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後半:天使の声と悪魔の声、そして憑依への対処法は・・・

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回は前回に引き続き、「後半:天使の声と悪魔の声、そして憑依への対処法は・・・」というテ-マをお届け致します。
なお、今回は多重人格にはコメント致しませんので、「(多重人格との比較も)」はタイトルからは省略しております。
そこで、まず前半の簡単なおさらいです。
それは、

 

憑依は怖いものではない

そして、

憑依を受ける理由や原因となっているのは自分自身である

そして、

全ては自分自身の内面に「理由・原因 = 答え」がある

 

という趣旨をお伝え致しました。
そして、今回は憑依という一種ネガティブに感じる現象をポジティブな面に変換し、そして、そのポジティブな面を実際の日常生活において役立てていくことを目標としております。
では、進めて行きましょう!

 

ところで、皆さんにおいても何かフトした瞬間に「気づきが訪れた」「素敵なアイディアが浮かんだ」あるいは「理屈ではなく、そう思えると感じる」などといった体験をされた事はありませんでしょうか?
このような体験というのは憑依現象とはみなされておりませんし、憑依のような怖い現象と捉えられる事もほぼありません。
しかし、

 

このようなフトした瞬間にもたらされる何かも憑依と本質は同じ

 

という点が共通しています。
では、どこが違うのでしょうか?
それは、

 

(全てではありませんが)憑依は自身のネガティブな面が浮き彫りにされ
そして、
気づきなどは自身のポジティブな面が導き出された

 

という「対象における側面の上での違い」があります。
そして、量子力学などの科学的な分野においては、

 

憑依は低いレベルのエネルギ-に感応した結果
であり、
気づきなどは高いレベルのエネルギ-を感知した結果

 

とも表現されます。
そして、ここで覚えておいた方が良い一つの視点が導かれます。
それは、

 

「ネガティブ・ポジティブ」あるいは「低い・高い」というのは、「善し悪し」という価値判断・基準とは違うもの

 

という視点です。
おそらく、多くの方が、

 

ネガティブ・低い = 悪し   ポジティブ・高い = 善し

 

という風に区別、あるいは、区分けしたくなる事と思います。
勿論、そのような側面が成り立つのも否定はしませんし、実際の日常生活おいては当てはまる面も多々ある事も事実です。
しかし、あまりにも単純に「悪し」あるいは「善し」と区別したくなるという事は、

 

それ自体が既に「ネガティブ・低い」という方面に引き寄せられている

 

という観点から起こりがちな現象としても当てはまります。
そして、一般的には、

 

怖い憑依現象は未浄化な霊が引き起こし
そして、
素敵な気づきなどは、ハイア-セルフや守護霊、などからもたらされる

 

と捉えられているかと思います。
勿論、これも間違いという訳ではありません。
しかし、

 

未浄化な霊も、元々は私達と同じく生きていた人間
であり、
ハイア-セルフや守護霊は、自分自身の本質の現れ

 

と言われています。
つまり、未浄化な霊と捉えようとも、ハイア-セルフや守護霊と捉えようとも、

 

本質は同じ源であり、広義の意味では自分自身

 

と表現する事も出来ます。
そして、

 

私達は誰もがネガティブ・低い側面と、ポジティブ・高い側面の両方を同時に、かつ、常に変動させながら生きている

 

という実状があります。
つまり、

 

私達は誰もが、憑依を受ける要素を持ちつつ、気づきなどをもたらされる要素も兼ね備えている

 

という状態です。
そして、このような状態というのは、

 

至極自然な事でもあり、当たり前な状態

 

でもあります。
では、何が憑依である場合と、気づきがもたらされる場合との違いを生むのでしょうか?
ここで、天使の声と悪魔の声の登場になります。

皆さんもアニメや漫画などで、一度は天使の声と悪魔の声という表現を目にした事があるかと思います。
例えば、ある小学生のお子さんが学校から戻ってきました。
すると、机の上におやつが置いてあります。
とても大好物のお菓子です。
そして、ここで、

 

