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正論 ≦ 一部の常識 ≦ 行動

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

先日来、プロ野球の複数の球団において、自らの試合に関して金銭の授受を行っていたとのニュ-スが流れています。
賭博や賭けとまではいかないとの法的な見解もあるようですが、意見も様々に分かれている模様です。

 

私自身を振り返ると、過去に賭け行為を行ったことがないと言えば「嘘」になります。
そのような自分自身も振り返りながら、今回のケ-スを自分なりの「クリティカル・ファキュリティ-(判断のフィルタ-)」を通すと、まずは好ましくない行いであることを認識し、そして反省し、同じような行為を他のケ-スでも行っていないかを検証し、そして、二度と同じことをしない、というのが一解決方法でもあるのかなぁと考えています。

今回のような、金銭の授受に関する行為は、

 

好ましくない

 

というのは大方の意見でもあろうかと思います。
そこで、今回のテ-マ「正論 ≦ 一部の常識 ≦ 行動」です。

今回のケ-スにおいて、「好ましくない」というのは「正論」です。
そして、「正論」に対しては、

 

反論の余地がない

 

という側面が含まれています。
ところで、このTOPICSでも度々取り上げている題材に、「図書館戦争」という小説が登場しています。
この小説の中の一節に、以下のようなセリフがあります。

 

「 正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない。 お前が使ってるのはどっちだ? 」(本文から抜粋)

 

小説の前後関係がないので分かりにくいかもしれませんが、皆さんはどのように感じるでしょうか?
10人いれば10通りの解釈があることでしょう。

「正論」には、

 

相手を打ち負かしてしまう

 

という側面もあります。
よく「グウの音も出ない」という表現が使われることもあります。

確かに「正論」は正しいです。
しかし、「正論」を武器にするのは、相手を「打ち負かしてしまう」という結果に繋がってしまう怖れもあります。
つまり、「正論」を持ち出す時に、

 

あなたは相手をどうしたいのか?

 

という視点を考える必要があるということです。
「正論」を使って「打ち負かしたい」のか? あるいは、「正論」を諭して、相手に少しでも「良くなって欲しい」のか?
「正論を振りかざす」「正論を吐く」という使われ方もしますが、どちらの表現も「威圧的」な印象を感じるのは私だけでしょうか?

そして、ある意味ここからが今回のテ-マの本質です。
このような「正論」の中には、

 

「一部の常識」が含まれている

 

ということです。
この「一部の常識」とは、

 

ある目的(利益など)の元に、自らの見解に賛同を得ようと「多数派を装う」

 

ということです。
「常識」というのは「多数派」であるという前提が必要になります。
なぜなら、ある見解に多くの支持がないと、「常識」になり得ないからです。
つまり、

 

多数派を装った「一部の常識」が存在する

 

ということになります。
私達は「常識」と呼ばれていることに関して、あまり深くは考えたりする傾向はありません。
なぜなら、

 

多くの人が支持しているのは「正論」だから

 

と、「無意識ながら判断」しているからです。
「常識」の一側面は「社会的暗示」でもあります。
勿論、社会生活を進めていく上で、一定の「常識やル-ル」というのは必要です。
そして、「無意識ながら判断している」ということは、

 

無意識ながらその「常識」に沿った「行動」をしている

 

ということに繋がっていきます。
少しネガティブな言い回しでは「長い物に巻かれよ」という表現もあります。

 

カウンセリングなどを行っていると、このような「一部の常識」に捕らわれて悩んでいる方も見受けられます。
つまり、「一部の常識」に捕らわれ悩んでいるという背景には、

 

自分自身の「正論」とは違う

 

という意識がハッキリと存在しています。
しかし、「常識」であると受け入れてしまっているがために、

 

違うと感じるのは、私が変なのでは?

 

と考えてしまっているケ-スがあるということです。
私達は自分一人で存在し、生活を送っている訳ではないので、他者を尊重するという意味合いにおいても、必要な「常識やル-ル」があることは先に述べた通りです。
しかし、「一部の常識」には、「多数派を装った」た見解も存在することから、「常識」というものに悩まされている時は、

 

自分を見つめ、そして、自分自身の「正論」に自信が持てる時は、自分を尊重してみて下さい

 

そして、身の周りの「一部の常識」に気づいたら、

 

自分自身が「正論」を「武器」として使っていないか?

 

を考えてみて下さい。
このようなことを意識することにより、生きやすさを感じたり、あるいは、人間関係が良好になっていくかもしれません、、、、、

 

ちなみに、これも先日来、TVコメンテ-タ-などとして活躍していた経営コンサルタントの方が、「経歴詐称」ということで活動を自粛するといったことが報道されています。
私はこの方を批判もしませんが、擁護・弁解することもありません。

この方の中には、おそらく、

 

学歴がなければ、自分の発言に説得力を持たせられない

 

との考えがあったのかもしれません。
表現を変えれば、「学歴」という「一部の常識・社会的暗示」を素直に受け入れてしまっていたのかもしれません。
先ほど、「自分自身の「正論」に自信が持てる時は、自分を尊重してみて下さい」とお伝えしました。

この方も学歴があろうとなかろうと、

 

「今」発言していること、そして、「行動」に自信を持っていれば、、、、、

 

学歴に頼る必要はなかったのかもしれません。
そして、「過去を偽る」ということは、

 

自分自身を愛せていなかった、、、、、

 

のかもしれません、、、、、

2016年3月17日 04:03

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