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当たり前「?!」と思われる視点から「今」の自分を知る

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、皆さんの中には、自分が産まれてきた理由は何なのだろう?あるいは、何か人生の目的というのはあるのだろうか?と、一度は考えた事があるという方もいらっしゃるかと思います。
答えがあるようでいて、なかなか明確には見つからないと思われている方も多いのではないでしょうか?(笑)
そこで、今回は「当たり前「?!」と思われる視点から「今」の自分を知る」というテ-マをお届け致します。

 

人それぞれの人生があるように、産まれてきた理由や人生の目的というのは、人それぞれの数がありますし、ほとんどは一つのみではなく、複数の理由や目的があるかと感じます。
ただ、誰にも当てはまっている一つの共通点というのもあります。
それは、

 

人生を通して「自分を知る」

 

という理由と目的です。
ここでの人生というのは、他者との関係を通したり、様々な出来事や状況などを通したり、といったように、それこそ望めば無限の可能性があります。
ただ、経験したくはない!という出来事などがあるのも本心かと思われます。
私自身もそのように思う事は多々?あります(笑)

 

このように人生における人との縁や出来事などを通して、私達は「自分を知る」という作業を行っているとも表現出来ますが、ここで一つの落とし穴?のようなものも存在します。
それが、

 

当たり前「?!」・・・と思い込んでいる視点

 

です。
世の中や社会においては当たり前!と思う事も勿論あります。
例えば、人を傷付けてはいけない、人には出来るだけ親切にしようなど、言わば、一部の常識やマナ-やル-ルなども含まれます。
しかし、一部の常識やマナ-やル-ルの中には、地域性による「違い」や、時代による「変化」というものも多々含まれています。
また、その中の一部には、誰かがあなたをコントロ-ルしようとしている・・・と言う意図の類(たぐい)も含まれています。

また、これは悪い事では勿論ありませんが、それぞれの育ってきた環境や教育などからも多いに影響を受けているものです。
そして、これらの環境や教育などでは、小さい頃から「長い期間」に渡り、何度も「繰り返し」行われてきているが故に、

 

本当に当たり前?・・・と思う事すら気づかない程に、当たり前!になってしまっている

 

というものもあります(笑)
そして、

 

当たり前!・・・と「長い期間」に渡って「繰り返し」思い込んできたが故に気づかない

 

という、鶏が先か卵が先か?というのと感覚的には似ている点もあります(笑)
そして、

 

当たり前!・・・と思っている事の中の一部には、「自分を知る」ことの妨げとなっている

 

ものも存在しています。
そして、「自分を知る」ことの妨げとなっているものを発見する時に「キ-ワ-ド」として活用出来るのが、

 

「長い期間」と「繰り返し」

 

です。
では、二つの話題からそれを見ていきます。
最近では、相撲界の土俵における女人禁制がニュ-スとなっておりました。
土俵上で挨拶をしていた方がご病気で倒れた際に、看護師資格を持っているとされる女性の方が救助に向かった事に対して、行司の方が女性は土俵に立ち入らないようアナウンスをしたとの出来事です。

この行司の方は、女人禁制というのは、「神事」でもあり「伝統」でもあるという仕来りを「長い期間」に渡って「繰り返し」教えられてきた事と思います。
そして、それが故に、

 

どのような状況であろうとも女人禁制が当たり前!

 

であり、とっさの出来事とは言え、本当に当たり前?という点に疑問を差し挟む事すら気づかなかった事と思われます。
このニュ-スについては、おそらく、多くの方が、このような人名救助という観点から見てもおかしいのでは?あるいは、あまりにも杓子定規過ぎているのでは?と思われている事かもしれませんし、完璧に女性差別ではないか!との意見もある事と思います(笑)
そして、既にお分かりでしょうが、これには、

 

想像力を活用すれば・・・答えが出る

 

というものです。
そして、皆さんにとっては釈迦に説法かと思いますが、もし、土俵上で倒れたのが、

 

あなたの家族や知人であったならば・・・
あるいは、
あなた自身であったならば・・・

 

という視点です。
そして、女人禁制というのは別としても、全ての伝統がおかしいものであるとか、あるいは、否定や非難されるものではありませんが、もし仮に「神」が存在するとしたら、

 

「神」が・・・人の「命」よりも・・・土俵という「物」を重んじる・・・はずはない

 

という事は容易に理解出来るかと思われます。
また、相撲ではないものの、神事というものの中には、古来においては豊作祈願や悪天候を鎮める為などと称し、残念ながら「生け贄」という儀式が行われてきた歴史も多々あります。
これは、日本に限らず世界各国でも同様です。
そして、仮に「神」が存在するとしたら、

 

男女の別で差別をする・・・はずはないし・・・そもそも、いかなる差別もしない・・・

 