悪魔の声:「お腹も空いてるし、手なんか洗わなくていいから、早く食べちゃえよ!」
一方、
天使の声:「ちゃんと手を洗ってから食べなさい、と言われているでしょう!約束した事はちゃんと守らなきゃ!」

 

などの場面です。
葛藤という表現でも当てはまるでしょうし、このような葛藤というのは、子どもさんの世界より、大人の社会における方が多いかもしれません。
これも一見すると、

 

悪魔の声 = 悪し  天使の声 = 善し

 

と区分けしたくなってしまうかもしれません。
しかし、先ほど「あまりにも単純な区別はネガティブ・低い方面に引き寄せられている」とお伝えしました。
では、どういう事か見ていきましょう!

 

まず、悪魔の声の「手なんか洗わなくていい!」という点に着目します。
何かを食べる前に、あるいは、外出から戻ったら手を洗うという事は正論でもありますし、大切な事とも思います。
しかし、これが「過剰」になり過ぎると、

 

極度の潔癖症や強迫神経症のような症状に繋がる可能性もあり得る

 

という点が推測されます。
では、一方の天使の声の「約束した事はちゃんと守らなきゃ!」という点に着目します。
これもまさしく正論であり、約束を守らないという事は信頼を失う原因にもなりますし、相手の方に迷惑を掛けるケ-スもある事でしょう。
しかし、これも「過剰」になり過ぎると、

 

あまりにも融通が利かない、あるいは、場や人間関係における柔軟性や空気を読む事が出来づらくなっていく

 

という点に繋がる事も推測されます。
そして、一見すると、悪魔の声に従う事は悪く、天使の声に従うのが善し、言わば、

 

悪魔の声は全てが間違っていて、天使の声は全てが正しい

 

と捉えられがちになるという事です。
繰り返しですが、このような事が悪い、あるいは、間違っている訳ではありません。
しかし、どちらの声にせよ、あまりにも頑なになってしまう、つまり、

 

あまりにも「過剰」になり過ぎると、逆の結果を生み出してしまう怖れもあり得る

 

というケ-スも起こり得るという事です。
そして、このような時に起こっているのは、

 

バランスを保つ事が出来ていない

 

という事です。
なお、バランスを保つとは、常に「5:5」であるとは限りません。人それぞれ、あるいは、状況や環境によっては「9:1」あるいは「6:4」など、様々に変化します。
そして、ここにも憑依現象と気づきなどがもたらされるケ-スとの違いを見出す事が出来ます。
それは、

 

憑依現象は、ネガティブ・低い、あるいは、ポジティブ・高い、のどちらにせよ、あまりにも「過剰」になり過ぎる時に起こりやすくなる

そして、逆に、

気づきなどのケ-スでは、バランスが保たれている、言わば、心が中立・ニュ-トラルのように開かれている時にもたらされやすくなる

 

と言えます。
つまり、憑依にせよ気づきのもたらしにせよ、どちらが善くてどちらかが悪く、あるいは、どちらが正しくてどちらかが間違っている、という単純な価値判断・基準のものではないという事です。
なぜなら繰り返しになりますが、憑依にせよ、何かしらの守護のような望ましい現象にせよ、

 

どちらもその本質は同じ源であり
そして、
仕組みは全く一緒である

 

からです。
そして、

 

そのどちらを選択し決断するかは、あなた自身の内面次第

 

という事です。
そして、どちらを選択し決断するかという場面においては、

 

心が中立・ニュ-トラルになっている

 

と言えます。
なぜなら、心が中立・ニュ-トラルな状態であるからこそ、

 

選択肢を発見出来ている

 

からです。
これが、心が「過剰」になり過ぎていると、

 

悪魔の声か天使の声かの、どちらか「一方しか」見えていない・聞こえていない

 

という状態だからです。
そして、選択肢というのは複数存在します。今回は悪魔と天使と区分けしましたが、大悪魔と小悪魔、大天使と小天使と区分けする事も出来ますし、そもそも、中立・ニュ-トラルな状態では、例えば犬を飼おうと思っている人が、チワワがいいかな?シェパ-ドがいいかな?というように、善悪の問題ではないという捉え方を自然と出来ていく事が、「理由・原因 = 答え」に繋がりやすくなります。

