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「喚起と暗示」により、あなたの記憶と感情を呼び起こす

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

前回のTOPICSにおいては、「春」という時季は出逢いと別れの季節でもあり、それにより、多くの「意識」というエネルギ-が渦巻いている頃合いでもあります、とお伝え致しました。
そして、やはり、このように周囲に醸し出される多くのエネルギ-を活用しない手はありません(笑)
そこで今回は、「「喚起と暗示」により、あなたの記憶と感情を呼び起こす」というテ-マをお届け致します。

 

ところで、「喚起と暗示」という所から、今回はヒプノセラピ-(催眠療法)の手法を活用していきますが、ヒプノセラピ-は必ずしも直接「目の前」に対峙せずとも、このような「文章という言葉」でも可能ですし、また、「目」を瞑(つむ)ったりしなくとも可能なセラピ-です。
「「目」を瞑ってこのTOPICSをお読み下さい」とお伝えしても不可能な事でもあります(笑)

そして、今回は「今」このTOPICSをお読みになって頂いている皆さんの「記憶と感情」を呼び起こし、そして、「無意識の学び」という「体験」を得て頂ければ、との目標にしておりますが、お読みになって頂いている間にその事を「意識する」必要性は全くありません。
おそらく、皆さん自身もその事に「意識的に」気づく事は、ほぼない事と思われますし、それで大丈夫です(笑)
ちなみに今回の手法は、このTOPICSでも何度かお伝えしております、20世紀最大の催眠療法家と称されるミルトン・エリクソン氏の手法を取り入れております。
では、TOPICSを進めて行くに辺りまして、まず、私はカウンセリングなどにおいても、

 

自らの「体験や出来事」をさらけ出してお話する

 

という事もよく活用します。
しかし、これは「私の方が辛い「体験」をしたので、あなたは大丈夫ですよ!」といった、「励まし」という意味でお話している訳ではありません。
「体験や出来事」などは、他の人と比較出来るものではありませんし、これが昂じていくと、「不幸話の自慢大会」という「共依存」に陥ってしまいます(笑)
そして、このような趣旨でカウンセリングなどを行っていては、そもそも、クライアントの方の役には全く立たなくなってしまいます。
極論すれば、私の不幸?「体験」をお伝えした所で、クライアントの方にとっては、お金と時間の無駄になってしまいます(苦笑)
また、以前にも何度か取り上げた事がありますが、私はクライアントの方から、次のような「お言葉」を聞かせて貰う事もよくあります。

 

以前にカウンセリングやセラピ-を受けた時に、カウンセラ-やセラピストから怒られて怖くなってしまった・・・

 

と。
私の行っているヒプノセラピスト認定講座では、このような、

 

クライアントとセラピストが陥りやすい注意点

 

というのも教えております。
これには幾つかの「兆候と現象」がありますが、その中でも、一番多く起こりがちなのが、

 

「クライアント = 劣」&「セラピスト = 優」 という、「優劣関係」

 

です。
セラピストなどと言えども、「日常生活」においては悩みや気に掛かる事なども勿論あります(笑)
クライアントの方や皆さんとも変わらずにセラピストなども同じ「普通」の人間ですし、それが、当然で「自然」な事でもあります。
なので、カウンセリングの「場」などにおいても、

 

そもそも「優劣」などの関係は、本来は発生し得ない

 

ものです。
それなのに、怒られるなどの状況が生じてしまうというのは、

 

セラピストなどの側が、クライアントの方の内面に、自分と同じもの(嫌な面など)を発見し、過剰に反応している

 

という時に起こっていると推測されます。
カウンセリングやセラピ-の「場」などで、「叱咤激励」の「激励」がされる事はありますが、叱咤される事はありませんので、どうぞご安心下さい!
そして、「自由」に何でも「連想」して、お話頂いて大丈夫です(笑)

 

さあ、では、本題に入っていきますが、実は、ここ迄で、「喚起と暗示」のほぼ3分の1が既に行われています。
お気づきになりましたでしょうか?
勿論、気づいていなくとも全く大丈夫ですし、S.Light.Mの宣伝をしていた訳ではありません(笑)

