カウンセリングの郷に入れば郷に従う ~鬼と節分・豆まきとの関係からも~

第115回:『 カウンセリングの郷に入れば郷に従う ~鬼と節分・豆まきとの関係からも~ 』

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です。

先日あるTV番組において、青森県弘前市にある「鬼沢地区」の特集が放映されていました。
そこで今回は「カウンセリングの郷に入れば郷に従う ~鬼と節分・豆まきとの関係からも~」というテーマで進めて参ります。

ところで、皆さんは「鬼」という言葉からどのような連想が浮かぶでしょうか?
もしかしたら多くの方は「節分・豆まき」という行事が思い浮かぶかもしれません。

 

「節分・豆まき」の由来には幾つかありますが、そのうちの一つに「追儺(ついな)の鬼」というのがあります。
「追儺」とは、この世にある様々な災いや不満を「鬼」に対して石を投げつけることで邪鬼を払う平安時代の儀式と言われています。
そして、その際に石を投げつけられる「鬼」の役を演じていたのは、当時の力の弱い人々であったそうです。
力の弱いというのは、貧困や階級などの違いという意味で、現在における差別と同種のようなものです。

 

そして、今回のTV放映されていた岩木山の麓にある鬼沢地区には、数々の鬼伝説があるそうです。
大きな岩に付いている鬼の足跡や、水が低い所から高い所に流れる(流れているように見える)鬼神堰・逆さ堰などがあるそうです。
この堰の建設については一切の資料が残っていないそうですが、当時から鬼が造ったと語り継がれており、この堰のお陰で豊作になり、また現在もその近辺の集落の方々にとっては大事な農業用水として活用されているとのことです。

 

このように、鬼が人々に智恵をもたらす、また、人々に恵みをもたらすということで、この鬼沢地区には「鬼神社」として「鬼」が奉られています。
そして、この「鬼神社」の「鬼」という字には、一番上の点が賦されていない字があてがわれています。
それは、一番上の点を取ることで、角がなくなり「鬼」が「神」に変わるという思いが込められているそうです。

 

そして、「鬼」を「神」として奉っているため、この地区では「節分・豆まき」という風習がありません。
「鬼は外」「福は内」というのは、「神」を「外」に追い出してしまうことと考えられているためです。
ちなみに「鬼」という字は、「魔」でも使われていますが、「魂」あるいは「魅力」という字でも使われています。

 

このように「鬼」は怖い・恐ろしい存在と考えている方々もいれば、一方では善良で恵みをもたらす存在として受け入れている方々もおります。
そして、これが今回のテーマ「カウンセリングの郷に入れば郷に従う」という所に繋がっていきます。
「郷に入れば郷に従う」という意味は少し高圧的な側面も感じるかもしれませんが、文化や風習などの違いを否定せず、まずはそのままを受け入れてみて下さい、という意味合いでも解釈されます。
勿論、例えば人を傷つけることを良しとする風習などが存在するとすれば、そのようなものは受け入れ難いというものもありますので、そこは皆さんの良識において考えて判断して下さい。

 

では、何故このような「郷に入れば郷に従う」ということがカウンセリングに繋がるのでしょうか?
それは、

 

セラピストは、まずは、クライアントの世界観を受け入れることから始まる

 

という点です。
例えば、今回の「鬼」をテーマとしてクライアントとセラピストの会話を考えてみましょう。

①クライアント:「鬼は私にとって大切な存在なのです
①セラピスト:「でも、世間の多くの人が鬼は怖い存在と思っているのですよ・・・。 それを大切な存在というのは・・・?

②クライアント:「鬼は私にとって大切な存在なのです
②セラピスト:「そんな訳はありません。 あなたは節分などの風習を知らないのですか・・・? 鬼とはそういう存在なのですよ!

 

上記の様な会話が仮にやりとりされたとしましょう。
上記①②において、セラピストの発言の後に、クライアントは自分の本当の気持ちや思いを伝えてくれるようになるでしょうか?

 

おそらく、そうはならないと思います。
ある意味、セラピストがクライアントの世界観を全否定してしまっているからです。
勿論、ここでの「世界観を受け入れる」とは、セラピストがその世界観を完全に理解したり、あるいは、それに同意を与えるという性質のものではありません
セラピストも人間ですので、それぞれの世界観を持っていますし、それで良いと思います。

 

しかし、クライアントは現に何かしらの悩みや問題を少しでも解決に向かうよう、セラピストに手助けを求め伝えに来ています。
そのような意味で、セラピストはクライアントの世界観をまずは受け入れるということが大切になろうかと思います。
つまり、平たく言えば、クライアントのお話に真摯に耳を傾けるとも言えます。

 

そして、以外に多いのですが、セラピストに相談したら怒られた、などのお話をクライアントから聞かされることもあります。
クライアントはとても心の機微に敏感な状況で相談に来ているので、ある意味セラピストの何気ない?言葉に過度に反応しているケースも中にはあるかもしれません。
しかし、やはり一番の理由は、