もし、あなたが迷っている時、あるいは、何かを決断しなければならない時など、

 

天使の声や悪魔の声などを想定する事により、あなたの心を中立・ニュ-トラルな状態に近づけやすくなる

 

というように活用出来ます。
そして、これは憑依などを見極める際にも活用出来ます。
例えば、理由も分からず、原因も見つけられず、何か不意に、ある感情に凌駕されそうになった時、

 

これは自分の内面から出ているものなのか?
あるいは、
自分の内面ではない所から来ているものなのか?

 

と、理性で分析するという方法です。
理性で分析すると、先程来の悪魔の声と天使の声などに分類しやすくなっていきます。
そして、このような声の多くは、生きている人間からの影響であるケ-スも多々あります。
それは、例えばあなた自身が自分の考えや意見にそぐわないと感じている場合などで、他の人から、

 

それが当たり前でしょ! そうあるべきでしょ!  それが常識というものでしょ!

 

と強く意見をされ、それに「無批判」で従いがちになってしまうような場合にも当てはまります。
勿論、人の意見に聞く耳を持つ事も必要であり、大切な事です。
しかし、「無批判」で受け入れるという事は、何か望ましくない結果に終わった時には「誰かのせい」にしがちになってしまう傾向が大きくなってしまいます。
このような側面からも、憑依であろうと日常生活においてであろうと同じ事です。
つまり、全てはあなたの内面にあるものであり、それが「理由・原因 = 答え」という「問題」提起となっています。
そして、

 

「問題」というのは見つけられてしまうと(気づかれてしまうと)、次第に力を失っていく

 

という特質があります。
このように理性で分析することで、

 

憑依であろうとも、見つけられてしまった方は、離れて行かざるを得なくなる
つまり、
気づかれた瞬間に、あなた自身と、そして、憑依をしている方とのエネルギ-レベルが変わり、混じり合っているのが困難になる

 

という風に導かれていきます。
このように、憑依にせよ、何かの素敵なもたらしにせよ、怖い良いなどという単純なものではなく、

 

憑依は何かが「過剰」になり過ぎているという、あなた自身からのメッセ-ジでもあり
そして、
心を中立・ニュ-トラルに心掛ける事で憑依を防げると同時に、気づきなどがもたらされやすくなる

 

という点を頭の片隅にでも置いておいてみて下さい。
そして、一番大切な点は、

 

どちらも全てはあなたの心の内面次第

 

という点です。
そして、あなたが正しいと判断した事は、胸を張って堂々と行動すればよろしいですし、あなたがダメだと判断した事は、毅然と断るという行動を取る事が大切になってきます。
そして、時が経過し、あなたの内面においても変化を感じてきた時は、過去の判断を修正しても構いませんし、さらにその判断を成長させても良いですし、新たなあなた自身の内面に沿って行動をしていけば良いだけです。
何となく結論めいたコメントですが、今回の真の目的はここではありません。
初めての前半:後半の試みですので、もう少しだけ続けて参ります(笑)

 

ところで、皆さんは以前に話題にもなった「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画をご存じでしょうか?
この映画の元になっているのが、漫画本「三丁目の夕日 夕焼けの詩」というものです。
そして、この漫画本の第29集に「初雪」という物語が掲載されています。

では、もう一つ質問致します。
皆さんは「へべれけ」という言葉をご存じでしょうか?
若い方の中には知らない方も多いかもしれませんね(笑)
「へべれけ」というのは、記憶を無くすほどお酒を飲み過ぎて酔っ払った状態、の事を表現している言葉です。
では、漫画本の「三丁目の夕日」から「初雪」の簡単なスト-リ-をご紹介致します(なお、細かな点は多少修正しておりますのでご了承下さい)。

 