では、ここからは、私自身の「春」にまつわる「体験」を、「記憶」を呼び起こしながら、ほんのちょっとした、その「当時の感情」などを交えてお伝えして参りますが、皆さんは、私が「日記」のような感じで振り返っているようなものと、気軽に「目」を通して頂くだけで大丈夫です。
そして、瀬川さんは弱いなぁ、お子ちゃまだなぁ、などの感想を持っても全くの自由です(笑)
そして、次第に皆さん自身の「記憶と感情」を呼び起こし、「無意識の学び」へと繋がっていく「体験」が可能となるかもしれませんので・・・
では、私の「体験」にまつわる、つぶやきを開始していきます・・・

 

最初は、私が「幼稚園」に入る時の事です。
4歳位の頃合いでしょうか・・・
その頃までの私は、親と長時間離れて過ごすという「体験」は、ほとんどありませんでした。
そして、入園当初、その幼稚園から家の前まで大きめのバスが迎えに来てくれます。
しかし、私は「行きたくない!」と泣いて騒ぎ始めました。
すると、幼稚園の先生?あるいは、バスの運転手さん?が、有無を言わせず私を担ぎ上げて、そのままバスに乗せてしまいました。
この「体験」を振り返っている「今」の私は、その「光景」を自分自身の「内側」からではなく、自分自身の「外側」から「見て」います・・・

 

次は、「小学校」入学当初です。
その頃は弘前という所に住んでおりましたが、近くの学区の小学校の「入学体験」?というのも、既に済ませておりました。
しかし、小さい頃の「おぼろげな記憶」なので確かではありませんが、小学校への入学を目前に控えた所で、父の仕事の転勤で五所川原という地に引っ越しする事になりました。
私には五所川原という土地にはほとんど「馴染み」もなく、小学校までの道のりすら、「未知」のものと思えていました。
まさに、何も分からずに「舞い降りた」土地のようであり、不安もあった事でしょう・・・

 

登校初日、家から少し出たのはいいものの、また?「行きたくない!」と路上で泣いて騒ぎ始めました。
すると、同じ入学生の人が歩いていたので、母はその子に私を「一緒」に連れて行ってくれるよう頼みました。
幼稚園とは違い、バスでの送り迎えもあるはずがありません。
一週間ほどでしょうか?・・・「同じような事」を繰り返しながらも、小学校に通えるようになりました。

 

ちなみに、これは「春」の季節ではありませんが、私は小学校1年生から4年生位まで、剣道を習っておりましたが、確か、小学校2~3年生位の時だったかと思います。
多くの剣道場の生徒が集まって、山の中の施設での3泊4日?ほどの合宿がありました。
おそらく、それほど多くの「見知らぬ人との集団生活」を送るというのは、その時が「初めて」だったかもしれません・・・
すると、私は夜になると、またもや?「家に帰りたい!」と泣いていました。
おそらく、それを見かねた?先生方が、夜に母を呼び出しましたが、勿論それで私が家に帰れるほど甘くはありませんでした。
夜になると泣きながら、あと「3日」、あと「2日」・・・やっと「1日(明日)」・・・と家に帰れる日を指折り「数えていた」のを覚えています・・・

 

そして、「中学生」になりました。
私の年代はいわゆる第二次ベビ-ブ-ムと呼ばれる世代です。
入学する中学校は、市内の多くの小学生が集まってくる所でした。
1学年が11~12クラスほどあり、1クラス40人ほどでしたので、1学年400人を上回り、全学年を合わせると、1500人前後が生徒だけで存在していた事になるでしょう。
「今」という時代では「想像」も出来ない?ような環境や状況であるかもしれません・・・
ところで、話の流れで「瀬川さんは、また泣いたの?」と思われている頃合いかもしれませんが、さすがに、「この頃」にはそのような事はありません(笑)

 

小学校はトレパン(今で言うジャ-ジ)で通っていましたが、中学生になると「学生服」になります。
また、「成長期」でも最たる時期でもありますので、それこそ、1~2歳の違いで「体格」も大きく違います。
その当時は、映画「ビ-バップ・ハイスク-ル」などの影響もあり、多くが変形学生服を着るのが流行でもあり、いわゆるヤンキ-世代まっただ中です。
私はそれほどの度胸もありませんでしたが、周りに倣って?プチ変形学生服を着ていました。

 

