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カウンセリングの心・思い

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回は「カウンセリングの心・思い」というテ-マで進めて行きたいと思います。
カウンセリングについては、行う人の数ほど方法があると思いますし、また、どの方法が良くて、どの方法が悪いというのも無いと私は考えています。
また、今回のテ-マはカウンセリングとしておりますが、何かを身に付けた人が行う特殊な方法論ではなく、
皆様も身近な方やお知り合いなどから、何かしらの相談などをされた時に、そのお話を聞く時に、
心に留め置いて頂ければ幾分お役に立てるかもしれないというテ-マですので、気軽にお読み下さい。

 

では今回のテ-マを始めるにあたり、一冊の小説を元にして進めて行きたいと思います。
その小説は「レインツリ-の国」(有川 浩:新潮文庫)です。
ちなみに、このように小説の一節やある物語を元にお話を進めて行くというのは、
ヒプノセラピ-(催眠療法)でも行われている暗示療法として活用されている手法です。

 

この「レインツリ-の国」は、今までもTOPICSで紹介した「図書館戦争」(有川 浩:角川文庫)の中の一つのエピソ-ドとして出て来る小説です。
「図書館戦争」の中では、耳の不自由な女性に対し、聴覚障害(注:私は個人的には「障害」という言葉を使用するのは好まないですが、ここでは便宜上使用します)を扱った小説を薦めたことで、「人権侵害だ!配慮が足りない!」と糾弾される原因となった小説として描かれています。

 

では、この「レインツリ-の国」という小説ですが、耳の不自由な女性の主人公の「ひとみ」と、男性の「伸行」との恋愛スト-リ-です。
ひとみと伸行は、ある小説の感想をメ-ルを通して話し合っていくうちに、徐々にお互いに心を寄せ合っていくという所から始まります。

 

ところで、この主人公の「ひとみ」には聴覚障害があります。
聴覚障害と言っても、一般的には分からない事も多いかと思いますので、この小説の中から少し紹介・補足します。

 

まず、この主人公の「ひとみ」の場合は、中途失聴・難聴に区分されます。
中途失聴・難聴とは人生のどこかの段階(日本語を習得した後)で聴覚障害になった場合です。
一方、聾・聾唖は日本語を習得する以前(多くは物心がつく前)に、すでに障害が発生していたことで区別されています。

 

そして、中途失聴・難聴は、音はほとんど聞こえないが話すことは出来る場合が多く、第一言語は日本語です。
一方、聾・聾唖は、ほとんどが第一言語が手話であり、日本語というのは第二言語扱いになります。
日本語が第二言語扱いというのは、私達日本語が話せる人が、他の外国語(第二言語)を一から学ぶのと同じように、とても努力や頑張りを要します。

 

この小説の中では、「話せるのに聞こえない」という点で、健聴者から理解されにくいのは、中途失聴・難聴の方が多いと描かれています。

 

また、主人公の「ひとみ」は感音性難聴です。
感音性難聴とは、内耳から奥に原因があり、聴力自体に原因があるので、補聴器などをつけて音のボリュ-ムなどを上げても、あまり効果は期待出来ないそうです。むやみにボリュ-ムを上げても雑音が増えるだけということもあるそうです。
一方、伝音性難聴という区分もあります。
伝音性難聴とは、外耳や中耳に原因があり、音の伝わりにくい難聴とのことです。聴力自体は残っているので、治療や補聴器などの効果が期待されるそうです。聞き取りにくい音を大きくすることで、聞こえやすくなるという意味です。

 

少し紹介・補足が長くなってしまいましたが、私自身もこの小説を読むまで知らなかったことです。
よろしければこの機会にでも、少しでも知って頂ければと思います。

 

このように、感音性難聴である「ひとみ」は補聴器を活用しながらも、ほとんど音の無い世界で人生を送っています。
そして、「伸行」と一緒に外出しながらも、健聴者である「伸行」には分からない体験が様々訪れてきます。

そのような中、「ひとみ」が自分の心情を以下のように吐露しています。

 

「 痛みにも悩みにも貴賤はない。
周りにどれだけ陳腐に見えようと、苦しむ本人にはそれが世界で一番重大な悩みだ。
救急車で病院に担ぎ込まれるような重病人が近くにいても、自分が指を切ったことが一番痛くて辛い、それが人間だ。 」

