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可能性の発見と焦点合わせの練習法 ~路線バスの旅から~

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

このTOPICSでは、ドラマや映画、その他のTV番組などからも題材としてよく取り上げています。
これは私がこのTOPICSに活用しようとの思いから取り上げているのではなく、単に私がTVなどを観るのが好きだからという単純な理由です。
そして、自分が好きなことを行っていると自然とリラックスし、今までに気づかなかった視点や、自分なりの何かを発見することもあります。
そして、そのような気づきや発見というのは、自分の中にあるものを再確認したり、薄々気づいていた方向へと後押ししてくれるような役割も時には果たしてくれます。
そこで今回は、「可能性の発見と焦点合わせの練習法 ~路線バスの旅から~」というテ-マでお届け致します。

 

ところで、このようにTVをよく観る私ですが、旅番組も好きでよく観ています。
その中でも、2017年の1月に終了となってしまいましたが「ロ-カル路線バス 乗り継ぎの旅(テレビ東京)」という番組が好きでよく観ていました。

この番組は太川陽介さんと蛭子能収さん、そして、その回毎に女性のマドンナを加えての3人旅です。
スタ-ト地点から3泊4日で路線バスのみを乗り継いで目的地であるゴ-ルまでを目指すという内容です。
幾つかの「ル-ル」に従って旅をしますが、基本的には路線バスを活用するのと、路線バスが繋がらない区間では徒歩で進むというシンプルな内容です。

 

では、ここから今回のテ-マに沿って進めていきます。
例えば、青森というスタ-ト地点からゴ-ル地を東京と定めたとします。
そして、最大の目標はゴ-ルをすることと致します。
そして、この青森~東京間を一つの人生として仮定します。
なお、今回は番組内での3泊4日という時間の設定はないものとします。

 

青森から東京へ辿り着く手段というのは現在では幾つもあります。
徒歩、自転車、バイク、車(自家用車・レンタカ-・タクシ-)、路線バス、高速バス、鉄道、新幹線、船、飛行機など、他にも考えられるかもしれません。
そして、この番組内では「ル-ル」として路線バスのみを活用する、そして、繋がらない区間は徒歩と定められています。

 

ここでの「ル-ル」とは、いわば独自の旅を楽しむために一つの「制限」として自分で自分に課したものと捉えることが出来ます。
前世療法などの観点から見ると、これは、今回の人生という旅を楽しむために、自分で自分に設定した様々な諸条件とも言えます。
これには身体上の観点、親や家族など、人生を送る上での最低限の基本的な「ル-ル」とも言えます。
そして、そのような「ル-ル」の基に人生をスタ-トさせていきます。

 

そして、中にはこのような最低限の基本的な「ル-ル」に加え、自分に負荷をかけて鍛えるために路線バスしか乗ってはならない、という独自の「制限」というオプションを設けている人もいらっしゃるかもしれません。
これは自分で自分に課した「ル-ル」なので、それでも構わないと思いますし、それをやり遂げようとの思いで初志貫徹という意味からも達成感を味わうことが出来ることとも思います。

しかし、人生においては、

 

最低限の基本的な「ル-ル」以外は定めていないし、定められてもいない

 

と考えます。
表現を変えると、

 

最低限の基本的な「ル-ル」以外は「自由」であり、そこに「可能性」を発見出来る

 

とも言えます。
そして、この最低限の基本的な「ル-ル」以外は「自由」であるということは、

 

負荷をかけて鍛えるためにオプションとして独自の「制限」を設けた「ル-ル」も変更可能

 

ということです。
現在では、先ほどの最低限の基本的な「ル-ル」の例えとして身体上の観点における、「性別」の変更ということも可能となっています。
人生という旅路においては、早足で進む時もあれば、歩みの速度を緩める時期、あるいは、所々で立ち止まって休んでみたり、時には周り道で進むこともあることでしょう。
そして、私達が人生において停滞している、道に迷っている、あるいは、なかなか前に進まないと感じる時は、

 

他の「可能性」を発見出来るチャンス

 

と捉えることも出来ます。
青森~東京間を最初から飛行機で旅することも出来ますし、新幹線のグリ-ン車に乗って快適に旅することも出来ます。
また、青森から仙台までは路線バスで旅してきたが、途中の仙台からは高速バスに乗ってその後の旅をすることも出来ますし、新幹線で仙台まで旅してきたが、その後は車で旅をするということも出来ます。

私達が人生において袋小路に入っていると感じる時は、

 

意識の焦点がある一点のみに注がれている

 

という状態の時が多々あります。
この意識の焦点が一点のみに注がれているというのは別に悪い状態ということではありません。
このように一点に注がれている時というのは、

 

目標に向けて加速している時

 

