トップページ » 優生学思想と魂の原点

優生学思想と魂の原点

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

先日、障がい者の施設において多数の人命が奪われ、また、多数の負傷者が被害に巻き込まれるという残忍な事件が起こってしまいました。
被害に遭われた方々のご冥福をお祈りしますと共に、負傷された方々の一刻も早い快復を心より願っております。
マスコミなどでは「戦後最悪」という人数の多寡の方に目を奪われるような報道をしている所もありますが、当然のことながら人数の多さが問題という訳ではありません。
例え、お一人の人命であっても、残念ながら日常的に起こっている事件という性質では同様かもしれません。

 

今回の事件を起こした犯人は、障がい者は生きている価値が無い、税金の無駄遣いだ、などと供述しているなどの報道もありますが、そのような中で「優生学思想」というテ-マを取り上げて報道している所もあります。

そこで、今回は「優生学思想と魂の原点」というテ-マをお伝えしたいと思います。

 

「優生学思想」とは、代表例としては、かつてナチスにより行われた人種選別政策とも言われているように、最終的には大規模殺戮にまで発展し、多くの人命が奪われた出来事でもあり、また、現在も多くの人種差別や偏見などの温床になっているとも言われています。
この思想をシンプルに表現すると、

 

価値のある者のみが生きるべきである
そして、それ以外の者は生きる価値がない、あるいは、生きる価値のある者に奉仕すべきである

 

とも言えます。
当然のことながら、そもそも何を持って生きる価値がある者と生きる価値がない者との間の線引きなどは存在しません。
このような線引きは、自分(だけ)は生きる価値があるという自分本位から生み出された判断に過ぎません。

 

このような思想は先のナチスの例における反省と二度と同じことを繰り返してはならないとの教訓から、戦後辺りから改善されてきた傾向もあることと思います。
しかし、近頃の風潮を見ると、世界各国、そして、日本国内でもこのような思想が再び源流となっているのでは?と思われる事柄が増えてきているようにも感じられます。

 

今回のような過激な表現、そして行動にまで及んでいなくとも、政治家の発言やTVコメンテ-タ-などの発言の中にも、同じような匂いを感じることが増えてきているように感じられます。
あくまで、私個人の感じ方ではありますが・・・・・

 

現在行われているアメリカの大統領選挙においても「アメリカが世界最強だ」などと連呼されてもいます。
また、あくまでポジティブな方向性で言っているのかもしれませんが、都知事選挙においても「東京が日本を引っ張る」「東京を世界一の都市にする」「東京は特別な都市だ」などと同じく連呼されています。

優生学思想の根底には、

 

自分(達)は選ばれた特別な存在である

 

という源流が流れています。
そして、繰り返しになりますが「選ばれた」「特別な」という線引きは自分本位の判断から生み出されています。
選挙というある意味特殊な環境であるのかもしれませんが、このような「特別な」という根底には同じような源流が流れているようにも私には思えます。

このような「特別な」という思想や考えは、

 

他者との比較の中でしか生まれない

 

そして、このTOPICSでも何度かお伝えしていますが、

 

他者との比較の中では幸せは見い出せない

 

ということに繋がっています。
「自分は特別だ」と思っているということは、その人は実は、

 

自分で自分の価値を見い出せていない

 

とも言えます。
そして、このような理解の元では、これから先も永遠に他者との比較の中でしか幸せを見つけられないということになりかねません。
そして、このような比較には、自分が優秀と思っていることに加え、自分が劣っていると感じることも含まれます。

 

必要以上に他者に媚びへつらうという行動も、自分はある人より劣っていて、その劣っていると感じている側面を、自分より強いと思われている人に埋めて貰っているということになっているのかもしれません。
そして、強い側が弱い側を従わせるという「共依存」の関係が出来上がってしまいます。

 

また、懸命にご病気などに取り組んでいる方の中には、家族などに迷惑を掛けてしまって・・・といった負い目などを感じてしまう方もいらっしゃいます。
そのような状況の時に、ご自身の中で私は生きる価値が無い、あるいは、周りの方々(これは社会や医療制度を含めてですが)が病気で働けないのだからこれ以上生きる価値が無い、などと判断するような状況に至ってしまうことがあれば、それは心身共に健全な社会と言えるのでしょうか?
そして、深い議論もなされないままの、表層だけの安易な安楽死議論に繋がっていく可能性もあるかもしれません。

 

なお、誤解の無きように繰り返しますが、人には皆それぞれの個性があります。
そして、皆それぞれが多くの長所と短所を兼ね備えています。
他の人より多くの長所がある人もいるでしょうし、長所の中でもより伸びている長所もあることと思います。
この「より伸びている」という点について「特別や優秀」と表現されるケ-スもあるかもしれません。

 

もし、そのような意味であるならばドンドン自分のためや他の人のためにその長所を活用して、さらに伸ばしていくことは素晴らしいことと思います。
また、ある意味肉体的に強い人が、体の不自由な人の手助けをするというのは「従わせる」ということとは違います。
このような出来ないことを手助けをするというのは当たり前のことですし、それに留まらずお互いをより理解し合うという関係性に発展させていくことも出来ます。

 

今回のテ-マにおいては「優生学思想」というのを取り上げましたが、「選ばれた」「特別な」と思えてしまうような時には、その裏側には「他者との比較」という源流が流れています。
そして、ここでの「他者との比較」というのは「個性の違いを尊重する」という思いとは似て非なるものです。
このような「選ばれた」「特別な」という言葉は耳障りの良い響きがあると共に、どこか道を外れた方向性に誘う性質も含まれているかもしれません。

 

私がカウンセリングなどを行っている中にも、「(他の人)より少ない」という点を「劣っている」という見方をしている方も多い傾向もあります。
また、傾向としては少ないですが、「(他の人)より多い」という点で「苛まれる不安」や「円滑に物事が行き過ぎていることに対する不安」などをお持ちの方もいらっしゃいます。
このような点はお金などを当てはめてみるとより見えてくることがあるかと思います。

 

そして、今回の様な事件を少しでも減らし防ぐために出来ることはあるのでしょうか?
行政・司法・医療などの社会的見地からも出来ることはあることでしょう。
そして、そのようなことも同時に必要なこととも思います。

ここから先はあくまで私個人の見解ですが、このような事件を減らしていくためには、

 

「魂の原点」とも言うべき視点を持つ

 

ということも少なからず役立つのでは?と考えています。
それは、

 

私達は「なぜ」生まれてくるのか?