 

カウンセリングを行っている人も、あるいは誰かから相談を受けた方でも、自分のフィルタ-を通して物事を判断しがちです。
「そんなのは悩みのうちに入らない」「気にしすぎだよ」などと声を掛けたくなる心情があるケ-スも理解出来ます。
100%相談の内容を相手と同じように共有するのは夢の中の出来事なのかもしれません、、、、、

 

そして、「ひとみ」は職場でイジメに遭っていました。
先ほど「「話せるのに聞こえない」という点で、健聴者から理解されにくいのは、中途失聴・難聴の方が多い」という点が背景にあります。
そして、先述の心情の吐露に続き、「ひとみ」は以下のようにも綴っています。

 

「 イジメは「聞こえ」さえすればそんなトラブルに遭わなかったという恨みもあるのだが、「聞こえ」があったからと言って本当に社会生活が巧くいったかどうかなんて分からない。 」

 

そして、この小説の中では次のことが描かれています。

 

「 音から隔絶され、そのことによって次は健聴者とのコミュニケ-ションが阻害される。
聴覚障害で最大の問題は、人間としてのコミュニケ-ションから隔絶された状態に置かれることになるのを世間になかなか認知されないことだ。
この困難の根の深さを想像だけで把握できる人間はまずいない。 」

 

以上、「レインツリ-の国」から紹介しましたが、私がこの小説から感じたことは、まず、

 

(カウンセリングを行う人や、誰かから相談を受ける人にとって)
どんなに些細な悩みや苦しみに思えても、それを声に出して訴えている内容には、真摯に耳を傾ける

 

ということです。
聞く側が始めから一部の扉を閉ざしていれば、相談や話しをする側はそれ以上に心情を語ってくれることは、まず無いと思います。
逆の立場で考えてみれば理解出来ることでしょう。
そして、やはり一番大切なのは、

 

コミュニケ-ションを心掛ける

 

ということを感じます。
この小説でもテ-マの本質は「障害」だけではなく「コミュニケ-ション」だと思います。
先ほど100%の共有は夢の中の出来事なのかもしれません、、、、、とコメントしましたが、

 

「 この困難の根の深さを想像だけで把握できる人間はまずいない。 」

 

という一節から来ています。
100%分かり合うというのは、障害があろうとなかろうと難しいのかもしれません。
しかし、「何が100%なのか?」という見えない答えでもあります。

 

「伸行」は「想像力」を使って色々試みます。
上手く行かない経験もします。
しかし、「ひとみ」との「コミュニケ-ション」を絶やすことなく、そして、次々に色々と試し、実践していくことで物語の結末に辿り着きます。
その結末も「100%」ではないのかもしれません、、、、、
なぜなら、その先にも「未来」が広がっているからです、、、、、

 

今回は「カウンセリングの心・思い」というテ-マでしたが、答えがある訳ではありません。
そして、これを読んで下さった方々の数だけ、色々な「心・思い」があることと思います。

 

ちなみに、この小説は有川 浩さんの夫が突発性難聴になったことにより、産まれたエピソ-ドだそうです。
私達はあらゆる経験を自分一人ですることは出来ません。
また、全てを自分一人で経験する必要もありません。
なぜなら、「想像力」や今回のような小説や、あるいは映画などからでも多くのことを学べるからです。

 

「レインツリ-の国」は今月から映画の上映も始まるそうですが、皆様も手にした本や映画などから色々学びながら楽しんでみて下さい。

 

それと、余談ですが、私はABH(米国催眠療法協会)からトレ-ナ-としての認定を受けておりますが、
トレ-ナ-とは、私自身が責任を持ってヒプノセラピ-(催眠療法)を教え、そして受講生の皆様にABHから認定を受けることが出来ると判断をし、実際に認定を行うことが出来る資格です。

そして、トレ-ナ-の認定を受けるにあたり催眠術ショ-のようなものを行う実技もあります。
この際、ある特殊な方法で幾つかの短い物語(メタファ-)を暗示として活用しながら進めていきます。
実は、この方法が今回ご紹介した「レインツリ-の国」の小説の構成と似ている点があります。
ヒプノセラピ-(催眠療法)に興味がある方は、この小説のどこに似ている点があるのかを探しながら読んでみるのも面白いかもしれません。

2015年10月30日 05:10

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