でもあるからです。
しかし、他の視点から見ると、袋小路の中で加速をし続けても前に進むことは困難なケ-スもあります。
そして、このような状態の時は、

 

周りが見えていない状態であり

表現を変えると、

他の「可能性」にまだ気づいていない

 

という状態とも言えます。
今まで路線バスで旅をしてきたが、繋がらない区間ではゆっくりと歩いてみる、あるいは、繋がらない区間をタクシ-で移動することも出来ます。
あるいは、一つ前のバス停に戻ることで、実はそのバス停は高速バスにも乗ることの出来る起点であるかもしれません。
そして、自分で自分に課した路線バスのみという「制限」でも、そのことによりその先に全く進めなくなってしまうのでは、本来の目標である東京に辿り着くということが出来なくなってしまう可能性もあります。
そして、このようなオプションとして自分で自分に課した「制限」というのも、実は、

 

他の「可能性」にさらに気づきやすくするために自分で設けた「ル-ル」

 

ということも多々あります。
なので、オプションとしての「制限」という「ル-ル」は変えることも出来ますし、変えても良いということです。
なぜなら、そのオプションとしての「制限」は詰まる所、

 

自分の他の「可能性」を発見した

 

という時点において、本来の役割を果たし終えているからです。
このように、オプションとしての「制限」を課している場合でも、あるいは、そうでない場合であっても、

 

人生の途中において色々なことが変更は可能である

 

ということに気づき、それを自分に許すということも打開の一つとなります。
そして、この「可能性」の発見を難しくしている一つの中に、

 

ある種の社会的常識

 

というものが存在しています。
なお、社会には必ず複数の他者という方々が存在し成り立っていることと、そのような他者を尊重するという意味も含め、先ほど述べた最低限の基本的な「ル-ル」と同様の意味合いでの必要な社会的常識は存在します。
ここでのある種の社会的常識というのはそのような意味合いとは別のものです。

 

私が産まれる前には「末は博士か大臣か」という言葉がよく聞かれたそうです。
これは子どもの行く末を期待しての思いが込められた言葉でもあることと思います。
また、私が中学・高校生の頃は、バブル経済まっただ中の時期でした。
この頃は、良い大学に入り、良い会社に入り、一杯お金を稼ぐことが人生の幸せである、という社会的風潮が存在していました。
別にこのような人生が悪い訳ではありません。

ただ、ここで気づいて頂きたいのは、様々なある種の社会的常識や社会的風潮というのは、

 

小さい頃から無意識に植え付けられている

ことと、それが故に、

あまりにも当たり前と思い込んでいるが故に、気づきづらい

 

という特徴があるということです。
繰り返しますが、先ほどの良い大学や良い会社、あるいは、お金を稼ぐことが悪いということではありません。
ただ、そのような人生のレ-ルに乗ることが唯一の幸せだと無意識に植え込まれ過ぎていると、

 

そのレ-ルから外れてしまったら不幸だ

という反動の思いが生じてしまうことと、そのことにより、いわゆる、

勝ち組や負け組などの差別・格差を生む土壌になる可能性がある

 

という点です。
そして、あまりにも当たり前と思い込んでしまっているが為に、そもそも「良い」大学や会社と世間で言われているのが、何をもって「良い」と判断されているのか?本当にそうなのだろうか?などを考えることにすら気づけないという点も含まれてくるからです。
そして、世間における幸せな人生のレ-ルから外れてしまったと思えてしまうその地点・場所は、先ほどの、

 

袋小路の中

 

という状態に繋がっていきます。
このような無意識における傾向というのは、今回のテ-マである路線バスの比喩で表現すると、

 

人生においては路線バスしか使ってはならない
そして、
人生においては路線バスしか存在せず、他の移動手段はそもそも存在しない

 

と暗黙に了解して、その選択肢のない袋小路から抜け出ることが出来ない状態とも言えます。
そして、このような状態の時が、意識の焦点が一点のみに向けられていて周りが見えていない状態と言えます。
言わば、

 

無意識の上で、他の「可能性」に目を背けている

 

状態とも言えます。
繰り返しですが、意識の焦点を一点に向けるというのは悪いことではありません。
それはある身近な目標を達成するのに大いに役に立ってもくれます。
そして、人生において他に選択肢がない、ということはありません。
必ず他の「可能性」という選択肢は存在しています。
では、その「可能性」を発見する数ある方法の中の一つにここまでお読み頂いて気づいたでしょうか?
それは、

 

意識の焦点をある所に合わせながらも、周りも見える状態にする

 

ということです。
皆さんも次のような経験はないでしょうか?

