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スピリチュアルなものに迷った時には

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

年末から年始にかけてのTOPICSのテ-マは、幾分、重い?あるいは、堅い?内容が続いておりましたが、私が行っているセミナ-や講座などにおきましても、雑談などでスピリチュアルな内容を色々お互いにお話したりする事もよくありますし、カウンセリングなどでも、少し道が開けた!との心の余裕が産まれた事により、最後の方では誰にも話せずに今まで気になっていたスピリチュアルなお話をされる方も結構いらっしゃいますのと、そもそものカウンセリングを受けに来られたテ-マとして、スピリチュアルなものを学んでみたいけど、何を手始めにして良いのか分からない、あるいは、様々な書籍などでスピリチュアルなものを自分なりに学んできたけど、迷いが生じたり、あるいは、飽和状態になってしまって・・・というご相談も結構あります(笑)
そこで、今回は「スピリチュアルなものに迷った時には」というテ-マをお届け致します。

 

そこでまず、日本においてスピリチュアルな観点が、改めていわゆるブ-ム?のようになってきたのは、ここ十数年程のものです。
これは他の世界各国でも同様ですが、やはり、現在の社会や世の中に対する疑問や、自身の人生に何かの行き詰まりのようなものを感じる、などの傾向が多数になりつつある時に現れる現象でもあります。

これから先はどのように進んで行くかは分かりませんが、今までの歴史を振り返ると、行き詰まりなどを感じスピリチュアルな観点を取り入れ・・・しかし、経済など生活が豊かになるにつれて・・・またスピリチュアルな観点から遠ざかっていく・・・そして、また行き詰まりを感じ・・・などのように繰り返されています。

 

このように、どちらかと言えば、人生に迷いが生じた時などにスピリチュアルな観点に目を向けるという傾向が現れやすくなるのと同時に、社会や世の中が混迷の最中(さなか)にある事もあって、様々な情報や知識などが玉石混淆の状態となり、中には誤ったものも含まれていたり、また、そのような混迷の中では、その人の中にある怖れなどを悪用して、霊感商法などが起こりやすくなる時代とも重なり、科学的に証明されていないスピリチュアルな事象や考え方は、全てが間違っていて害をなすものである・・・と押さえつけられるという繰り返しにもなっています。
昔に引き起こされた魔女裁判なども同様です。

そして、このような社会や世の中における繰り返しの中で、何かスピリチュアルなものに興味を持ったり、他の人に話したりすると、「自分がおかしく見られるのでは?」と感じ、心の内をドンドン自らで塞いでしまっている方々も結構多くいらっしゃいます。
そこでまず、基本的には、

 

スピリチュアルな観点を信じようと、信じまいと、どちらでも自由である

という点と、

信じる、信じない、などをお互いや誰かに強制は出来ない

 

という点が大切になります。
この「自由であり、強制とは無縁のもの」という点を押さえておかないと、次第に教義や儀式めいたものに捕らわれてしまう事になり、それが、訳の分からない(新興)宗教や霊感商法などに悪用されてしまう事にもなりかねません。
なお、ここでの(新興)宗教とは、あくまで、宗教の「仮面」を被りつつ、「真の動機」は別物!という場合ですので、宗教全般を否定や非難をしている趣旨ではありませんので、誤解の無きようにお願い致します。

ちなみに、このような混迷の時代の移り変わりにより、スピリチュアルな観点というのは息を吹き返したり、廃れていったりの繰り返しが多く見受けられますが、イギリスという国は、比較的、軸がぶれない?お国柄でもあります。
この国では、(幽)霊が出ると言われているホテルやアパ-トは相場よりも宿泊費や家賃が高額であったり、(幽)霊スポットの観光ツア-なども行われていたり、また、王室がヒ-リングなどを積極的に取り入れている事などから、自由度が高いものと思われます(笑)

では、スピリチュアルなものに迷った時ですが、このような時は、他のケ-スと同様に、

 

原点に立ち返る

 

という視点が活用出来ます。
では、スピリチュアルの原点とは何かと言うと、

 

私達は・・・どのような「存在」であるのか?

