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過去の自分との訣別

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

4月も後半に入り、間もなくGWの時期にも差し掛かろうとしているこの頃ですが、この春から新入社員や新入生になった方や、異動により新しい仕事を覚える必要性が出た方、あるいは、何か新しい事を始めようと試み実行されている方など多数いらっしゃるかと思います。
このような新人の方や初めて何かを覚える際に、スタ-ト仕立ての頃は「ル-キ-」と呼ばれることがあるかと思います。
勿論、「ル-キ-」であることに年齢制限もありませんし、男女の別もありません。

ところで、10年程前に「ROOKIES(ル-キ-ズ)」というドラマが放映されていました。
あるいは、このドラマの主題歌でもある〈GReeeeN〉の「キセキ」という歌を知っている方も多いかもしれません。
そこで今回は「過去の自分との訣別」というテ-マで進めて参ります。

 

このドラマの設定は高校野球生活を取り上げていますが、ある試合での暴力事件により出場停止になり、その後、喧嘩三昧などで荒れ果てていた野球部員が、ある「先生」の登場をきっかけとして、その後いかに変化を遂げていくかを描いた物語になっています。
私が小さい頃から観ていた金八先生とはまた違った、泥臭く、汗臭く、今の時代では取り残されて?しまったような熱い思いが軸となっているドラマです。

 

そして、野球部員が辿る変化において、「過去との訣別」というテ-マも描かれています。
徐々に徐々に過去の自分を手放しつつある過程において、かつての自分達と同様に荒れ果てたチ-ムとの対戦を行い、このドラマ内では「過去の自分達の亡霊」との対決という風に表現されていますが、そのような「自分の鏡」とも言える存在と、どのように対峙していくかという視点も盛り込まれています。

 

そして、このドラマ内における一つのキ-(鍵)となるのは「先生」という存在です。
世間一般においては「先生」と言うと、学校の先生、医師などを思い浮かべる方も多いかと思います。
「先生」と呼ばれる方々は、良くも悪くも社会的に影響力を持っている存在です。
そして、このドラマ内において「先生」という存在は、

 

勇気やパワ-を与える人

 

と描かれています。
そして、そのような勇気やパワ-は、

 

本来誰にでも備わっている内在する力

 

を「先生」がいかに引き出して、変化を遂げさせていくかという点が大切なポイントになっています。
そして、このような内在する力を発揮することを遠ざけている要因の一つとして、

 

過去の自分

 

という側面が大いにあり得ることになります。
そして、「過去の自分との訣別」を果たす大きな力となってくれるのが、

 

「未来」のなりたい自分(夢)を思い描くこと
となり、そして、
それを実行出来るのは「今」の自分

 

ということに繋がっています。
そして、この「未来のなりたい自分(夢)」というのは、言わば、

 

希望 = 諦めない心

 

とも表現されます。
先ほど「先生」という存在は「勇気やパワ-を与える人」とコメントしましたが、この、

 

勇気やパワ-というのは、言わば、 希望 = 諦めない心

 

と同じ意味です。
そして、ここから先は私の全くの個人的見解になりますので、様々な意見や見解があろうかと思われますが、「過去の自分との訣別」というテ-マを視点を変えながら、ひとまず続けて参ります。

現在に限りませんが、学校においてはやはりイジメというのが大きな問題であると感じます。
そして、職員室内での大人(先生)同士のイジメも存在すると時折耳にしたりします。
「先生」という存在が生徒に「勇気やパワ-を与える人」とすれば、

 

人生を安心して生きて大丈夫だよ!

 

と導いていくのも大きな役目となっているかと思われます。
その安心の中には社会において活用出来る知識なども含まれているかとは思います。
しかし、仮に職員室内における大人(先生)同士のイジメのようなものが存在しているとするならば、生徒に対して、

 

人生を安心して生きて大丈夫だよ!

 

と言えるでしょうか?
子どもの社会は大人の社会の反映であることがよくあります。
そして、このような問題が存在するとするならば、そのような職員室内でのイジメを二度と起こさないよう、

 

大人(先生)側における過去の自分との訣別

 

が真っ先に必要になることと感じます。
そして、大人社会におけるイジメというのは、一見すると正論をぶつけているように見えてしまうこともありますが、その根本は、

 

嫉妬 = 妬(ねた)み・嫉(そね)み

 

であることが大半と思われます。
妬みや嫉みなどの嫉妬という感情は誰でも持ち合わせています。
私自身も多少感じることも勿論あります。
しかし、それが故に、

 

イジメと同一とは気づきづらい

 

という点があります。
生徒間のイジメに対しては、当然の如く生徒同士の関係などを「先生」や周囲の大人がちゃんと見ていくことも必要ですが、大人社会におけるイジメに目を背けたままでは、先程来のドラマ内で表現されているように、

 

過去の自分達の亡霊

 

との対峙から目を背けることと同様に、生徒に対して、そして、何より自分に対しての「勇気やパワ-を与える人」となり得るのに困難を生じてしまうかもしれません。
そして、これを解決していく一つの方法が先程からの、

 

過去の自分との訣別

 

ということになります。
なお、「過去との訣別」というのは、様々な過去から学んだことを無くしてしまうことではありません。
学んだことは活かしながら、

 

ある過去の出来事などに対して未だに引きずっている感情を手放す、あるいは、新しく捉え直す・意味づけする

 

