

いきなり・・・

「思い」(と言っても、ここでの「思い」は「理性」ではなく「(利己的な)感情」という意味ですが)を即「行動」に(短絡的に)結び付けている・・・

 

という結果で引き起こされている(引き起こしている)面が多々見受けられます。
例えば、自分とは違う意見を封じ込める為に、ネットなどで(しかも匿名で)炎上させるなどは、残念ながら近頃ではよく目にし耳にする光景ともなってしまっています。
そして、

 

「行動」というのは・・・

「する」行動もあれば・・・

「しない」という行動も含まれる・・・

 

という視点も併せて、12月に入ると、今年1年の様々なニュ-スなどがTVなどでも溢れ返ってくる事かと思われますので、そのような機会をチャンス!と捉えて、是非、今回の「本当のテ-マ」としての、「手間」と「コミュニケ-ション」を惜しみ過ぎてはいないか?との視点から考えてみて下さい。
なぜなら、

 

今なら・・・まだ・・・間に合うから・・・

 

です(笑)
そして、少しだけ余談ですが、それこそスピリチュアルな視点を前面に押し出せば、

 

この世(生前)で出来る事のほとんどは、あの世(他界後)でも出来る事であり・・・

この世(生前)で出来ない事でも、あの世(他界後)では出来るようになり・・・

 

という面が現れてきますが、

 

この世(生前)で出来て、あの世(他界後)では出来ない事・・・

それは・・・

「様々」な人(魂)との交流(コミュニケ-ション)・・・

 

です。
これはポジティブな視点からの「生前葬」にも当てはめる事が出来ますので(笑)
ちなみに、この視点は、2017年9月16日のTOPICS「本来の意味の「終活」と、あの世という「区別世界」」で詳しく触れておりますので、興味のある方は参照してみて下さい(笑)

2018年11月24日 02:11

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