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改めて:自分のした事は自分に反ってくる

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、現在、国有地の格安での払い下げ、公文書の改竄(かいざん)、政治家等の関与は?との大きな出来事が起こっております。
世の中や社会の出来事からも「気づき」を得て頂ければ、との観点もこのTOPICSではお伝えしておりますのと、そのような意味からも、この一連の出来事を取り上げて考える事は避けては通れない?面もあることから、今回は「改めて:自分のした事は自分に反ってくる」とのテ-マをお届け致します。

また、因果関係があるのかどうかの真相は今の所は明らかにされておりませんが、今回の出来事においては、残念ながら自死された職員の方もいらっしゃるとの報道もされておりますし、ご本人様のご冥福をお祈り申し上げますと共に、ご遺族の方などが少しでも前に進み続ける事が出来ますよう、心より祈念致します。

 

それでは、気持ちを切り替えて、と言っては大変失礼な物言いになってしまいますが、私達はこの一連の出来事から学び得る点も多々ありますので進めて参ります!
そこで、まず、今回問題となっている出来事は、法律(案)などの「政策」ではありませんので、多様な意見を反映させるものでもありませんし、本来は対立を生み出すような性質のものでもなく、「真実はどこにあるのか?」というシンプルなものであるはずです。
メディアなどでも様々な報じ方や見方が示されておりますので、その辺りはご専門の方にお任せ致しまして、このTOPICSでは私独自の視点をお伝えして参ります(笑)

 

ちなみに、あくまで私の個人的見解を少しだけ述べさせて頂きますと、私が東京で行政書士の仕事を行っていた際には、中央省庁へも数多くの申請や相談などを実際に役所に赴いて行っておりましたが、その時の私自身の体験からすると、ある時点から一気に物事が有利?に進んで行くという傾向や、役人の方が独自の判断で文書の改竄を行う、などの行為が行われるというのは、私自身の肌感覚では、あり得ない・・・と強く感じています(苦笑)
では、今回のテ-マを進めて参りますが、まず、このTOPICSでも繰り返しお伝えしておりますように、

 

物事や出来事は大なり小なり反映されている部分がある

 

という前提があります。
つまり、

 

一見すると、無関係に思われる事でも、どこかの部分では繋がっている

 

とも表現出来ます。
つまり、今回問題になっているような出来事に関しては、

 

本質部分は私達の身の周りの日常生活においても起こり得る(あるいは、既に起こっている)可能性が充分にある

 

という意味合いです。
そして、今回の出来事に関しては、あまりにも大き過ぎて自分では考えようがない、難し過ぎて自分には分からない、あるいは、自分とは無縁の世界の事であり自分とは関係ない、などのように感じている方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、

 

自分と無関係の出来事などは・・・より客観的に観察する事が出来・・・真実や本質を掴みやすい

 

という逆の真理も存在しておりますので、考える良いチャンス!と捉えてみて下さい(笑)
また、つい先日に明らかになった、政治家から文部科学省への圧力?の結果、国・政治の教育への不当な介入(の危険性)についても、なぞってみて下さい・・・

 

では、まず、昨年末から今年の始めにかけて、私は3つのTOPICSをご提供させて頂きました。
まずは、そのTOPICSでお伝えした内容を抜粋して再度ご紹介致しますので、改めて、「今」起こっている出来事との関係性を考えてみて下さい。
なお、興味のある方は、詳細はそれぞれのTOPICSをお読み頂ければと思いますが、今回のテ-マを書き連ねるに当たりまして、当時のTOPICSの内容には、一切の手も加えておりませんし、ましてや、その後に改竄などもしておりませんので(笑)

では、1つ目は、2017年12月23日のTOPICS「2017年の「乱れ」の根本にあるのは・・・」からです。

 

〇『私自身は「今」に繋がる「乱れ」は、ここ3~4年程から特に強まっているように感じます』

〇『現在の「乱れ」の表層を覆っているもの、つまり、「乱れ」の根本ではないが、既に現象・事象として現れているもの、それは・・・「虚」(いつわり、うつろ、むなしさ・・・)』

〇『現在の「乱れ」の多くが、虚偽・虚言・・・他の人を偽り・・・他の人をコントロ-ルしたいという欲求へ・・・という、今迄であれば「側面」的な傾向であったものが、現在では「本質」的な面として現れてしまっている・・・』

〇『そのような「虚」が周囲に溢れ出してくるにつれ、次第に「虚」に慣れてしまい・・・「虚」である事に気づかず・・・「虚」から目を逸らしていく・・・』

〇『「虚」を操っている側も、本来は自分自身でも「虚」である事を自覚していたであろう事柄が、次第に自分自身の中でも「虚」が「真」に変質してしまっている・・・という状態が「今」に繋がっていると思われる』