ある所に、一人の男の子と、お父さん、お母さんの三人家族がいました。
そのお父さんは普段は無口で厳格な性格ですが、お酒を飲んで帰って来る時は、お土産を買ってきてくれたり、何か欲しい物を買ってあげよう、などのように、とても陽気な性格になるのでした。
しかし、次の日の朝になると、またいつも通りの、無口で厳格な父親になっているのです。

 

そして、とある夜に同じようにお酒を飲んで帰ってきたお父さんを見て、その男の子は子ども心ならではの発想で、「お父ちゃんに変な魔物が取り憑いているのかな?」と考えました。
すると、「へべれけ」と名乗る悪魔が「よく見破ったね」と、姿を現しました。
しかし、「へべれけ」は、「同じ悪魔でも自分は良い悪魔だよ」と、その子に伝えます。

 

なぜなら、会社などで様々なストレスを抱えている大人に対して、お酒を飲む事で少しでも発散になれば良いと思い、また、お酒を飲み過ぎて記憶を無くしても、ちゃんと家まで無事に送り届ける事が「へべれけ」の仕事だからです。
そして、その後は父親が酔っ払って帰って来る時にはいつも、その男の子は「へべれけ」の姿を一緒に見ていました。

 

しかし、男の子は成長するにつれ「へべれけ」の姿を見かけなくなっていきました。
そして、その男の子が大学生になった時に大失恋をしてしまいます。
そこで、その男の子はやけ酒を飲んで憂さを晴らしていましたが、ふと「へべれけ」の事を思い出しました。
しかし、空想の産物だったのだろう、と思い、その後もやけ酒を飲み続けていました。

 

そして、記憶を無くしそうになった頃、その男の子の元に「へべれけ」が姿を現し、「フラれてやけ酒を飲むなんて成長したなぁ~、そろそろオイラの出番だな!」と、男の子を家まで送り届けました。
そして、家に帰る道中で、その「へべれけ」はある嘘をついて、その男の子に、「たまには父親と一緒にお酒を飲んでやりなよ」と、アドバイスをします。

 

男の子はその嘘を信じて、産まれて初めて父親と一緒にお酒を飲みに行きました。
その席で、「へべれけ」がついた嘘はバレてしまいますが、実は、「へべれけ」はその男の子と父親の絆という時間を作ってあげたく嘘を付いたのです。
そして、結果的にその晩は、その男の子も父親もとても楽しくお酒を飲んで帰途につきました。
その二人の背後には、笑顔の「へべれけ」が二人に寄り添っているのでした・・・

 

というスト-リ-です。
・・・「へべれけ」は悪魔ですが、どうでしょうか・・・
悪い存在なのでしょうか・・・
それとも、良い存在なのでしょうか・・・

 

では、ここから今回のテ-マの真の目的に入っていきます!
まず、ほとんどの場合、憑依する霊の側には、

 

イタズラや危害を加えようという思いはない

 

という点です。
では、なぜ憑依が起こるのかと言うと、大きく分けて二つのケ-スがあります。
まず一つは、憑依をする霊の側が、

 

この人ならば自分の気持ちを理解ってくれるのではないか・・・

というケ-スと、

この人ならば自分を救ってくれるのではないか・・・

 

というケ-スに大別出来ます。
まず、最初のケ-スでは、人間の側が不安や悲しみ、寂しさなどの感情が、あまりにもネガティブかつ過剰になり過ぎている時に、同じような感情を感じている霊の側が、この人ならば共感してくれるのではないか?と「共依存」の関係に進んでいく場合です。
そして、二つ目のケ-スでは、その人間の側が持っているポジティブな部分の光に霊の側が自然と引き寄せられて起こる場合です。

そして、まず二つ目のケ-スでは、ここで憑依が起こっても、人間の側の方が成長をしているため、

 

自然と憑依をしている霊に物事を教え、諭している事になり
そして、その結果、
その霊が本来の場所に戻れるよう、言わば自然と「浄霊」という結果になっている

 

というケ-スです。
そして、一つ目のケ-スではネガティブな部分に霊側も人間側も同調し感応し過ぎているため、「共依存」という負の現象が現れてしまうという場合です。
しかし、この一つ目のケ-スにおいても、人間の側で、

 

これではダメだ! 私は前を向いてしっかり生きていくぞ!

