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誰かに見られている?・・・という感覚の正負の側面

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

私の住んでいる青森県五所川原市では、今シ-ズンの積雪は少ないながらも、気温は例年通りの低い日が続き、雪も溶けては凍結へと繰り返し、朝晩の車の運転などは特に注意を要する日が多いなぁと感じている冬になっているように思います。
私は車の運転は下手ではないと勝手に思ってはいますが、上手という訳でもないことを自覚しているつもりです。
ショッピングセンタ-などへ買い物に行く時なども、駐車場が混雑している際などは、遠くても空(す)いている場所を選んで駐めたりしています。
また、ちょうど先日、車の運転中にスマフォのゲ-ムをしていたことにより、交通事故によって小学生の男の子を死亡させてしまった判決において、運転における過失が極めて悪質とのことで実刑判決が出されたとのニュ-スが流れていました。
そこで今回は「誰かに見られている?・・・という感覚の正負の側面」というテ-マで進めていきたいと思います。

 

私も車の運転中やウォ-キングなどをしていると、車の運転をしながら携帯電話をしている人をよく見かけます。
勿論、このような行為は違法でもあり、とても危険な行動でもあります。
どのような状況であろうとも、このような行動は取ってはならないものですが、その中でも特に私が気になっている、あるケ-スがあります。
それが今回のテ-マとも繋がっているのですが、それは、

 

社用車の運転中に携帯電話をしている人がとても多い

 

というケ-スです。
繰り返しですが、社用車であろうと私用車であろうと運転中の携帯電話の使用は厳禁です。
そして、私が社用車と気づくというのは、当然のことながら、

 

その車の側面などに会社名や電話番号などがメ-キングされている

 

からです。
そのような車は、言わば動く広告塔や宣伝カ-の役目も担っていることでしょう。
そして、そのような人の目につくような役目をも担っている社用車を運転しているにも関わらず、

 

運転中に携帯電話をしている意識の低さ

 

というのが、とても重要なことと感じています。
つまり、

 

誰かに見られているかも?

 

という意識の欠如と言えるかもしれません。
勿論これは誰かに見られていなければ構わないという趣旨ではありません。
例えば、男性であればどうしても我慢が出来なくなって立ち小便をしたという経験は多くの方?があるかと思います。
そして、そこにはそのような姿を見られては恥ずかしいという思いと共に、本来は立ち小便は禁止されているという意識も存在しているかと思います。
しかし、今回のケ-スのような、社用車を運転中に携帯電話を使用している人を誰かが見かけた場合に、その誰かが、

 

その会社に電話や連絡をする

 

というケ-スも少なからずあり得ることかと思います。
そして、これはクレ-ムでもなく、また、連絡をした人がクレ-マ-という訳でもありません。
危険であり、なおかつ、禁止されている行為を見かけたというケ-スにおいては、非はその運転者にあります。
そして、そのような連絡を受けた会社にとっては、そのような運転をしていた社員は、

 

会社の評判を落とす

 

という行為をしたと捉えることも多いかと思われます。
事故もなく厳重注意で済めば良いのかもしれませんが、社用車による事故の一義的責任の多くは会社が責任を負う(使用者責任や運行共用者責任など)というのが法律上の一般的な解釈でもあります。
そのような際は、基本的にはよほどの不注意がない限り、会社は社員に直接賠償請求出来るケ-スは法的にも少ないとされていますが、時にはよほど悪質と判断される場合には懲戒処分に該当してしまうケ-スもあるかもしれません。
そして、やはり一番注意を要するのが、そのような会社の評判や責任を負って社用車を運転しているにも関わらず、そのような違反の行動を取っているということは、

 

ケ-スが乗じて一人(プライベ-ト)の時には何をしているか分からなくなる

 

ということがあるということです。
万引きなども当初は出来心などで行ってしまうケ-スも多いですが、窃盗という犯罪であることに変わりはなく、やはり、ここでも、

 

誰にも見られていなければ構わない

 

という心情になってしまっていることと思われます。
そして、真実の一面としては、

 

私達の誰もが完璧な品行方正ではない

 

ということも当てはまります。
男性女性に限らず、また、大なり小なり様々なケ-スにおいて、

 

誰にも見られていなければ大丈夫だろう!?

 

との思いからしてしまった行動や経験は誰にでもあることかと思います。
赤信号を渡ることや、タバコのポイ捨てなども同じようなものかもしれません。
勿論どちらも本来はしてはならないことですが、仮にプライベ-トな空間ではしてしまいがちな行動であるとしても、例えば警察官や消防士、あるいは、誰が見ても一目である会社と分かるような、いわゆる制服を着ている際に大っぴらに赤信号を渡ったり、ポイ捨てをする人は少ないかとも思われます。

 

そして、今回のケ-スのような車の運転中というのは、自分の意識をある一点に絞っている関係から、車の外からの周囲の目ということに気づきづらいという側面もあります。
S.Light.Mにおいては「自立・自律」というテ-マの基に行っておりますが、「自立・自律」というのも自分ではなかなか気づきづらい側面があります。
なぜなら、

 

良い悪いを含めそれが当然の自分であるという思い込み

 

があるからです。
これもある意味当たり前のことであり、悪いということでもありませんが、

 

もし今行おうとしている行動を誰かが見ていたならば・・・?・・・私はどのような行動をするだろう・・・?