 

を考えることでもあり、ヒプノセラピ-(催眠療法)の「前世療法」などを行っている私の立場からすると、

 

なぜ立場や役割を変え、私達は「何度も」生まれ変わってくるのか?

 

を考えるという視点です。
このような視点は魂の存在というものを前提としていますが、それを是や非で判断するものではありません。
また、同様に難解な哲学的なことや宗教的な視点を持つということでもありませんし、オカルトめいた見方という性質のものでもありません。
言わば、

 

自分の意識・見方を少し拡大する

 

という視点です。
例えばあくまで私の個人的見解ですが、

 

この世で全てが無になるのであれば、人間というのはとうの昔に存在すら無くなっているのでは?

 

と思えてしまうことがあります。
もし、「今」が全てで「この世が全て」であれば、お互いに略奪などを続けることにより、言わば自分で自分の首を絞めるかの如く、遙か昔に人間という存在は終わっているのでは?ということです。
なぜなら、「今」と「この世」しかないのであれば、「今」そして「この世」で出来うる限りの権力や財産を欲しようと考えてもおかしくはないのかもしれません。
しかし、現実には全てがそうではありません。

 

そうはさせない何かしらの性質が人間にはあるのでは?

 

という「性質」というのが「魂の原点」という視点です。
目的があってこの世に生まれ、そして、これからも何度も生まれ変わってくるかもしれないという視点の基において、殺人を犯す、人を傷つける、あるいは、自分は特別だ、などの考えや行動は果たして人間として生まれてきた意味の中に含まれているのでしょうか?
同じようなことは、戦争における殺人は殺人ではない、と言われたりもしますが、これも本当のことなのでしょうか?
人それぞれ色々な見方や考え方があって然るべきですし、他にも考えられる具体例はたくさんあると思います。

 

私の家族や友人などが今回の事件のように巻き込まれていたら、私自身ももしかしたら犯人を殺したい、と思うに至るかもしれません。
しかし、そのようなことを実行はさせない何かも私自身の中にあると自分では感じています。
それは、そのような復讐をしても解決にはならないということと、殺人を犯した犯人は、仮にその人がこの世を去った後でも罪を償い続けていかなければならない「生」が待ち構えているという視点かもしれません。

 

魂の存在を信じるか信じないかも皆さんの自由です。
信じることを強制されるような事柄でもありません。
ただ、繰り返されている現状を思う時に、そこに一石を投じる?ような視点も取り入れてみては如何でしょうか、、、、、

 

そして、案の定というか、早くもニュ-スなどでは危険な思想を持っている人は予め監視や監禁が必要では?あるいは、どんな手段を使ってでも防ぐべきでは?そのような人の体内にGPSの装置を埋め込んでは?などの論調が出回っています。
今回の事件のような思想や無差別テロのようなケ-スでは別に考慮に入れる要素も多々あることと思いますが、単に危険な思想?なるもの全てを予め取り締まるというのは、その時々の社会状況などによって、この危険な思想というだけの定義では如何様にでも操作・判断されてしまうという別の危険性も伴っています。
70数年前に戦争を体験された方々は、そのような危険性について身をもって体験されていることと思います。
そうはならないためにも、今一度「冷静さ」を取り戻すことも必要かもしれません、、、、、

 

また、ここから先は余談ですが、今回の事件に際して、知的障がい者の団体が、障がい者であろうとなかろうと、一つ一つの命を大切にして尊重して欲しい、との旨の声明を出されていました。
「至極当然」のことだと思われますが、それでもわざわざ声明を出して訴えていかなければ変わっていかないとの危機感などを感じられていることであろうと思われます。

 

そして、現在ポケモンGOがとても流行っているようです。
私は行っていませんが、世間では賛否両論もある模様です。
私個人としては、娯楽の範疇として、他の人や施設などの迷惑にならないよう、節度を持って楽しむのであれば良いと思います。
しかし、車の運転中や歩きスマフォ、あるいは勝手に私有地に入り込むなどのケ-スもあり事故や検挙が多発しているそうです。
先の知的障害者の団体の声明ではないですが、「至極当然」のことを指摘されなければ気づかないのか?あるいは、気づいていても守れないのか?
どちらかは分かりませんが、ゲ-ムに興じることで自分がケガをしたり、他の人の迷惑になるようなことをする必要性はそもそもありません。
もし、ゲ-ムを行っている方は節度を持って楽しんで下さい。
そして、その姿を小さい子どもはよく見ています。
どうぞ「分別」のある姿勢を大人の方々は見せてあげて下さい、、、、、

2016年7月29日 03:07

«

»

TOPへ戻る

新着投稿

過去の投稿


プライバシーポリシー

当サイトのご利用規約

サイトの詳細につきましては上記のご利用規約をご確認ください。

当サイトはリンクフリーではありません。
事前の連絡と許可審査が必要です。

スマートフォン、タブレットで読み取ってください

先頭へ