 

そして、この1つ目のTOPICSにおいては、このような行き過ぎた傾向に対しての方策として、次のような言葉と共にお伝え致しました。

 

〇『恥を知りなさい』

〇『「虚」が「真」を覆い隠してしまっている』

〇『人としての愛念を失うというのは、欲望に全自我が支配されてしまっている・・・そして、その欲望を満たすためには、他の人はどのようになろうとも構わない・・・という状態です』

〇『どのような状況であろうとも、揺り戻しという現象が起こる』

そして、

〇『自分のした事は必ず自分に反ってくる』

 

と。
では、2つ目は年明け2018年1月6日のTOPICS「2018年のキ-ワ-ドは・・・「見下す」&「火」」からです。

 

〇『「見下す」の負の面として「見下(くだ)す」という面が現れてきます』

〇『「見下(くだ)す」という観点では、自分と考えや意見の違う相手は、取るに足らぬ者・・・という風潮が既に現れ始めてきています』

〇『この「見下(くだ)す」という本質には、自分の考えや意見が絶対的に正しいもの(正義)である・・・なので、相手は間違い(悪)である・・・という部分が大きく影響を及ぼしている』

〇『この「見下(くだ)す」という姿勢により、何かのバランスを失いつつあるというのは、(あらゆる意味・面において)今までのコミュニケ-ションが崩壊しつつある・・・という社会の現実を炙り出しています』

〇『「火」というキ-ワ-ドとして、「バチバチと火花が散るような人間関係」などのように「負」の面が思い起こされるかもしれません』

〇『「見下(くだ)す側」と「見下(くだ)される側」の間では「火(花)」が起こりやすくなります』

 

と、お伝え致しました。
それでは、3つ目は2018年1月13日のTOPICS「「人」としての愛念が失われつつある今こそ・・・」からです。

 

〇『何が清浄なものかが分からなくなってしまっているという、これも「人」としての愛念を失った証として現れてきます』

そして、このような「人」としての愛念の欠如により炙り出される事象を未然に防いでいく為の方法のコメントとして、

〇『(一見すると自分とは関係ないように思われる)世の中・社会の出来事の方が、今後は、より重要になってきます』

〇『昨年(2017年)から繰り返しお伝えしております「自分のした事は自分に反ってくる」というのは、今年(2018年)は特に必要になると感じています。そして、この「反ってくる」と同じ意味合いが今回活用した「炙り出し」という事象です』

 

と、お伝えして参りました。

そして、いつもながらですが、どのような見解や感想をお持ちになろうと、全くの自由です(笑)
では、今回の出来事の「真相はどこにあるのか?」という点に関しまして、私自身が考えている本質をお伝え致します。
それは、今回の一連の出来事の根本・奥底にあるのは、

 

「無関心」に端を発した「共依存」関係

 

であり、ここでの「無関心」とは、

 

自分を見失ってしまった・・・

 

と同じ意味合いを持ち、このような傾向が昂じてしまった結果、

 

(複数の人同士が)自分を見失った状態での「共依存」関係が成り立ってしまっている・・・

 

と捉えています。
つまり、今回の出来事においては、間違いなく多くの方々が(関与の度合いは違うにせよ)関わっています。
そして、その関わりという意味では、それぞれ各人の立場や状況の違いにより、誰に対し、どの位の、などの点における「無関心」と「共依存」の関係性や度合いは違っている事とも思われます。
しかし、このような出来事の真相の解明には、

 

個々(人)で区分けして判断していくよりは・・・

「重なっている点」における「影の濃淡の度合い」を読み取る・・・

 

方が近づきやすくなるように感じます。
つまり、関係している方々の多くは、

 

「グレ-(灰色)」という層に存在はしているが・・・

それぞれの立場や関与の度合いの違いにより・・・

それぞれの「影の濃淡」に違いが必ず生じている・・・

 

という捉え方です。
そして、

 

この「影の濃淡」を炙り出す事が出来るのは「光」

 

であるという事です。
しかし、残念ながら今の現状では、

 

この「光」が見い出せずにいると共に・・・

「光」の当て方の「角度」に工夫を凝らすという視点が少し欠けている・・・

 

ようにも感じます。
そして、度合いにもよりますが、関与している方々にはそれ相応の「責任」が伴うのも事実ですが、実はこの「光」という意味の中には、

 

「赦(ゆる)す」という側面をどのように活用していくのか?