 

という「一点」に行き着きます。
そして、スピリチュアルな観点では、

 

私達は・・・「魂」という存在である

 

という所が「出発点」となります。
勿論、魂・精神・意識・心など、呼び方はどのようなものであれ全くの自由です(笑)
そして、スピリチュアルな書籍などでは、どうしても、(幽)霊が見える・声が聞こえる・・・などの、

 

部分的な現象

 

に偏りがちになっている、という風潮も見受けられますし、儀式的な事を行ったり、何かを身に付けたり、過剰なまでの御利益信仰に陥っていたり・・・と、

 

(自分の内の)「魂・心」に目を向けず、(自分の外側の)「物・形(式)」に捕らわれがちになっている

 

という傾向が多くなっているように見受けられます。
ちなみに、先ほどの飽和状態の多くの場合では、願望などを叶える時の儀式的な作法などが多くて分からなくなる、あるいは、作法などを行うのが面倒になってしまう、そして、そもそもこのような儀式的なものに意味があるのか?本当に効果はあるのか?あるとすれば、何故こんなにもたくさんの作法のようなものがあるのか?・・・そして、色々書籍で学びはしたけれど、どれも試した事はない・・・などのケ-スもとても多いものです。

 

私自身は、様々な書籍の著作者の方々を批判や非難も致しませんし、それぞれの体験やお考えから少しでも人々のお役に立ちたい、との思いからご自身を表現していらっしゃる事かと思いますので、作法を行うのも行わないのも全くの自由であると考えています。
ただ、飽和状態の時には、何かを試してみたけど・・・あまり変化がないなぁ・・・などのように、自分なりの取捨選択をしていくというのも、整理をすると言う意味合いでは効率的になるかと思います。

そして、スピリチュアルな観点において、どうしても多くの人の目が行きがちになるのが「霊感」という言葉や現象でもあるかと思います。
これは産まれつき特殊な能力があるとか、修行のようなものを通して霊感を発達させるなど、様々な捉え方も出来ますが、そもそも、私達が「魂」という存在であるとするならば、

 

霊感の無い人など存在しない

 

という事が当てはまります(笑)
そして、これは、

 

それぞれの個性

 

という点に行き着きます。
確かに、様々な(界)層からのメッセ-ジを受け取りやすいという個性の方もいらっしゃるでしょうし、他の人よりも味覚が鋭い、絶対音感がある、なども皆同じ個性です。
また、他の人の感情の機微を捉えやすいなどから導き出される、

 

優しさや思いやり

 

なども同様です。
そして、スピリチュアルな世界や現象などは、どこか遠くの異次元に存在するようなものではありません。
繰り返しですが、私達が「魂」という存在であるとするならば、食事をする、お仕事や家事をする、子育てやペットを飼う、グッスリ眠る・・・などの、

 

私達が行っている全ての(日常)活動が、スピリチュアルな活動であり現象でもある

 

という事です。
おそらく多くの方が拍子抜けや、あるいは、それではスピリチュアルなものを学んでも、今までと変わりがないのでは?と思われる事でしょう(笑)
スピリチュアルであるという本質の一つには、

 

様々な視点を獲得し、視野を拡大する

 

というのが存在します。
視点や視野と表現しましたが、これは言わば、

 

気づき

 

と同じ事です。
あなたが自分にとって心地良いと思われるスピリチュアルな観点を取り入れると、次第に、

 

今までであれば気づかなかった点(視点や視野)に気づいていく

 

という「出発点」に立つ事になります。
そして、気づいた事で・・・あなたの中の、

 

「思い」が変わっていきます・・・・
「思い」が変われば「言葉」が変わっていきます・・・
「言葉」が変われば「行動」が変わっていきます・・・

 

そして、一番大切なのは、

 

あなたが自分自身の変化に気づくかどうか・・・

 

です。
時には、周りから「あなた変わったね!」というポジティブな評価で気づく事もあるでしょうし、それも多いに活用出来ます(笑)
そして、このように気づく事で自分が変化していくという過程が、スピリチュアルで言われる、

 

「魂の成長」や「魂の進化」

 

になります。
そして、ここにスピリチュアルなものに迷う落とし穴?的なものが存在しています。
それは、

 

成長や進化は・・・一直線ではなく・・・「螺旋(らせん)状」に進んでいく

 

