はじめてのおつかいと守護霊 ~誰もが一人きりではなく見守りがある~

第103回:『 はじめてのおつかいと守護霊 ~誰もが一人きりではなく見守りがある~ 』
【 参照キーワード:はじめてのおつかい、守護霊、ガイド、ハイアーセルフ、スピリチュアル 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です。

梅雨時に入り、雨が多くなっていく季節でもあり、また、世間では政治と金の話題で持ちきりで、気分も滅入りがちな方もいらっしゃるかもしれません。

 

そこで、今回は唐突ですが「はじめてのおつかいと守護霊 ~誰もが一人きりではなく見守りがある~」というテーマでお伝えしていきたいと思います。
守護霊という言葉を聞くと拒否感を感じる方も多くいらっしゃると思いますし、当然のことながら科学的に解明されているものでもありません。
勿論、私にも実相というのは分かりません。
私達個々の存在が「意識」なのか、はたまた「魂」と呼べるのかも解明されていない中では、その背景たる守護霊という存在はもっとほど遠い存在に感じられるかもしれません。
今回のテーマは一端として守護霊を扱っていきますが、軽いおとぎ話やSFの世界のように興味のある方は気軽に読み取って頂ければと思います。

 

ちなみに、よく守護霊とハイアーセルフという呼称が混同されているケースがありますが、守護霊も大きな意味では私達自身であるという見方も出来ますが、ハイアーセルフは「高次の自己」とも訳されているように、まさに身近な自分自身であると解釈されます。
また、守護霊を科学的に解明しようという試みはごくごく一部でしか行われていませんが、ハイアーセルフは心理学などのアカデミックな分野でも研究されているように、近年では比較的受け入れやすくなってきている傾向があります。

 

また、皆さんも小さい頃に通っていた学校で怪談の類の話は一度は耳にしたことがあるかと思います。
そのような意味からも、私の小学校時代では背後霊という呼称がよく使われていましたが、これも守護霊と同じ意味合いと捉えて頂いて大丈夫です。

 

ところで、守護霊という日本語の呼称はとてもおどろおどろしく感じられる印象を伴っています。
守護霊らしき存在というのは、古今東西、色々な語り継がりや文献・遺跡などからも散見されています。
世界各国では守護霊らしき存在を、ガーディアン・スピリットや天使・精霊という呼称で、守護霊という呼称よりは、より親しみやすさを伴って表現されている地域も多いです。

 

このような守護霊は、一人の人に通常複数の存在が見守っているとされています。
まずは主たる守護霊が存在し、その他に、仕事やその人の能力に応じてサポートする守護霊人生全般を見通してその時々をコーディネートする守護霊、また、身近な方々が旅立った後に、残された人をサポートし自分自身の学びを目的として、旅立った身近な方々が補助霊として見守るケ-スがあるという紹介もなされたりします。

 

このように守護霊とは複数存在していると言われていますが、能力に応じた守護霊や、コーディネート役の守護霊はその時々で入れ替わると言われています。
身近な例では転職前と転職後で仕事の内容が明らかに変わった時などに、その人の能力を最大限引き出せるように、その得意分野たる守護霊に入れ替わるという意味合いです。

 

そして、最初の主たる守護霊は一生入れ替わることはない、と言われています。
そして、守護霊のいない人は一人もいない、とも言われています。
つまり、数の違いはあれど、誰にでも守護霊のサポートはあるということです、、、、、

 

ところで、長年放送されている日本TV系列の番組で「はじめてのおつかい」というのがあります。
私も好きで毎回観ています。

 

ご存じの皆さんも多いでしょうが、この番組は、3歳頃から小学校低学年位までの子どもが、人生ではじめておつかいに出かける様子を追跡するという内容です。
ご病気などで家などから出られないという場合は別ですが、私達の誰もがどこかで必ず辿ってきた道のりです。

 

はじめておつかいに出かける様子を撮影するということで、それをサポートするTVスタッフの皆さんは色々な扮装をし、手を出すことなく子どもの様子を見守っていきます。
子どもですから予測がつかない行動もあります、また、寄り道もしょっちゅうです。
走って転んで泣いてしまう子どもも勿論います。
また、時には危険と思われる横断歩道などでは、スタッフの方が一般の通りがかりの人を装い、手を繋いで渡るような助け船も出したりします。

そして、大人であれば何の変哲もない道路、あるいは、歩いてすぐの距離であっても、

 

怖さや不安から一歩を踏み出せない

 

という子どもも多くいます。
しかし、そのような子どもにも、時には言葉掛けなども行いますが、極力手助けをせず、その子が一歩を踏み出すまでじっと見守っています。
そして、一歩を踏み出した子どもの様子をその後も見守っていきます。

 

後ろから見守り、前方や左右から見守り、そして、所々の目標地点、さらに、おつかいのゴール地点でも待って見守っています。
このように、常にその子どもから付かず離れず、しかし、何かの折には手助け出来るような距離感を持って見守っていきます。

 

そして、買う物を間違えた、あるいは数量が足りない、また、買った物が重くて持てず引きずって中身がこぼれてしまうこともあれば、落としてしまうこともあります。
しかし、このような時も極力手を出さずに、家に辿り着くまでじっと見守っていきます。

 

先ほど私はこの番組を好きでよく観るとお話しましたが、それと同時にこの番組を観ているといつも感じられることがあります。
それは、