 

などのように、心の内面が変わる事により、自然と憑依している霊を教え諭す事が成し遂げられていきます。
そして、この場合でも「共依存」から自然と「浄霊」という方向に向かっていきます。
つまり、どちらのケ-スにしても、

 

あなたの心の内面の変化次第で、自然と結果的に「浄霊」という事が行われている

 

という事になります。
そして、一つ目のケ-スでは、教え諭していても、生きている人間と同じように、中には聞く耳を持たない霊の場合は自然と離れていき、同じような人間を見つけては、また憑依を繰り返すという事をしてしまいます。
これも生きている人間と同じく、その霊自身の気づきの問題ですので、その霊の個性に任せるというようにする他はありません。
しかし、生きている人間の側の多くが心の内面を変化させていく事で、いずれは憑依出来そうな人間も少なくなり、その霊も何かを諭る事により本来の場所へと戻っていく事と思います。

どちらのケ-スにおいても、憑依が行われる理由の一つには、

 

理解や気づきをもたらす事により「浄霊」という現象が自然と行われる
という事と、
「浄霊」が行われるという人助け?魂助け?という役に立っている

 

という事です。
そして、何にせよ、このような「浄霊」が可能となるのも、

 

あなたの心の内面次第

 

という事です。
逆に言えば、いくら「除霊」と称して取り除いても、心の内面が変わらない限り同じ事が繰り返される可能性が高くなります。
そして、憑依がなされる理由の一つというのが、

 

除霊のためではなく浄霊のため

という事が分かると、実は、

あなたの内面を見つめ、そして、変える点は変えましょう

 

というあなたへのメッセ-ジにも同時になっているという事です。
それに加え、人助け?魂助け?も同時に行われているという点です。
そのように見てくると、

 

憑依とは怖いものでもなく、また、憑依とは悪いものでもなく、全ては自分の内面次第で変えられる

 

という点がご理解頂けるかと思います。
そして、「浄霊」や「除霊」という何かオドロオドロしい言葉を用いましたが、実は、このような事は頻繁に日常的に行われています。
カウンセリングや各種セラピ-・ヒ-リングにおいても心の内面への働きかけが行われている事で、実感があろうと実感がなかろうと、自然とこのような「浄霊」は行われている、とよく言われています。

 

そして、あなた自身の事では、本や映画、あるいは、歌など何でも構いませんが、そのような何かから気づきを得て行動が変わっていく時にも同じような事が行われていますし、散歩や運動などをして、心と肉体をしっかりと結びつけるような時にも同じです。
また、誰かのお話を聞いてあげて、その相手の方が次第に落ち着きを取り戻していく時、あるいは、一緒に食事をしたり買い物に行ったりなどして前向きになる寄り添いをしている時など、自然と無数の様々な役に立つ事が行われています!

 

今回は前半:後半という初の試みと、「憑依」という踏み込んだテ-マを選びましたが、これは現実逃避のためでもなく、オカルト的な要素を扱っている訳でもありません。
日常生活における「今、ここ」に活用し役立てていくためのものです!
そして、私自身は何かが見えたり、聞こえたりしている訳でもありません(笑)
ただ、・・・自分の内面に浮かんでくる様々な思いや考えなどを、「理性」も活用しながら、そして「言葉」という道具を活用しながら、日常生活に活かしていく事を趣旨としてお届けしております!

 

ちなみに、皆さんの中でもお酒を飲んでいる席において、頻繁に、そして、過剰に泣いたり笑ったり、といった方を見かけた事はありませんでしょうか?
もしそのような場合には、相手の方が了承してくれるのであれば、肩甲骨の真ん中の少し上の辺りを、手でさすってあげたりすると落ち着いてくるケ-スが多々あります。
よく、背筋に悪寒が走る・・・という言葉を聞いた事はありませんか・・・?
そのような際には、宜しければ試してみて下さい(笑)

2017年7月9日 02:07

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