という点です。
これは、螺旋階段をイメ-ジして頂ければ理解りやすくなります。
とても段差も低くて長い螺旋階段を昇っていると、さほど負荷もなく歩み続ける事が出来ますが、一周した時には、

 

ほとんど景色が変わらない・・・という錯覚に陥る

 

という意味です。
螺旋階段なので、楽に着実に歩みを進めながらも、以前よりも「高い地点」に到達をしているのですが、一周した事により、元の地点との周囲の景色に大差がない為に、

 

「高さ」という「成長・進化」に気づきづらい

 

という錯覚です。
これは私自身も同様ですが、ある程度の「高さ」に到達した時点で、つまり、螺旋階段を何周も何十周も昇ったとの「自覚の元」で、自分の歩んできた「成長・進化」に気づくという事が多いです(笑)
これはこれで悪い事でも決してありません。

ただ、このような「高い地点」には、一足飛びに進んできた訳ではなく、着実に無理のかからない歩みをしてきたからこそ、息切れもせずに「成長・進化」を遂げる事が出来ている、という意味合いです。
勿論、時には駆け足で昇り、一足飛びに成長・進化した!というケ-スもあるでしょうし、一足で2~3段の階段を昇って来ている場合もあります(笑)

スピリチュアルな迷いの時は、まず、

 

成長・進化は「螺旋状」に進んでいる・・・
そして、「魂」の存在というのは、
日々の日常の全てがスピリチュアルな「活動」であり「学び」となっている・・・

 

という視点を再度思い出すという事が、実は逆説的に見えても、とても効果的になります。
例えば、私達は小さい頃に「ひらがな」を学びます。
しかし、「ひらがな」を学ぶという事は、それにより、

 

本を読めるようになる・・
「言葉」を介する事で、他者とのコミュニケ-ションが取れるようになる・・・

 

などの「目的」があっての事です。
「ひらがな」一文字一文字を学ぶ理由や大切さも勿論存在しますが、

 

「ひらがな」という文字の繋がりから「単語」を学び、「単語」の繋がりが「文章」としての表現を可能にする

 

とも言えます。
スピリチュアルな迷いが生じる時というのは、言わば、

 

「ひらがな」のみを「目的」として、「その先の活用(法)」が見えていない時

 

とも言えます。
繰り返しですが、私達が「魂」の存在であり、スピリチュアルな観点が「魂」を出発点としているとすれば、

 

そもそもスピリチュアルな分野という「枠組み」を設ける事そのものが無意味

 

と言う事にもなります。
なぜなら、

 

あなたの日々の「思い・言葉・行動」に伴う体験や感情などの全てがスピリチュアル

 

であるからです。
しかし、これも、もしかしたら味気ない?解決策のように感じるかもしれません(笑)
そこで、スピリチュアルな迷いから抜け出し、今まで学んだ書籍などから蓄積してきた情報や知識を活用しつつも、あなたなりの答えを導きやすくするのが、

 

あなたが心を惹かれる(好奇心を持てる)・・・様々な分野における・・・共通点を見つけ出す!

 

という方法です。
そして、この共通点を見つけ出す!というのが、言わば、

 

様々な事に気づいていく

 

という事です。
私も今までにスピリチュアルと呼ばれる様々な書籍などに目を通したりしてきましたが、ある書籍で言われている事が、別の書籍では違っていたり・・・と迷いが生じたり、ある意味、翻弄されている?と感じた事もありました。
そこで、私自身は自分が興味のある科学や心理学などの分野に赴き、時間を掛けながらも「共通点」に気づいていった、という経緯を辿っています。
その中には、ヒプノセラピ-(催眠療法)やレイキに限らず他のヒ-リングなども含まれています。
そして、

 

興味のある方向性に一歩を踏み出すと・・・
そこで新たな発見があり・・・
その発見が、また新たな方向性へと導いてくれる・・・

 

という「螺旋のような歩み」に確実に繋がっていきます。
そして、雑談になりますが、私自身は高校生の頃から、理数系の科目が格段とダメになりました!(笑)
しかし、今でも難しい事は分かりませんが、次第に科学などの分野にも興味を持ち、自分なりの共通点を見つけ出すにつれ、次第に面白くもなり、より理解しやすくもなってきています(笑)

 