例えば、身体が不自由な方が何かに打ち込んでいる姿をTVなどで見て勇気を頂いたり・・・
あるいは、パラリンピックなどで、身体が不自由でない自分よりも凄いことが出来ていることに奮起を頂いたり・・・
そして、

 

今の自分は幸せだ・・・

 

と思ってみたり・・・と。
ここでお伝えしたいことは、身体が不自由な方が不幸せだということでは勿論ありません。
そのような見方からは勇気や奮起を頂いたという思いにはなり得ないこととも思いますし、他者との比較の中に幸せを見つけられないことも同じことですが、「今の自分は幸せだ・・・」と思うことも偽らざる本音であることとも思います。
私もそのように思うこともありますし、勇気や奮起を頂いているのも事実です。

そして、このようにTVやパラリンピックなどを通してそのように思えるということは、

 

その時のあなたの状態は、意識の焦点もある所に合わせながら、周りも見えている状態

 

と言えます。
なぜなら、

 

今の自分が幸せと思えていると同時に、さらなる勇気や奮起も頂けている

 

からです。
私達は日常のお仕事や家事・育児、あるいは、目の前にある事柄を行っている時に意識の焦点を絞っていると思いがちになり過ぎる傾向もあります。
勿論、目の前の事柄に意識を向けているということも間違いではありません。
これはあくまで目の前の事柄に集中している時という意味においてです。

 

1日のうちで集中して何かを行う時間というのは実際の所さほど長くはありません。
また、集中していると思える事柄も、仕事のある部分であったり、あるいは、誰かとお話している時、あるいは、携帯でゲ-ムに熱中している時など、様々に意識の焦点を向けている先は違っています。
そして、私達の無意識による考えや行動に多大な影響を与えているのは、

 

集中している時よりも、むしろ、無意識で何かを考え・行っている時

 

です。
先ほど、今の自分は幸せだ・・・と思える時のお話をしました。
これはこれで素晴らしいことですが、これを逆の視点から見ると、

 

無意識の上では、私は不幸せだ、と思う時間が長く続いている

 

という働きも関わっていると言えます。
これは、

 

不幸せの数をかぞえるよりも幸せの数をかぞえなさい
あるいは、
幸せを考えたら片手でも余りあるが、不幸せを考えたら両手でも足りない

 

という表現とも繋がっています。
そして、逆もまた真なりと言うように、先ほどのように、

 

今の自分は幸せだ・・・と思えた時が、他の「可能性」を発見するチャンス

 

というように活用することも出来ます。
先ほどの勇気や奮起という感情が可能性に繋がる一例としても挙げられますが、幸せや可能性は人それぞれの考え方がありますので、ご自分なりの幸せや可能性に思いを巡らせることでよろしいかと思います。
そして、それを知る手掛かりの一つになるのが、

 

あなたが何に意識の焦点を向けているのか?
そして、
それと同時に周りも見渡せているのか?

 

という心の持ち方です。
そして、これは心のケアということにも繋がっていきます。
常日頃からこれらのことを考え続ける必要はありませんが、何かの袋小路にいるかも?と感じた際は試してみて下さい。

 

そして、ここで意識の向け方と周りの見渡し方における簡単な練習法をご紹介致します。
なお、これは上手く行う必要もありませんし、上手く行えなくても全く大丈夫です。
そして、定期的に練習する必要性もありません。
気が向いた時に試してみれば何か面白い発見が出来るかもしれない、という遊び感覚で行うものです。

 

私が時たま行っているのは、今回の路線バスのような旅番組の時に行ったりしています。
このような旅番組は2~3名ほどの出演者であることが多いです。
例えば3名の出演者が旅をする番組とします。
そして、これは録画をした上で2回観る方が効果が上がります。

 

まず1回目に観る時は、出演者の一人に着目して観ます。
TVの画面では3名同時に映っている時もあれば、2名しか映っていない時、あるいは、着目している人の姿は映っていないが声だけ聞こえている時など様々です。

そして、一人に着目するというのは、そのTVが流れ続けている間、声も含めてその着目している一人の一挙手一投足を集中してひたすら追いかける、という見方です。
これを1回目に行い、その後の2回目は普段通りに楽しんで観ます。
これを行ってみると多くの方が感じるかもしれませんが、1回目の一人に着目する見方をすると、番組全体の内容があまり頭に入ってこないことが多いです。
2回目を観て、全体の事情や状況が把握出来るという具合です。

 

これは先程来の、意識の焦点をある所に合わせながらも、周りも見える状態にする、ということを体感し、意識づける簡単な練習法になります。
そして、これを行う上で何より大切なのは、練習などと堅苦しく考えず、ただリラックスしてTVを観ながらでも出来るというように楽しんで行うということです。
実際に行ってみればお分かりになるかもしれませんが、意外と難しいものですよ・・・

2017年2月16日 03:02

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