というのも同じ事です。
これには、「女神」が嫉妬するから・・・などの理由とも言われていますが、正直、これも想像力を活用すれば容易に答えが出る事と思われます。なぜなら、

 

嫉妬という「感情」は「人間」のものであって、「神」が嫉妬する・・・というのはあり得ない

 

からです。
そして、同様に世界各国の宗教などの一部でも「方便」を用いる事で、男女差別や、時には人種差別なども行われているケ-スは多々あります。
そして、あくまで私の個人的見解ですが、このような、男女という身体の機能性としての「区別」ではなく、単なる「差別」と思われる風習などの多くは、

 

「神」の名を「人の中の怖れをくすぐる」ために・・・「人間」が乱用や悪用している

 

と感じます。
このような本質は、宗教観の違いや、人種間の違いの争いでも同様ですし、「神」という名を「他の何か」に置き換えて、同じような出来事は私達の身近な身の周りでも見受けられる事でもあります。
そのような意味でも、「女神」という名を「方便」としていること自体が、「女性」を何かの別物?と扱っているとは思われませんでしょうか?
実際にも「男神」という言葉は、ほとんど耳にする機会はないかと思われます(笑)

なお、今回のテ-マとして、私はあらゆる宗教や神事や伝統などを非難や否定している訳では勿論ありませんし、是非を問うている訳でもありませんし、神の存否を検討している訳でも勿論ございませんので(笑)
あくまで、今回の「自分を知る」というテ-マに繋げていくための一つの素材として取り上げております。
そして、冷静に考えた時に、「神」が「人間」を支配しコントロ-ルしたい、あるいは、コントロ-ル出来るのであれば、

 

そもそも「人間」が存在する理由も目的も消滅する

 

という事になります。
そして、繰り返しですが、

 

「人間」をコントロ-ルしたいという欲求は・・・「神」が持つのではなく・・・「人間」が持つ「感情」

 

であるという点です。
少し話が逸れましたが、女人禁制という考え方一つ取ってみても、古来では様々な理由付けがなされてきた事と感じますが、少なくとも「今」という時代に当たっては、神事や伝統という理由だけで当たり前!というように、まかり通る性質のものではないと私自身は考えています。
そして、このTOPICSをお読みになって頂いている方の多くは女性の方であるかもしれませんが、私が男性という立場から考えても、

 

女性という立場に立って・・・想像力を活用すれば・・・様々な事柄で、本当にそれが当たり前?

 

という視点に気づく事が出来るかと思いますし、この視点は自戒も込めながら、特に「今」の男性の側に必要なものであるとも感じています(苦笑)

ちなみに、話が逸れたついでに、神社などでお参りする時の「二礼」とは、「人と神の間」ではエネルギ-の大きな隔たりがあるため祈りなどが届きにくいという観点から、(何と呼んでも構いませんが)守護霊?さんなどに仲介を依頼する為も含めて「二礼」になっていると言われています。
そして、このような趣旨での伝統や儀式においては、人間や男女などにおいても、差別的な要素もなく、全く差し障りのあるものではない部分もあるかもしれません(笑)

 

では次ですが、現アメリカ大統領は、就任前から、そして、就任後もツイッタ-で様々な発言をしているのはご存じかと思います。
その発言内容や言葉が非常に乱暴な面も問題となったりしておりますが、時にはSNSなどを通しての方が似つかわしい話題があるのは理解出来ます。
しかし、就任前から就任後も、「長い期間」に渡って「繰り返し」ツイッタ-で発言している事が、

 

「今」では当たり前!のようになっており・・・
ニュ-スでも当たり前!のように取り上げられ・・・
当たり前!になってしまっているが故に、観ている側もあまり「違和感」を感じなくなってしまっている・・・

 

のでは?という傾向は感じませんでしょうか・・・
これも冷静に考えると、アメリカという大国の大統領が、自国内の政策などであればいざ知らず、世界的に考えたり協議をしたりする必要性がある課題や問題についても、自国の利益の為!自分の考えのみが正しい!と公言していながら、しかも、その発言が記者会見や会議場などではなく、ツイッタ-での発言が当たり前!のようになってしまっているというのは、私にはとても「違和感」があり、今ではこのようなツイッタ-での発言が当たり前!になってしまって、慣れてきている?というのは???な感じを受けます。
勿論、これもツイッタ-という機能やサ-ビスが悪い訳ではありません(笑)

 

そして、このツイッタ-での発言には、本人に知らせる前に解雇を発表し、解雇される本人はツイッタ-での発言がニュ-スになった事で自分が解雇される事を知る・・・という状況も産み出されている模様です。
では、ここでも想像力を活用して考えてみて下さい。

 

もし、あなたが働いていて・・・
会社の社長が、社内での業務連絡のような一斉メ-ルで・・・
あなたが解雇されるという事実を知ったのならば・・・

 

あなたはどのように思い、どのように感じるでしょうか・・・。
これは、辞令の発令などとは、全く性質を異にするものです。
そして、

 