そして、最近は量子力学における「素粒子」に興味を抱き、自分なりの妄想?で素粒子と魂や肉体との関係性などを模索したりしていますが、その模索の過程を少しだけご紹介致します!
素粒子の性質に「ペアである」という事が既に証明されています。
しかし、「ペアである」にも関わらず、「一方の素粒子」は見つかるのですが、「もう一方の素粒子」はどこで何をしているのか全く分からない!というのが現在の所です・・・

 

しかし、「観測」しようと試みると、その「もう一方の素粒子」はどこからともなく現れてくるのです(笑)
私は以前のTOPICSでも「この世」と「あの世」は重なってます、とお伝えしましたが、もしかしたら、「一方の素粒子」は「この世」で活動しており、「もう一方の素粒子」は「あの世」で活動しているので普段は見えづらいのでは?な~んて考えたりしていますが、「繋がり」を持とうとすると、「あの世」の「もう一方の素粒子」は、「この世」の「一方の素粒子」の元に瞬時に姿を現してくれるという事に思いを馳せたりすると、とても健気(けなげ)で愛らしさを感じてしまいます(笑)

そして、これがもし真実(に近い)とするならば、あなたの愛する「他界された方々」も、どこか遠くの世界ではなく、身近で見守ってくれているという事が少なからず感じ取れるのかもしれません・・・なぜなら「重なり合っている」から・・・かもしれません(笑)

 

雑談でしたが、スピリチュアルなものに迷った時には、あなたの興味のある事に、無駄になるかも?などの怖れを払い、一歩を踏み出して、そして、そこから気づく様々な事を楽しむ事で、より、理解が身近なものになっていく事と思います。
そして、「なりたいあなた自身になる!」という目標を手助けしてくれるものにもなっていきます。
そして、これは実はスピリチュアルな迷いに限られるものでもありませんが(笑)

 

また、今回はスピリチュアルなテ-マを設定しましたので、少しだけ余談を続けます。
それは、セミナ-などでも時折お話したりするのですが、皆さんもお通夜やお葬式などに参列された事はあるかと思われます。
すると、香典返しの中に、小さな塩の袋が付いてきます。
そして、ご自宅に入る前に塩を振りかける・・・と。

そこで、セミナ-などでお話を聞いていると、このように塩を自分に振りかける行為には、何か悪い?忌み嫌う?ものを祓う、はたまた、「故人」を祓う?と思っている方が多いです。
この塩を振りかけるというのは、本来は、

 

参列した(生きている側の)人々の悲しみなどの思いを、(必要以上に)自分に背負い込まないため

 

に行われるものです。
「故人」に対してでもなく、何か目に見えない悪い存在?などにではなく、あくまで「(生きている他の)人の思い(念)」を自分に取り込まない為の行為です。

また、仮に何か悪いもの?を祓うにせよ、化学的に精製された塩では、そのような効果は見込めません(笑)
塩を振るというのは、あくまでも、自分の気持ちの切り替えの為のものであり、気持ちが切り替える事が出来るのであれば、化学的に作られた塩でも勿論構いませんし、必ずしも塩を振りかけなければならない、というものでもありません。

敢えて今回は「故人」という言葉をここでは使いましたが、仮にあなたが「故人」となった際に、参列してくれた方々が「あなたを祓う!」という思いで塩を振りかける行為を見かけたら、あなたはどのように感じるでしょうか?
スピリチュアルな観点というのは、このように「(疑問を抱かずに)日常的に行われている行為の本当の意味を知る」という点でも活用出来ます(笑)

 

そして、余談の余談ですが、先日「ドクタ-・ストレンジ」という映画を借りて観ました。
凄腕の神経外科医が、車の事故により手の神経に損傷を負い、修復不可能と言われつつも、他に手を治す方法はないか?と探し求める過程で、ある集団に出逢う・・・というものです。
と言っても、私がこれを借りたのは、気楽に観れるエンタ-テイメント映画という気分で借りました(笑)
なので、映画の後半はハリ-ポッタ-のような魔術?を駆使したりといった、ご家族皆で楽しめるものですが、前半は結構スピリチュアルな観点や、多元世界などの科学の世界も描かれておりますので、今回のスピリチュアルの迷いというテ-マからも、気分転換がてらに観てみるのも面白いかもしれません(笑)

2018年2月10日 03:02

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