 

という面が含まれています。
確かに「赦す」前には真相を解明し、「責任」の所在を確かなものとする事も大切ですし有効であるとも思います。
ただ、今回の出来事が行われた経緯や、仮にそれが誰にも見つからずに完遂された結果を見通した時に、

 

そもそも(多くの関係者の中において)メリットを感じている人は、かなり限られているのでは?

 

と多くの人が思っている点もある事と思います。
そこで、関係している方々の多くが、自分には何のメリットも感じていない・・・という人に対して、

 

「赦す」という「光」を当てる事で・・・真相(「真の影」)が炙り出される

 

という方向性もあるのでは?と感じたりもします。
勿論、その際には関与の度合いによっては処分なども行われる事は致し方ない面もありますが、

 

同じ事を繰り返さない為に・・・「赦す」という点も考慮に入れつつ・・・

 

という観点も必要になろうかとも思います。
そして、

 

この「光」を持っているのは・・・私やあなた(という国民)なのでは?

 

とも感じています(笑)
つまり、

 

「赦し」という「光」を当てる事で、「影の濃淡」の度合いの違いが次第に見えてきます・・・

そして、

「赦し」という「光」を当てられた事で、「影の淡い」部分が次第に消えつつ、自らが「光」を発し始めます・・・

すると、

「最も濃い影」が自然と炙り出されていく・・・

 

敢えて抽象的な表現を用いましたが、これは、あなたの周りに似たような出来事が起こった時や、あなた自身の内面にも活用出来るものです(笑)
そのような際は、「光 = 自分の正直な気持ち・本当に大切なこと」などに置き換えてみて下さい。
そして、あくまで私自身が感じる事ですが、この出来事の本質は、既に「忖度(そんたく)」の枠外を超えているものであるにも関わらず、それを「忖度」という枠内で考えようとしている所が「真相解明」をさらに遠ざけているようにも感じます・・・
では、ここからは少し視点を飛躍させてみます!
皆さんも次のような言葉を聞いた事はありませんでしょうか?

 

(秘密などは)墓場まで持っていく・・・

 

との言葉。
では、この先をご紹介致します。
もうお分かりかもしれませんが、

 

(秘密などは)墓場までは持っていけるが・・・その先は全てが明らかになる・・・

 

という視点です(笑)
つまり、

 

墓場まで = この世まで

その先 = あの世では

 

とも表現出来ます(笑)
ところで、このTOPICSでも時折出てきますが、「業(カルマ)」という言葉があります。
これは「バチが当たる」という意味ではありません。

 

「業(カルマ)」とは・・・自分のした事は自分に反ってくる

 

との表現を変えただけのものです。
そして、「業(カルマ)」の目的とは、

 

自分の中での調和・バランス・解消のため

 

と言われております。
ただ、どの側面にせよ、

 

本当に「業(カルマ)」の調和・バランス・解消を実践出来るのは・・・「この世」でしか出来ない事・・・

 

になります。
つまり、あの世に戻っていくら「気づき」を得たと(思った)としても、

 

その「気づき」を本当に自分のものにするためには・・・この世での「行い」でしか得られない・・・

 

という意味です。
例えば、何かのお料理をしようと考えて、実際にイメ-ジ通りに作ってはみたものの、何か思ってた通りの味ではなかった・・・あるいは、好きな歌を何度も聞いて、よし歌える!と思って実際にカラオケで歌ってみたら、思っていたよりも高音だった・・・テンポが速かった・・・それで思っていた通りに歌えなかった・・・などの経験は皆さんにもないでしょうか?
私はしょっちゅう?あります(笑)

今回のテ-マで取り上げた出来事においても、あるいは、似たような問題が頻発している現在進行中の出来事においても、

 

「今、この瞬間」も・・・「虚」という「業(カルマ)」を作り続けているのであれば・・・

最終的に苦しむのは「自分自身」であり・・・

その本当の意味は・・・「自分のした事は自分に反ってくる」・・・

 

という点に改めて意識を向けて頂きたいと思います。

 

歴史(という業・カルマ)は繰り返すものなのか・・・

あるいは、

わざわざ、繰り返される歴史(という業・カルマ)を作っているのか・・・

 

そして、現在、「炙り出され」つつある現象や事象は、

 

「揺り戻し(という調和・バランス・解消)」の終局面なのか・・・

あるいは、

「揺り戻し(という調和・バランス・解消)」の始まりの兆しなのか・・・

 

そして、私達にとって最も身近な「自分のした事」には、

 

「言葉」も当然含まれている・・・

 

という事になります。
皆さんはどのように感じますでしょうか?(笑)

2018年3月24日 01:03

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