冷静に考えてみると、当たり前?と感じる事柄でも・・・
「長い間」「繰り返し」受け入れ続けて来ている事で・・・
いつの間にか、当たり前!に変化していき・・・
当たり前!であると思い込んでいるが故に・・・
気づくのがドンドン難しくなっていく・・・

 

という傾向に繋がりやすくなっていきます。
そして、このような傾向は、

 

私達の心や意識の中でも日常的(自動的)に行われている

 

ものです。
そして、

 

自分の中で当たり前!と思っていた事柄に・・・
本当に当たり前?・・・
という想像力を活用する事によって・・・

自分の中に芽生えた「違和感」・・・
この「違和感」が・・・
「今」のあなたを知る・・・

 

という事に繋がっていきます。
そして、これに自分でも気づかずにいるという事は、

 

あなたは「今」を生きているようであっても・・・
実は・・・
「過去」の自分のままで「今」を生きている・・・

 

という道を歩んでいる事にもなりかねません。
勿論、振り返ってみて、「過去」も「今」も変わらないという事柄もあるのが自然でもありますし、それで良いと思います。
そして、「今」は当たり前!と思っている事柄が、「将来」では「違和感」を感じてその時に変えていくのも自然な事ですし、それも良いと思います。
全てを何かの枠にはめたり、固定化する必要性はありません。
そして、このような当たり前?!に気づいていくには、まずは、

 

当たり前!と思っている事柄に改めて目を向けてみて・・・
その事柄に対して想像力を活用し・・・
その想像力で産み出された場面などで「違和感」を感じる部分・・・
その部分が「今」のあなたであり・・・
それが「今」の自分を知る・・・

 

という流れになっていきます。
そして、今回、当たり前?!というテ-マを取り上げた理由の一つとしては、カウンセリングなどを行っていても、

 

自分は本当は「違う」と感じている事象などが・・・
周りの人の中では当たり前!と解釈されているが故に・・・
なかなか自分が理解されずに・・・
生き辛さや息苦しさを感じていたり・・・
はたまた、「違う」と感じている自分の方がおかしいのでは?・・・

 

などのお悩みを抱えている方々も結構多いからです。
結論として言えば、周りと「違う」というのはおかしい事でも何でもありません!
「違い」があるのが自然で当然の事でもあります。
それは、今回のテ-マの当たり前?!という視点から改めて考えた時にも、ご理解頂ける事かと思います。
ただ、「違い」があって自然とは言え、やはり、世の中や社会においては「共存」という視点も必要ですので、何でもわがままし放題でも良い!という意味合いでは決してありませんので!!!(笑)

では、少し視点を変えてみると、このような傾向はいわゆる「迷信」と言われている中でも見受けられます。
皆さんも次のような言葉を聞いた事はありませんでしょうか?

 

3人で写真を撮ると、真ん中に写っている人は一番早く亡くなる(他界する)

 

と。
なので、真ん中では写りたくない!と思って、そのように行動してしまう、という事ですが(笑)
このような「迷信」などは、本来は生きる上での「智慧」として活用されているものですが、「長い間」「繰り返し」引き継がれている事で、結果のみに着目されるようになってしまう部分があるのも事実です。
今回の3人の写真撮影に関する迷信では、3人で写真撮影をする場合には、真ん中の人は一番目立つという事もあって、

 

(自分が一番早く他界するかもしれないので、この世の記念として)
今回はご厚意に甘えて、真ん中で写させて貰います

 

という「心映え」の「言葉」として活用されて来たというのが本来の意味です。
しかし、この迷信を当たり前!というように真に受けてしまうと、3人での写真撮影を実行するのは不可能になってしまう事でしょう(笑)
誰しもが一番先に他界したくない!と思うのは、それこそ、当たり前!であるからかもしれません(笑)
今回のような当たり前?!に気づきづらいという意味では、「ある事に熱中して抜け出る事が出来なくなる」という意味の「病膏肓(こうこう)に入(い)る」という故事も似ているかもしれません。

 

今回も偉そうに?TOPICSをお伝えして参りましたが、これは、私自身への自戒も込めています(笑)
私自身も当たり前?!と思っている事柄は多々ありますし、やはり、自分では気づきづらい面も確かに感じる事も多々あります。
そして、今回お伝えした「想像力」の活用も勿論ですが、やはり「他者」を鏡として自分を知る・・・というのが、一番楽で簡単な方法かな?とも感じております。
そして、今回は「神」や「人間」などの「言葉」を活用して参りましたが、

 

「人間」という「言葉」は・・・
なぜ「人」の「間」と書くのでしょうか・・・?
「人間」という存在は・・・「何か」と「何か」の「間」に存在しているのでしょうか・・・?

私にも答えは分かりませんが・・・(笑)

2018年4月14日 03:04

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