そして、「今」の私は、同世代のお近くのクライアントの方などと、この「当時」のお話をすると、「瀬川さんの通っていた中学校は荒れていて、とても怖いイメ-ジを「当時」は持っていました!」と言われる事がよくあります(笑)
「服装」を始め、「体格」、そして、いわゆる「思春期」とも言われる時期ですが、これほど多くの「人という集団」での生活は、産まれて初めて「体験」する事でもありました・・・

 

そして、「高校」への入学です。
小学校から中学校までは、ほとんどが同じ小学校の人が同じ中学校へ通う事もあり、「春」は出逢いの側面が強い季節でしたが、高校となると様々な進路などの「違い」により、今までの人間関係の中では別れが多くなる頃合いでもあります。
高校では、電車通学をしている人もいれば、親元を離れて下宿をしている人もおりました。
今までの自分が「体験」していた「人間関係における地域」が更に「広がる」時期でもあります。
「地域が広がる」という事は、「環境や文化などの違い」がある人達との関係性を取り入れていく事が必要にもなります。
そして、私は高校生の時もプチ変形学生服を着ておりましたが、そのような「自己表現」においては中学生とは比べものにならないほど、「先を見越した考え方や生き方」が現れてくる人達との出逢いの季節でもあります・・・

 

そして、ここから多くの場合では、就職あるいは大学進学という流れになるのでしょうが、私は2年ほど「足踏み」をしておりましたので、その「体験」を続けていきます(笑)

 

1年目の浪人時代です。
東京の予備校に入学手続きを済ませ、次は「生活」をする場所探しが始まりました。
そこで予備校が斡旋していた下宿屋を何ケ所か廻りました。
そして、ある下宿屋に決めようとなった所で、その下宿屋の方から「他の人と一緒に「お風呂」に入る事は出来ますか?」と訊ねられました。
私は「大丈夫です」と答えましたが理由を尋ねると、「最近の子は他の人に「裸」を見られるのが嫌だと感じる子が多いもので」と答えていました・・・

 

そして、その下宿屋に決まりましたが、時間制限はあるものの食事付き、部屋は6畳でトイレは共同、顔などを洗う流し場は数カ所あるもののお湯は出ません。洗濯はコインランドリ-。携帯電話は普及しておりませんでしたので公衆電話を使用。そして、お風呂は銭湯通いです。
母と関東の大学に入学が決まった友達に手伝って貰い、簡単な引っ越しのように部屋を整理し終え二人は帰っていきました。
すると、始めての一人暮らしのようなもの・・・これまで洗濯や掃除は自分ではした事もなく・・・(東京の大学に入学した友達は数人いるものの)他に見知る人もおらず・・・これから先の合格出来るという保証もない「不安」など・・・が突如と私を襲って、一種の「ホ-ムシック」のような感傷を受けました。

 

1時間ほどそのような心の状態でしたが、先に「生活」を始めていた人が部屋の扉を「ノック」してくれて、色々と話して自分も何となく落ち着いてきて、その人と一緒に「銭湯」に向かいました。
「今にして思えば」始めての事なども多く大変な事もありましたが、結構楽しく生活に「馴染んで」いきました。
そして、結果は受けた大学は全て不合格となりました。
予備校に通っているという事だけで「勉強した気になっていただけ」・・・と「今にして思えば」感じます。

 

そして、2浪目に突入しました。
1年目の下宿屋は廃止となった為、近くの別の下宿屋に「移り」ました。
部屋は4畳半と狭くはなったものの、人数も少なく、小綺麗な所でもありました。
全ての大学が不合格になった時は、呆然としたり、どうしようという気持ちもありましたが、2浪目の生活を始める際には、「後がない」と言うよりも「ただ、やるしかない」という、どこか「別の感覚の自分」がいたように思い返されるのと、本当に「熱い火」は「赤い炎」ではなく「青い炎」であるような感じです・・・

 

そして、「春」の季節ではありませんが、2浪目の時は12月31日にも模擬試験が入っておりました。
大晦日と言う事もあり、その日は下宿屋でも食事は出ず、銭湯も7時頃で閉まってしまいます。
模擬試験を終えて戻って来た頃は夕方5時過ぎでしたので、まずは銭湯に行き、帰りにコンビニ弁当を買って帰りました。
それから、「普段通り」に模擬試験の答え合わせと間違った所の復習などをして年末は過ぎました。

 