という意味合いでもあります。
ここまでは、「先生」というキ-(鍵)から学校という職員室内での出来事を例として挙げましたが、このことは他の職場や井戸端会議的なものでも同様であり、残念ながら大人社会全般に当てはまっていることでもあります。

 

それでは、別の視点から医師という「先生」を見ていきます。
私がカウンセリングなどを行っているケ-スにおいても、心療内科などに通院されている方、過去に通院されていた方、あるいは、行ってはみたが合わずに別の方法を探してきた方、また、今飲んでいる薬の量を何とか減らすために他に出来ることを試みて来られる方など様々いらっしゃいます。
実は、私の父も医師であるのと、私自身も行政書士をしていた時は医療法人などの仕事も多少行っていましたので、自分なりには医師を取り巻く環境なども理解しているつもりです。

 

ところで、ここ数十年の状況を考えてみると、明らかな誤診や医療ミスなどは論外として、医師に任せていたのに治らなかったなどの理由で訴訟になるケ-スがあります。
あるいは、治ると言ったのに治らなかったなど。
そして、このような風潮により、ますます医師の側が訴訟を怖れ、特に若い医師の間では訴えられるのではないか?と戦々恐々と萎縮してしまったり、あるいは、患者さんと目を合わせずパソコンのデ-タのみを見て話をするケ-スなどもあると見聞きします。

 

このような昔とは違ってきた状況などから、確かに安易に患者さんに言葉掛けを出来ないケ-スや事情というのも理解出来ます。
ただ、またまた先程来からの、

 

「先生」とは勇気やパワ-を与える人

 

という視点からは、目の前の患者さんに希望を与えることが出来るのも医師の役目と言えるのかもしれません。
そして、医師の口から患者さんに対して、

 

大丈夫だよ!

 

という言葉掛けが自然と行える風潮になっていければ、「希望や諦めない心」を産み出してあげることが出来、かつ、その後の経過なども良好になっていくケ-スも増えてくるのではないかと個人的には感じます。
そして、世の中には実際に奇跡的治癒という表現がなされるケ-スもあります。
医学の進歩発展がこのようなケ-スに寄与している面も多々あるとは思いますが、私自身が特に感じる部分は、

 

大丈夫だよ!という言葉掛けが 希望 = 諦めない心 を産み出し
そして、
その 希望 = 諦めない心 が本来誰にでも備わっている内在する力を引き出す

 

のではと思っています、
全くの医学的、あるいは、科学的根拠はありませんが、私自身が見知る範囲内においては、

 

自分の内在する力を引き出す・引き出してもらう

 

というのは、多くの場合において善後策にもなっているケ-スが多いと感じます。
勿論このようなケ-スでも薬や外科的処置なども有効に働いていることと思います。
血が出ていたら止める必要もありますし、強い痛みなどでは緩和することや、あるいは今目の前の症状を和らげることにより内在する力を引き出すキッカケにもなることと思います。
また、このような、

 

大丈夫だよ! という言葉掛けは暗示でも構わない

 

という点も大切になってきます。
暗示とは幻想でも気休めでもありません。

 

暗示には実体が伴っている

 

という点も大きなポイントです。
なぜなら、暗示というのは私達の潜在意識に直接届きます。
そして、無意識でありながらも、潜在意識は私達の呼吸や脈拍などの身体上の生理機能もコントロ-ルしてくれています。
つまり、潜在意識において大丈夫だよ!という暗示が定着するにつれ、身体もその暗示に従っていく傾向が出てくるということになります。

そして、このようなケ-スは身体上のことのみならず、心のことにも当てはまります。
そして、特に心のことに関して言うと、

 

何かの思いを作り出したのは自分であり、その自分とは「過去の自分」である

 

ということです。
作り出した原因が「過去の自分」にあるとするならば、それを改善するには、繰り返しですが、

 

過去の自分との訣別

 

が有効になってきます。
そして、「過去の自分との訣別」を果たすには、これも繰り返しですが「未来のなりたい自分(夢)」を思い描くことであり、それは、 希望 = 諦めない心 と同一ということです。
そして、「今」実行出来ることは大きなことである必要性もありません。

 

何か小さなことを変える

 

だけで変化していきます。
それは、日常生活の些細なことかもしれませんが、それでも変化を遂げていくことは可能です。
そして、それを「実行」して行く時に、勇気やパワ-を与えてくれる、ひいては、その人が本来持っている内在する力を引き出してくれる「先生」という存在がいれば大いに助けにもなってくれることと思います。
そして、「先生」という存在は、

 

「人」とは限りません

 

好きな歌でも映画でも小説でも、何でも構いません。
風景や絵画であることもあるでしょうし、お笑い番組でも旅行に行くということでも、あるいは、ゆっくり休むというだけでも「先生」になってくれることと思います。
そして、

 

実はあなた自身も誰かの「先生」である

 

ということを意識することです。
気づいていないかもしれませんが、必ず誰もが誰かに対して影響を与えています。
そして、どうせ影響を与えているのなら、

 

過去の自分と訣別した新しい自分

 

として今後は影響を与えていくことで、その先には人間関係などにおいても、そして、自分自身にとっても望ましい未来が紡ぎ出されていくことと思います。

 

そして、「奇跡」と「軌跡(ある人や物事が辿ってきた跡、つまり「過去」)」はどちらも「キセキ」と呼びます・・・
果たしてこれは偶然でしょうか・・・あるいは、何か意味があるのでしょうか・・・

2017年4月21日 04:04

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