 

という視点を持つことが「自立・自律」の一助ともなってくれます。
そして、このような視点を持つということが、「正の側面」になってくれます。

 

では、「負の側面」とはどういったものでしょうか?
なお、最初にお断り致しますが、ここでの「負」というのは「悪」ということではありません。
これは「望まない」という意味合いです。

 

私が行っているカウンセリングにおいても、何かの出来事がキッカケになって、人目が気になる、あるいは、人から良く思われていないのでは?などの相談を受けることもあります。
勿論お話をよくお聞きすると、実際にあらぬ噂を言いふらされたり、あるいは、イジメのような形態と思われるようなケ-スもかなり多いです。
このような状況において、人目を気にし出したり、自分が悪いのでは?と思ってしまう心情も良く理解出来ます。

 

そして、もし、このような自分には預かり知らぬ状況に自分が置かれていると感じる時は、まず、次のことを覚えておいて下さい。
それは、そのようなあらぬ噂を言いふらしたり、あるいは、イジメのような言動(無視も含めて)を行っている人は、

 

その人は、自分自身が不幸だ、との強い思い込みを抱えている

 

ということです。
自分自身を不幸であると心の内で思っているが故に、そのような自分の傷心を和らげようと、周りの人を貶めようとしたり、あるいは、自分より低い人と思い込もうとしていることにより、自分を高い位置に置き、優越感に浸っていることしか出来ない状況ということです。
そして、

 

自分のしたことは、自分に返ってくる

 

という側面を思い出して下さい。
これは、仮にあなたが何かしらのしがらみなどで、そのようなあらぬ噂をふりまいている場に居合わせた際に、そのような噂をふりまいている当の本人を、

 

心の底から信頼出来るでしょうか???

 

ということです。
そして、自分に返ってくるというのは、噂をふりまいている当の本人は、

 

噂をふりまく度に、自分の信頼を無くしている

 

という形で体験しているということです。
そして、このような「望まない」人目や、見られていると感じる時は、

 

あなたは正々堂々と胸を張って生きていれば大丈夫

 

との強い思いを持って下さい。
そして、もし近隣のコミュニティ-などの場では、そのような噂をふりまいている人に出会ったら、

 

ニコッと笑顔で挨拶や会釈をする

 

ということをしてみて下さい。
あなたが自分を卑下する必要性もないですし、自分に自信を無くす必要性も全くありません。
そして、不思議なもので、あなたがこのような行動をしていると、段々相手はあなたのことを相手にしようとしなくなってきます。
というより、

 

相手はあなたのことを、そのような相手にすら出来なくなってしまう

 

ということに次第に繋がっていきます。
そこには、そのような堂々としているあなたを目にすることで、

 

その相手は、自分の心の内は不幸だ、という面を強化されている

 

と無自覚ながらも感じてくるからです。
そして、あなたの噂をいくらふりまいても、あるいは無視などの言動を取ってみても、自分の不幸を優越感に変えることはこれ以上出来ないと無自覚で気づいていくからです。
最初の慣れないうちは、そのような相手に堂々と振る舞うのは難しいと感じるかもしれませんが、行っているうちに自信もついていきますし、周囲の環境などにも変化が現れてきます。
また、「堂々とする」というのは「威圧する」という意味合いではありません。
効果的なのは「さりげなく」です。

 

そして、先ほどの車の運転のケ-スでの「誰かに見られている?」そして、噂話などの人目が気になるという「誰かに見られている?」という、正負の側面を解決する共通の方法となり得る視点とは、

 

常日頃から正々堂々と胸を張っていける言動や振る舞いを心掛ける

 

ということです。
これは、言わば、

 

自分を信頼する

 

ということです。
繰り返しですが、私達の誰もが完璧な品行方正ではありません。
あなたが出来る範囲で構いません。
そして、もう一つの視点として、「誰かに見られている?」というのは、実は、

 

あなたがあなた自身の内面を見ている

 

ということに気づくということです。
あなたが心の内から胸を張っていけるようになれば、このような「誰かに見られている?」という感覚は段々に少なくなっていきます。
しかし、時にはこの「誰かに見られている?」という感覚が生ずることもあります。
そして、これは正常なことです。
その正常という意味は、

 

自分で自分を観察している

 

という面となって現れているだけです。
なぜなら、気になるということは、

 

あなたの中に、あなた自身にとっての気になる「何か」がある

 

ということを知らせてくれているだけだからです。
このように「誰かに見られている?」という感覚は正負の両面をも兼ね備えていますが、その両方を解決する視点と、自分を見つめているという視点を心掛けていくことで変化が訪れていきます。

 

なお、行き過ぎたあらぬ噂などをふりまかれることによる実害などに対しては、名誉毀損や侮辱などのように、適切な法的手段を取るといった理性と冷静さからの判断が必要な時もありますし、このような毅然とした態度が大切になることもあります。
また、統合失調症の一つの症状と言われているような、常に監視されていると感じてしまうような場合では、専門医の指導の元に適切な診断や治療が必要なケ-スもあることはご了承下さい。

 

そして、明日は東日本大震災から6年目の日でもあります。
私が読んだ本などの中においても、この震災によりご家族や知人などを失われた方々の中には、

 

見守られている

 

ということを実感するような体験なども経ながら、少しずつでも前向きに生きていけるようになってきた、との感想を述べられている方々もとても多いです。
「誰かに見られている?」「見守られている」というのも、取りようによっては同じことを意味しているのかもしれません、、、、、
そして、多くの方が、

 

供養の意味も込め、自分は自分らしく精一杯生きていく姿を見せる

 

ということが力や励みになっているとおっしゃっています。
これも、先ほどの正負の側面を解決する視点と「源」は同じように私個人としては感じています、、、、、

2017年3月10日 03:03

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