2浪目は予備校入学当初から1日も休まず勉強し続けていましたが、翌日の元旦だけは「休む」事に決めました。
そして、その元旦の日は、今まで味わった事のない「1日」となりました。
「時間がゆったりと長く」感じ、「休む」という本当の意味を味わった感じです。
これから先では「体験したくない日」であると同時に、「もう体験出来ない日」という「特別な休日」です・・・

 

そして、大学入学が決まり入学式に向かいました。
その大学は全国各地から集まってくる事もあり、とてつもなく多くの学生で溢れかえっています。
入学式が始まるのをキャンパスで待っていましたが、ここでも知り合いはいなく「一人」で過ごしていました。
入学式を終え、キャンパス内ではサ-クルなどの勧誘が活況を帯びています。
そこで、私は野球サ-クルに入りたいと思い、その「場」へ向かいました。
そこでは同じ入学生が多くおりましたが、同学年とは言え、ほとんどは私よりも「年は下」ですが、そのような点も「全く気にならず」すぐに「打ち解けて」、翌日にはそのサ-クルで同じ新入生を「勧誘される側」ではなく「勧誘する側」に廻っていました。

 

それから4年が経ち、大学院に進学する事となりました。
つい先日、多くの友達が就職という道に進み「卒業式」という「別れ」を「体験」した「同じ場所」で、私は「新たな入学式」に出席しました。
全く「変わらない景色」の中で・・・

 

それから2年が経ち、社会人としての仕事の「生活」が始まり、事務所を転職したり、経営者にもなったりと、それからの私も「変化」を「体験」していきますが、それは「春」という時季に限らず、その「変化」は自分が変わろうと思えば・・・「いつでも、どこでも・・・」という状況で「今」に至っております・・・

 

では、私のつぶやきはここで終了です。
ここまでの私のつぶやきの「体験や出来事」に対して、特に感想などをお持ち頂く事は全く必要ありません(笑)
何かの「記憶」を思い出された方もいらっしゃるかもしれませんし、何も思い出さなかった方もいらっしゃるかもしれません・・・
あるいは、何かの「感情」なども・・・
あるいは、何かの「体験」なども・・・
ここまでの内容は、「見た目」は私自身の「体験」をお伝えしておりますが、

 

「あなたの記憶と感情」を呼び起こす為に

 

行われていたものです。
「喚起と暗示」以外の、複数のヒプノの手法も取り入れられています。
そして、おそらく多くの方が読み終わっても、

 

特にこれと言って、何も感じない・・・

 

と思われているかもしれません(笑)
今回の手法においては、「意識的に」気づいている方もいらっしゃるかもしれませんが、ほとんどが、

 

「無意識による学び」を「体験」出来る

 

ように構成しております。
そして、ここでお伝えするのは反則?かもしれませんが、ここまで読み終えて頂いているという事は、

 

着実にあなたの中の「無意識」は「変化」している

 

という「体験」を終えているという事にもなります。
勿論、ネガティブな方面ではなく、ポジティブな方面への「変化」ですのでご安心下さい(笑)
そして、この「変化」が現れてくるのは、

 

すぐ、かもしれませんし・・・
数日後、かもしれませんし・・・
今夜見る「夢」の中、かもしれません・・・

そして、

このような「変化」に、どのように「気づく」かはあなた次第

 

です(笑)
ヒプノの細かい手法は脇に置いておきますが、今回のような「ある体験を伝える」という事は、誰しもが「日常的」に行っている事でもあります。
もしかしたら、職場の飲み会などでは繰り返し同じ「体験談や武勇伝?」を延々と続けられて、耳に「タコ」が出来る程聞かされ、ウンザリしている方もいらっしゃるかもしれません(笑)

「ヒプノ」や「催眠」という言葉からも、どこか「特別」な「別の世界」の事で、「訓練」した人しか行えない「難しい」作業と思っている方も多いかと思われますが、実は、

 

私達は「無意識で」同じ・似たような事を、「日常的」に行っている

 

というのが真実です。
これが、

 

コミュニケ-ション

 

と言われているものでもあります。
ちなみに、今回活用したヒプノの一部の手法のヒントですが、それは、(全てではなく)一部の「 」(カギ括弧)の中に潜ませておりますので、興味のある方は探してみて下さい(笑)

2018年4月7日 04:04

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